私は専門学校を卒業してすぐ、病院の事務で働くことになりました。別に仕事はなんだって良かったのですが、私の性格を心配した母が、友人のツテを頼って紹介してくれたのでした。


 勝太は父の浩三さんと同じ警察官になりました。初めてそのことを聞かされたとき、親の七光りと呼ばれたくないから警察にはならないとあれだけわーわー騒いでいたのに、なんだか変な人だと関心したものです。


 母が亡くなったのは、私が社会人になってからすぐのことです。当時のことはあなたもよく覚えていることと思います。母は亡くなる間際まで、笑顔を絶やさない人でした。体は痩せ細り、手足の先が少しずつ冷たくなって、呼吸が苦しくなった時も、それこそ、亡くなる直前でさえ、私に微笑みを向けてくれていたほどでした。彼女の姿はネエネエとは違う、別の美しさが垣間見え、それが余計に、何も持ち合わせていない私を惨めにさせたのでした。


 母がいなくなってからの生活は、途端に質素なものになりました。料理や洗濯などはするものの、どこか手を抜いているというか、食事を作る気力もなければ、別に食べなくても良いかと思うような日もありました。有り体に言えば、興味がなくなったのです。今まではネエネエが食べてくれるから料理をしていました。かなた園の時は、食事を作れば食べてくれる人がいたから作っていました。そしてつい少し前までは、母の健康を維持するために料理と向き合っていたのです。それらがなくなり、途端に自分のために作らなければならないとなった時、どうしても興味が持てなかったのです。ただ、今になって思えばこの時ちゃんと作っていれば、勝太との関係も、もう少しは希薄になっていたのではないかと思うのです。


 そのように簡素な生活を送っていることが気にくわなかったのでしょう。


「顔色が悪い」


 母の葬式ぶりに会った勝太が、開口一番私の顔を見て言いました。別にそれがどうしたんだと何も言わないでいましたが、どうしてだと口うるさく訊ねる彼に、とうとう根負けして理由を話しました。


 途端に彼はガミガミと今の私の状態を説教したかと思うと、今後は自分にその日何を食べたかを報告するようにと言ったものですから、こいつは自分の何なんだと頭を抱えたくなりました。ですが、今改めて思い返してみますと、私は彼に救われていたのだと思います。ネエネエという最大の心の支えを失い、育ての母を失った私に、勝太がうっとうしいまでもつきまとってくれたからこそ、今こうして生きているのです。


 ただ、だからといって別に今も昔も、生きていたい訳ではないのです。ただ、もうどれだけ願ってもネエネエに愛してもらえなくなってしまったから、私は生きているだけなんです。もしあの日、自分自身を殺したとしても、それはネエネエに愛されることではないと分かっていなかったなら、私はとっくにこの命を投げ捨てていたことでしょう。


 私は勝太を恨んでもいます。私は自分自身を殺すことができなかったあの日から、この身がただただ朽ちていくことだけを日々祈ることしかできないのです。それでも、やはり勝太に感謝してしまうのは、少しでも早く命を削ることは、私があの日しようとしたことと何も変わらないのだと、頭の奥底で分かっているからです。だから、私は勝太を恨むことでなんとか正当化しようとしているのです。


 ネエネエに愛されない私は、自らを愛することなど、できやしないのです。


 ねえ、愛とは何でしょうか。


 ネエネエの運転する車の助手席から、銀色に輝く満月を眺めている私に、ネエネエは自分のしていることは、ネエネエなりの人の愛し方なのだと教えてくれました。あの時私はその言葉が、いたく心に響いたのです。それ以来、私の中で愛とは、ネエネエが人を愛した方法を指しているのです。


 だから、だから。


 私は他の人が言う愛が分かりません。何も分からないのです。周りに溢れているその愛と呼ばれるものが、私には何か別の、得体の知れない何かにしか思えないのです。


 家族愛。隣人愛。愛着。求愛。愛欲。親愛。慈愛。友愛。恋愛。愛愛愛愛


 愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛 愛愛愛愛 愛愛愛 愛愛愛 愛愛愛 愛愛

 

 愛とは何ですか。分からないのです。私には、分からないんです。

 あぁ、どうか怒らないでください。私には愛が分からなかったんです。

 だから勝太。私はあなたの言葉が受け入れられなかったんです。

 ごめんなさい。私はあなたが嫌いなわけではないのです。


 勝太がその話をしたとき、私と勝太は周りから見ればかなり親密な仲でした。ですが、私としては彼に対して、世間一般に愛情と呼ばれるものは抱いておりませんでした。少しお節介にうんざりすることはあるものの、彼は側にいることがただただ当たり前だったんです。

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