その知らせを聞いたのは十九の夏で、私は専門学校へ通う学生になっていました。学校が終わり、体調を崩して入院している母を見舞うために病院へ向かうと、母の病室から何やら声が聞こえてきました。それは話し声というより怒鳴り声に近いもので、私は何事だろうと慌てて扉を開くと、そこには顔を真っ赤にさせた母とどこか怯えた表情を浮かべた浩三さんがおりました。普段二人が話すときはにこやかだったせいか、私はすぐにその光景を受け入れることができませんでした。


「幸嘉」


 母はまだ真っ赤にさせた顔で私を呼びました。その声が酷くかすれていて、最初母の声だと分からなかったほどです。二人は気まずそうに互いの顔を見合わせますと、浩三さんが母に何事か言って、そそくさと病室を出て行ってしまいました。何があったのかと母に訊ねましたが、母は首を横に振るばかりで何も答えてくれません。


 最初こそ何かお互いの気に触れることがあったのだろうぐらいにしか思っていませんでした。しかし、あまりにも頑な過ぎる母の姿に、抱いていた違和感は、何とも言えない薄気味悪さに変わっていったのです。知りたいのだけれど、それを知ってしまえばもう元には戻れないような感覚。あの日、もしそこで聞くことを止めていたら、私は何も知らぬまま、今ものんきに過ごしていたのでしょうか。いいえ、分かっています。あの日聞いたからこそ、私は今も生きることができているのです。


 私のあまりのしつこさに辟易としたのか、母は長い。それはそれは長いため息をつきました。それから何度私の顔と手元を見比べたか分からないほど見比べてから、「あのね」とこぼしました。私はようやく母が話してくれることに、少しの喜びと、少しの期待と、少しの不安を持って耳を傾けました。


「沢渡愛良の死刑が執行されたの」


 しけい。


 頭の中でその三文字がどうしても上手く変換されません。何度も頭の中で繰り返し唱え、言葉の意味をようやく飲み込むことができたのは病院を出て、空に浮かんでいた満月を目に留めた時でした。


 母になんと言って病室を出たのかも、どのようにして出たのかも、何も覚えていません。ただ、しけいが、死刑だと頭の中ではっきりと言葉になってからようやく私の頭は動き始めたのです。


 死刑。そう、死刑が執行されたと母は言いました。ネエネエは死んでしまったのです。愛されるのではないのです、この国に殺されてしまったのです。ただ、受け入れられないからと、殺されたのです。


 どうしてあれほど純粋で美しい人が殺されなければならないのでしょうか?


 こんなことを今更あなたに訊ねることは、八つ当たり以外の何物でもない事は重々に承知しております。それでも、何度も訊ねてしまう私を、どうか許してください。


 ネエネエは、本当に悪なのでしょうか?


 本当に間違っているのは、あの人とこの社会、いったいどちらなのでしょうか?


 ネエネエはただ、彼女なりに人を愛しただけではないのですか?


 一体それの、どこが悪だというのですか?


 人が人を愛することに形も境界もないのだと、学校の授業で教わりました。人が何かを愛するのには人それぞれ異なる形があるとも。


 皆は口々にその考え方に賛同していました。しかし、家に帰ってワイドショーを見ていると、芸能人の不倫問題で持ちきりでした。何かの専門家や芸能人が口々に自分の意見を言っているのを見て、その日の授業で聞いた話を思い出し、あの時皆が口々に賛同したその言葉が、いかに空虚なものであるかを実感した気がしたのです。


 人は結局、周りの意見など全て受け入れられないのです。自分が受け入れられる意見しか受け入れることはできないのです。だから、ネエネエはあれほどまでに純粋に人を愛していたにもかかわらず、その愛し方をこの国では受け入れられないからと、ネエネエは殺されてしまったんです。


 ネエネエが行っていたことが、この国の法律として間違っている行為であることは知っています。そんなことは、私だって分かっています。そして、それは世間一般に言う、倫理観に背いた、俗に言う「悪」であることも知っています。でも、その倫理観という代物は本当に正しいのでしょうか。人は多様な考え方を受け入れる必要があると、最近至るところで耳にします。その度に、私はネエネエのことを思い出すのです。


 人を愛す方法は幾通りもあるはずなのに、その愛し方を受け入れてくれるはずの多様性という考え方は、どうしてある一定の基準しか受け入れてくれないのでしょうか。こっちは良くてこっちはダメ。あぁ、自分は受け入れて貰える側で良かった。私の愛をどうして受けいれてくれないの? 周りに受け入れて貰うためには努力をしなさいと、誰かが何かのテレビ番組で言っていました。私はそれを聞いて、どうして努力をしなければいけないのだろうと不思議に思いました。


 ネエネエは、ただネエネエなりに人を愛しただけだというのに。どうして受け入れられるために努力をする必要があるのでしょう。私はあの日抱いた疑問を、今も解き明かせずにいます。あなたは、この問いの答えを知っていますか?


 そう言えば、あなたもご存じの通り、私が苦手な物の一つが物語です。虚構性のあるそれらがどれも気味悪く私の目には映ったからです。特にラブストーリーと呼ばれるものに触れたときが、一番嫌悪感がひどかったように思います。男女、ないしは男性同士や女性同士。ほかにも人間と人間以外。そのどれも、私からすれば全て平等に、気味悪く見えたのです。彼女は私に言いました。


「私のしていることは、私がしたいからしているのよ」


 その言葉がどれほど澄んで聞こえたか。それが世間一般では許されない行為であったとしても、最も純粋で、最も美しい行いであると思うのです。


 ですから、物語、とりわけラブストーリーというものがどこまでも不純で不潔な代物に感じられ、吐き気さえ覚えるのでした。誰かを愛するために自分の心を、そして、他人の心を欺く。時には誰かを蹴落とすことだってある。それどころかそんな行いを全て(もしくは一部を)是とする。そんなもののどこに『純粋』というものが存在するのでしょうか。ただ、自分が愛したいから、自分なりのやり方で人を愛する。それも特定の誰かを差別することなく、どこまでも平等に。


 この愛し方こそが本物だと、私は今も信じて疑っておりません。

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