「この前話したことなんだけど」


「それなんだけど……」


 私が正直にあの時のことを話すと、彼も先程話した内容をおおよそ予想していたようで、すぐに気にしないでと笑いかけてくれました。そのことを申し訳ないなと思いつつ、その優しさから、彼が犯人ではないことを再認識したのです。


「同期が結婚したって言ってたんだけどさ」


「その話で私が嫌な思いをしたと思った?」


 私が訊くと、勝太は少しだけ申し訳なさそうに頷きました。確かに、勝太からそのような話を聞いたことはありませんでしたし、もしかすると、彼の中でそう言った話をすることに対して何かしらの遠慮があったのかもしれません。


「別にそんな話ぐらいで気を悪くなんかしないよ」


 私はそう伝えることでこの話を終わらせるつもりでしたが、どうやら彼の話はまだ続くようでした。


「それでさ。俺も幸嘉との関係をずっと考えてたんだ」


「関係?」


 その時は今更私達の間に関係も何もないだろうにと笑っていましたが、私は彼の次の一言で言葉を失ってしまいました。


「俺は子どもの頃から変わらない今の関係を、そろそろ次に進めたい」


 真剣なまなざしで言う彼の瞳には、私の間抜けな表情が映っていることでしょう。私は何度か口を開いては閉じてを繰り返してから、ようやく絞り出すように、「どうして?」と呟くことしかできませんでした。


 訳が分かりませんでした。どうして進める必要があるのでしょう。進めることに、何の意味があるのでしょうか。私の中で勝太は勝太でしかなくて。だから、彼の中の私も、きっとただの私でしかないのだと思い込んでいたのです。


 それから後に続いた言葉は彼の性格と同じくどこまでも素直なもので、他の「誰か」ではなく、私にだけ届くように言われたものでした。


 その言葉に心が揺れ、涙が目から次々とぽろぽろとこぼれて、止めたくても止めることはできませんでした。緩んだ頬を隠すように口元を手で覆いながら、照れ隠しに遅いよバカ、なんて。人生で最も幸福な瞬間はきっと、この時に違いがありません。彼がそっと差し出してくれた指輪の上では小さなダイヤモンドがキラキラと輝いていて、涙を流す目の前の女性を写しています。そして目の前の彼もまた、緊張した面持ちで彼女の左手の薬指に指輪をはめ、女性がそれを嬉しそうに光へ照らす姿に、少しだけ涙を流すのでしょう。これが人生で最良の日なんだと喜びを噛み締めながら。


 でも、残念ながら、それは私に当てはまりはしませんでした。


 勝太が私への気持ちを必死に伝えてくれればくれるほど、すっと胸の辺りから熱が引いていくような気がしたのです。


「君のことが好きなんだ」


 私が勝太へ抱いていた気持ちと、彼が私へ抱いている気持ちが異なっているのだと知りました。


「愛しているんだ」


 愛の定義が、勝太と私とでは異なっているのだと知りました。


「俺と結婚を前提に付き合って欲しい」


 そう言って差し出された指輪を見て、二人が想像している未来は、違っているのだと知りました。


 これから人を殺そうとしているような私が、人を守るために働いている彼と一緒になる選択肢を選ぶ権利があるのでしょうか。


 いいえ。いいえ。そんなもの、全部ただの言い訳です。言い訳でしかないのです。


 私は、私の中で生まれたあの感情を、肯定することができなかったんです。もし肯定してしまったならば、私は自らがネエネエと違うことを認めてしまうことになります。彼女と血が繋がっていないのならば、せめて価値観だけでも彼女と一緒でいたかったのです。


 怖かったんです。私には愛が分からないんです。それは絶対に嘘ではないんです。


 だって、私の中の愛は、ネエネエが人を愛する行為そのもので、決して勝太が私に抱いてくれているそれではないのですから。


 愛とは何なんでしょう?


 繰り返しそう問い続けたそれが、今も受け入れることができないそれが、今も私を苦しめるんです。


「意味が分からない」


 私の口からこぼれ落ちた言葉は、よく覚えてはいませんが、そのようなものだったはずです。


 いえ、もしかするともっと酷い言葉だったかもしれません。どうしても思い出せないんです。少なくとも、彼の言葉を肯定するものではなかったことは、彼の青ざめた顔が全てを物語っていました。


 私はそんな彼を置いて……いえ、逃げたのです。彼に酷いことを言って、彼を傷つけておいて、逃げてしまったんです。


 今だから思います。話し合うべきでした。彼にちゃんと伝えるべきでした。しょせんこんなものは結果論でしかありません。それでも、私は考えてしまうんです。後悔してしまうんです。だって、私は――。

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