⑭
私はショックを引きずったまま、佐倉先生の家で新しい生活を始めることになります。しかし、当時の周りの人々はネエネエと私がどのようなことを話していたか知りませんでしたから、私が新生活にナーバスになっているものと思われていました。
私はネエネエとした話を誰にも言うつもりはありませんでしたから、その方が都合が良いと、否定しませんでした。だからでしょうか。一緒に暮らし始めて数日後、佐倉先生が突然自分のことをお母さんと呼んで欲しいと言ったのです。
最初は言葉の意味が分かりませんでした。私の実母は私が記憶を持つよりも前にこの世からいなくなっていましたし、それ以外ではかなた園の下級生達と一緒に眺めていたアニメ作品の中でしか知らない役割でした。それでも、佐倉先生は自らのことを母と呼ぶように言います。確かに彼女はネエネエを除けば、最も信頼のおける大人です。それでも、私の中で佐倉先生は佐倉先生なのです。最初はかなり戸惑いました。それでも、彼女の根気に負ける形で少しずつですが佐倉先生をお母さんと呼ぶようになっていきました。
今こうして彼女のことを考えていると、確かに佐倉先生は母親と呼ぶにふさわしい人であるように思います。彼女はこんな私に対しても、かなた園にいた頃からずっと、無償の優しさで包み込んでくれました。嫌なことは笑って吹き飛ばすその豪快さを、私は自分にはできない生き方だと憧れすら抱いたほどです。そんな素振りを一度も見せたことがありませんから、きっとあなたは嘘だと思うことでしょう。私自身も嘘ではないかと思いますが、それでもこうしている今、確かにそうだったと思うのです。
私は母に勧められるまま、最寄りの公立高校に通うようになります。母は決して裕福な人ではありませんから、私は中学を出てすぐ働いても良いと考えておりました。それでも母と浩三さんの説得もあり、進学することを決めました。
勉強は得意ではありませんでしたが、嫌いではありませんでした。私が勉強したことをネエネエに話しますと、彼女は私が間違って覚えていることを指摘してくれることがありました。これは後から知ったことですが、ネエネエは彼女の両親の教育方針もあり、かなり勉強熱心な方だったそうです。ですから、私が自ら進んで勉強していることが嬉しかったのかもしれません。私もまた、勉強したことをネエネエと話すことが楽しく、テストで良い点を取ることより、勉強したことをネエネエに話したいがために勉強するといった毎日でした。
ですが、高校生になってしばらく経った頃、テスト期間になると、私の家に勝太が押しかけてくるようになりました。
勝太が同じ高校に通っていることは母から聞かされていましたから、私も知ってはいました。それでもクラスが違うことや、勝太は普段入っている部活が忙しいからと話すことはありませんでした。私としましては特別話をしたい相手ではありませんから、校舎ですれ違っても挨拶すらしませんでした。
このまま話すことはないだろうと思い始めた秋口のことです。勝太に勉強を教えて欲しいと頭を下げられました。何でも、部活にかまけていたせいで成績を著しく落とし、このままでは部活に出られないからといったくだらない理由でした。最初は断ろうかと思いましたが、彼が私の家に押しかけて来ていたことと、母が笑いながらその話を聞いていたこともあって、渋々了承したのでした。
ただ、もしあの時了承していなければ、今も続いている彼との縁はなかったのではないかと思うのです。そして勝太がいなければ、私はあの日、間違いなく自ら命を絶っていたはずなのです。
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