⑫
その中で一つ、特に強く心に残っている話があります。それは私が中学校に上がってすぐ。確か、電車で通学することになったと言ったときにしてくれた話です。
ネエネエが通っていた高校は電車で少し揺られた場所にありました。当時のネエネエは活発とは言いがたくとも、多くの友人に囲まれていたそうです。
良いことも悪いこともあった。それに今も当時の友人のことを夢に見ることだってあると、どこか懐かしそうに教えてくれました。電車の中で過ごした静かな時間。綺麗な学校。授業中のおしゃべり。放課後の寄り道。憧れた男の子への恋慕。
それらを一つずつ教えてくれるたびに、驚きが大きくなっていきました。ネエネエからすれば、特に何でもない昔話のつもりだったのでしょうが、彼女がまるで私に普通に生きなさいと言っているように思われたのです。私もネエネエのような学校生活を送るのだろうかと、帰りの車の中で考えました。結局、私は彼女のようには少しもなれませんでしたが。
ネエネエはきっと、私達が考えるよりもずっとずっと、ただの、普通の女の子だったのでしょう。
たったそれだけの事実が、私の心を掴んで離してくれはしないのです。
あぁ、それからもう一つ。私にはどうしても忘れられない話があります。正直なことを言いますと少しだって思い出したくもありませんが、それでもこれからの私について語るためには避けては通れない話なのですから。
あぁ、それでも、私はやはりこの話をすることがとてつもなく苦しく、あんなことを訊ねた自分自身が、心の底から嫌いになってしまうのです。
その日、私は一人の記者と出会いました。ネエネエとの面会を一週間後に控えた月末のことでした。私は十五歳を迎えていて、かなた園でもお姉ちゃんとして扱われるようになっていました。
しっかりと断っておきますが、最初は誰とも仲良くなるつもりなんてなかったのです。私はネエネエとは違い、友達は多くありません。それはネエネエのせいなどでは決してなく、ただ私の内気な性格がそうさせていたのです。それに、私は別に隠すつもりはありませんでしたが、浩三さんや他の警察官の皆さんのおかげで、何の変哲もない、〈ただの孤児〉として日々を過ごしておりました。そして、当時の私からすればそれが当たり前のことでした。ですから、その日も数少ない友人に誘われて、学校近くの図書館に集まって勉強することになっておりました。
かなた園を出て、すぐのことです。前から一台の黒い軽自動車がやって来て、私の少し前で停車しました。かなた園は山の中腹にありましたが、それ以上先は植林地が続いていることもあり道がありません。ですから、車の持ち主は施設に用があって、そこから出て来た私に用事か何かを取り次いで欲しいのだろうか、などと考えながら乗っていた自転車から降りました。それを合図にしたかのように、運転席から一人の女性が降りてきました。小綺麗な格好をしたその女性は私を見ると、にこっと笑って近づいて来ました。
「小野寺円花ちゃん?」
女性は私に目線を合わせると、作り笑いを崩さないまま訊ねました。どうして知っているのだろうか、もしかすると彼女は警察か病院の関係者なのかもしれないなどと考えながら、私はとりあえず頷きました。そしてすぐ、私は頷いたことを深く後悔することになります。
私の様子に女性の顔がぱっと華やぎました。それはもう、ずっと探していたお宝が見つかったかのような嬉しそうな笑みです。ですが、施設の子ども達が浮かべるような無邪気さはなく、かといって佐倉先生の持つ温かさのようなものも、ネエネエのような美しさも持ち合わせていませんでした。
醜悪な花が目の前に突き出されたような感覚。確かに今までも病院や警察などでも似たような視線を感じたことはありました。珍しいものをみるような、哀れみのような、憎しみのような。しかし、それらはどこか遠くから盗み見るようなものでしかありませんでしたから、いつだって気にしないようにしていました。だからこそ、この女性のように真っ直ぐに好気の目線で見られることに、私は深く傷つき、はっきりとした恐怖を覚えたのです。
そんな私などお構いなしに、女性はまくし立てるように自分がとある雑誌の記者であることと一緒に、様々なことを私に訊ねました。どれもを覚えているわけではありません。ですが、その中で二つだけはっきりと覚えているものがあります。
――連続殺人犯には一緒に暮らした女の子がいた。
――その子は連続殺人犯の娘、もしくは親戚の可能性。
この二つは奇妙なほどはっきりと覚えています。申し訳ありませんが、私がなんと答えたのかは忘れてしまいました。なんなら後日、この日のことが書かれたゴシップ誌の記事を読んだときも、本当にこんなことを訊かれて、答えたのだろうかと不思議に思ったほどです。ただ、この質問は記事にも書かれていましたから、確かに質問されたのでしょう。しかし、あなたもご存じの通り、その記事の大半は嘘ばかりです。唯一、私がネエネエと一緒にいたということだけが事実なのです。
あぁ、そうでした。今思い出したことがあります。それは先程の二つ目の質問に、私は答えていないということです。そして、それは覚えている限り最後の質問でもありました。
おそらく女性はまだまだ質問をするつもりであったのだろうと思います。しかし、それを強制的に遮ったのは他ならぬ佐倉先生だったのです。私と記者の姿を見つけると、彼女は鬼の形相でこちらに走ってきて、大声で女性に何事かを怒鳴りました。女性は目をまん丸にしてしばらく固まっていましたが、それでも佐倉先生が来るよりも前に車に乗り込んでしまうと、そのまま逃げるように走り去っていきました。
佐倉先生は私のすぐ近くまで来ると、まだ興奮が収まっていないのかもう小さくなってしまった車に何事か喚きながら拾い上げた石を投げていました。それからしばらくして興奮も落ち着いて来た佐倉先生は、私に向き直るとぎゅっと抱きしめました。汗でびっしょりと濡れてはいましたが、それでも不思議と不快に感じなかったのは、きっと彼女が私を守るために本気で怒ってくれたからです。
スリッパは脱げてしまっていて、靴下は真っ黒に汚れていました。どうして私のために、と思うのと同時に、この人だからかと納得する私もいたのです。だからきっと、私の背中をさすってくれる手が温かい、この人が側にいてくれて良かったと、ネエネエ以外の人に初めて思ったのです。
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