このまま動けなくなって、地面に根でも張るんじゃないかと思い始めた頃、私の肩を叩く者がいました。私が顔を上げると、そこにはなぜか勝太がいました。その時の私には驚きよりも、なぜ勝太が? と疑問の方が大きく、私はひどくぶっきらぼうに「何?」と言ってしまったのです。


 当時のことを以前彼に話したとき、彼は「そんなことあったっけ」と笑ってくれたことに、私がどれだけ救われたことか。私が勝太の立場であれば、そんな態度を取られたら二度と口を利くものかと思うはずですから。


 勝太は私の手に買ったばかりであろう水の入ったペットボトルを握らせると、そのまま何も言わず隣に座りました。私はずっと膝を抱えて蹲っていましたから、その間勝太が何をしていたのかは分かりません。それでも、始発が動き出した音にようやく顔を上げた時、まだ隣に座っていてくれたのは、勝太でした。


「帰ろう」


 少しだけ疲れが見える彼の声が、今まで私に向けていた感情とは違う何かがあるような気がして、私は自分自身でも驚くほど素直にその言葉を受け入れたのでした。勝太の運転する自転車の荷台に座りながら見上げた空は、もう私の知っている朝の顔をしていて、ネエネエがいなくなってしまったというのに当たり前に来る朝に、ひどく空しい気持ちになりました。それでも勝太の腰を抱く私の両腕には確かな熱が感じられて、私はそのちぐはぐさに少しだけ、本当に少しだけですが息ができるような気がしたんです。


 私は今、生きています。生き続けています。もし、あの日勝太がいてくれなければ、今どうしていたでしょうか。先程のようなことを話した手前ではありますが、おそらく、いえ、確実にどこかで、理由こそ何であれ死を選んでいたことでしょう。例えそうしていたとしても、後悔はなかったと断言できます。だと言うのに、私は生きのびています。こうしてだらだらと生を謳歌しています。きっと、あなたはこんなことなら、この時死んでくれていればと思うかもしれません。それでも、私は生きていたからこそ、こうしてあなたに真実を伝えられています。私のことを分かって欲しいなどと言うつもりはありません。矛盾するようではありますが、それだけは分かって欲しいのです。


 結局ネエネエの死を受け入れられないまま、ここまで大きくなってしまいました。母はよく、ネエネエがいなくなったからこそ、自分の道を歩きなさいと言いました。だから私は母が安心できるように、自分の道を歩んでいるように生きてきました。


 彼女が死ぬ間際に、笑って私の名前を呼んでくれたから、きっと私の計画は成功だったのでしょう。浩三さんは私を見る度にどこか気まずそうにしていましたが、それでも私を一人の大人として紳士然として接してくださいました。ただ、勝太だけは口やかましく、あーだこーだと私に言ってきたのですが。


 ネエネエがいなくなってから、勝太と会う頻度はどんどん増えていきました。社会人になって数年経った最近でも、二週間に一度は会うのですから、次第に早く恋人の一人や二人でも作ってくれと願うようになっていました。

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