佐倉先生に連れられてかなた園に戻った私は、施設の人が使う仮眠室で彼女が作ってくれた甘いミルクティーを飲んでいました。何か話すことがあると佐倉先生はすぐに仮眠室を出て行ってしまい、私は一人窓から見える外をぼんやりと眺めていました。そのとき思い返していたのは、約束を急遽キャンセルしてしまった友人のことではなく、記者が去り際に投げかけたそれでした。


 ――その子は連続殺人犯の娘、もしくは親戚の可能性。


 ネエネエのことを何も知らないくせに連続殺人犯だと呼ぶなんて。それは彼女の愛だったのにと、怒りがこみ上げてくるのと同時に、記者が提示したそのもしもに私の心は強く引きつけられたのです。


 その当時の私はまだネエネエと出会ったきっかけを詳しく知りませんでした。だからこそ、知らねばならないと強く考えるようになったのです。あぁ、もしあの時に戻れるとしたら、私はきっと当時の私に、そんなことを訊くなと、それはそれはきつく言うことでしょう。そうすれば、私は今もそのもしもを心のよすがに生きることができたはずですから。そしてそれは、私にとって間違いなく幸福な妄想であったはずなのです。


 さて、あなたもご存じの通り、ここからネエネエと面会する一週間の間に私の生活は大きく変わることになります。お忘れかもしれませんが、あれからすぐ、かなた園を出ることになりました。佐倉先生に引き取られることになったのです。


 以前私の元を訪れた記者のような存在が、もう私の心を乱さないようにと佐倉先生や浩三さんが考えた結果だったそうです。それから最初こそ私の名前は依然と同じものを使う予定でしたが、どうせなら新しい人生をと、新しく名前が与えられました。姓は佐倉先生のものを。そして名前は〈幸嘉〉に決まりました。


 佐倉先生が私に幸せに生きて欲しいと願いを込めて着けてくれたそうです。私の名前が変わることを勝太に伝えた時、彼は良い名前だと喜んでくれました。それでも、今だからこそ言わせてください。私にとっては名前など、どうでも良いものでした。私にとって名前は、私を区別するための記号でしかありません。何なら、与えられた物が例え番号であったとしても、私は何も思わなかったでしょう。だから、名前の良い悪いなど、私からすれば識別記号が変わったぐらいのものでした。


 今も昔も私にとって、ネエネエが呼んでくれた「おい」や「お前」以外に価値などないのです。ですから、私がその日ネエネエの元を訪れた時に抱いていた高揚感は、名前も境遇も変わったことによる真っ新な高揚感などでは断じてありませんでした。私の心はただただネエネエが話してくれるもしもの話を、信じて浮き立っていたのです。


 その日のことは良く覚えています。それこそ、今までの人生を振り返ってみても、おそらく一番だと言えるのではないかという具合に。


「ネエネエと私は血が繋がってるの?」


 開口一番に私がそう訊ねた時、ネエネエは最初何も答えませんでした。その言葉の真意をなんとか推し量ろうと、じっとこちらをを見つめるその視線に、私はとんでもないことを訊いてしまったのかもしれないと、頭の中から血の気がさっと引いていくのが分かりました。


 決して、ネエネエにぶたれたことを思い出していたのではありません。私にとって、唯一絶対である彼女を困らせてしまったことが申し訳なくなったのと同時に、ネエネエにとってくだらない質問をしてしまった私は見捨てられてしまうのではないかと怖くなったのです。


 彼女が口を開くまでの時間は本当に長く感じられました。一秒ごとにじりじりと喉元を火で炙られているような感覚に、私は何度今すぐ自ら命を絶ってでも、ここから逃げてしまいたいと願ったことでしょうか。ようやくネエネエが口を開いたとき、私はようやく息を吸うことを許されたような気がしました。


 そこからネエネエが話してくれたのは、私と出会った日のことでした。ネエネエの言葉は私の心を少しずつ削っていきました。ですが、それと比例するように、なぜか救われるような気もしたのです。


 胸の奥に溜まっていた澱が、徹底的に蒸留された水で全て洗い流されるような清々しさ。当時はどうしてそんな気がしていたのだろうと不思議でした。それでも、今なら分かります。


 やっぱりネエネエは神様なんです。


 あの時、私はネエネエに自分と同じ血が流れていないことに心から安心したのです。ネエネエの持つ美しさとその純粋さは、やはりそこらの人間が持ち合わせるそれとは全く違うのでしょう。ネエネエに私のような薄汚い血が流れている訳がないのです。私はそのことを思い出す度に深く安堵し、救われた気持ちになります。ただ、それと同時に自分がひどく醜い生き物であるとも自覚してしまうのですが。


 私は一番純粋で美しいその人の側にいたはずなのに、どうしてネエネエのようになれなかったのでしょう。誰か教えてください。私がもし今もネエネエの側にいることができたのなら、少しでも神様に近い存在になれたのでしょうか。


 ただ、これは今だからそう考えることなのであって、当時の私はまだまだ愚かな小娘でしたから、ネエネエの話にやはりショックを受けたことは事実です。当時の私は神様と同じ血が流れていないことがただただ寂しく、自らを産んだ母を、そしてあの日の私にもしもを期待させた記者を深く、それはもう深く恨んだのでした。それでも絶望に身を任せて死んでしまおうと考えなかったのは、今死んでしまえばネエネエに会うことができないことを知っていたからです。死ぬことよりネエネエに会えなくなることの方がどれだけ苦しいことかは、当時、何度も何度も繰り返し聞かされたはずのあなたなら分かってくれるはずです。

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