月に一度は、私の職場に彼が迎えに来ることがありました。


 毎度真っ赤な車で迎えに来るせいで、職場からその車が見える度に同僚から茶化されるのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。そのことを伝えると、父もこの車をうらやましがって、勝手に乗ってるみたいで困るんだと笑う彼を見ていると、本当にその真っ赤な車が自慢なことが分かりました。それでも、私は恥ずかしいことには変わりありませんから、そう伝えると、「じゃあパトカーで迎えに来ようか?」なんて言われてしまうのです。その度に私は何も言い返せなくなってしまうことを分かっているのだから、卑怯だと毎回心の中でなじっていました。


 時々、彼とは一日中でかけることもありました。別にどこへ行くという訳ではありませんが、勝太の運転でドライブしてみたり、どこかの商業施設に出かけてみたり。私からすればそれで満足なのですが、今思えば勝太はそれこそテーマパークなどへも行きたかったのかもしれません。それでも、ただの一度も遊園地、特に観覧車がある場所へ行かなかったのは、その場所がネエネエと離れてしまうことになった場所だと知っていたからでしょう。私はきっと、彼の優しさに依存していたのです。それに、私は勝太とのその関係が心地よかったのです。これ以上進むことがない関係。そう思っていたのは私だけだったというのに。


 でも、この話をする前に、私はあることを話さなければなりません。


 私がそのニュースを知ったのは、本当に偶然でした。


 職場の昼休み、私がいつも昼食をとっているその社員食堂では、今時テレビではなく、ラジオのニュースが流れています。最近は談笑したり、スマホを見ながら食事をとる人が多いこともあり、テレビを置く必要がないと上が判断したからと聞いたことがありますが、それが本当かどうかを私は知りません。ともかく、そのニュースを聞きながら食事をとるのが私の数少ない日課でした。


 その日は午後の業務のやるせなさをなんとか忘れようと、パサパサの白身魚をほぐすことに集中していました。そんな折、聞こえてきたそのニュースに、思わず手が止まりました。


『――市の住宅街近くの公園で、二十一歳の女性が遺体が発見されました。女性の遺体には複数の刺し傷があり、警察は殺人事件として捜査本部を――』


 別に毎日ニュースを聞いていれば、数日に一回は聞こえてくるような何の変哲もないそれに、私はどうしようもなく耳を奪われたのです。でも、それがどうしてかは分からず、辺りを見渡してみましたが、私のように今し方流れてきたニュースに耳を傾ける様子の人は見当たりませんでした。例えそれが隣の市で起こったことだとしても、先月も似たようなニュースがあったような怖い事件だったとしても、頭の中では自分とは無関係の何かでしかないのです。みんなそう思う程度の、本当に些細な、ありふれた、ありきたりなニュースでしかないのです。


 しかし、その違和感がただの気のせいでないと分かったのは、まさにその日の夜でした。


 仕事が終わり職場を出ると、目の前に見慣れた赤い車が見えました。運転席では何だか難しい顔をして電話をしている勝太がいて、また約束もなしに来たと、最初こそ無視しようと考えましたが、さすがに良心が痛んで、私は諦めて運転席の窓をノックしました。それで私に気が付いたのか、勝太は何かを急ぎ電話相手に伝えると、そのまま窓を開けました。


「お疲れ様」


 人懐っこい笑みを浮かべながらそう言った彼は、私が車に乗ることをさも当然かのように、助手席をぽんぽんと叩きました。私が助手席に座ると、車は静かに走り出しました。


「今日は約束してなかったのに」


 車のラジオから流れてくる外国の音楽に耳を傾けつつ尋ねると、勝太はどこか複雑そうな顔で、これから忙しくなりそうだからと言って黙ってしまいました。普段は勝太の方からいろいろと話しかけてくるだけに、こうして何もしゃべらない時間は少し気持ち悪さすらありました。しばらくぼんやりと彼の運転に身を任せていると、トンネルに入ったタイミングで、最近起こっている連続殺人事件について知っているかと訊ねられました。


「連続かどうかは知らないけれど、最近隣の市で殺人事件があったことは知っている」


「それのこと」


 勝太は少し不機嫌そうに言ってから、その事件を追うことになったから会えなくなると話してくれました。ただ、それなら、今までにもありましたから、なんでそんなに彼が不機嫌なのか分かりませんでした。


 そのことを彼に確認しようとした私の口を塞いだのは、空に浮かぶ、欠けた銀色の月でした。喉に刺さっている小骨がぽろっと取れたような、その感覚が最初は分かりませんでした。ですが、じっとその月明かりを眺めているうちに、思い出されたのは昼に聞いたあのニュースでした。そうです。私は確かにあの時先月も似たようなニュースを聞きました。思い返してみれば先々月も聞いたような気がします。ただ、それらは死体が見つかる時期が異なっておりましたから、上手くそれぞれが結びついてはいませんでした。それでも、近隣で相次いで死体が見つかっていること。同様の事件が毎月起こっていることを考えれば、間違っているとは思えませんでした。勝太には申し訳ありませんが、私はいてもたってもいられず、その日は早々と帰宅することになりました。


「気を悪くしたならごめん」


 彼は何度もそう言ったような気がしますが、事件のことに気をとられていた私は多分、何も答えなかったような気がします。今になって思えば本当に申し訳ないことをしたと思いますが、あの時の私は、ただただ先程抱いたその仮説が、間違っていることを望んでいただけなのです。

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