⑨
私は勝太と仲良くなり始めたのとほぼ同時期から、ある発作に苦しめられるようになります。
それはネエネエがいないことに対する発作で、症状が出るのは最初を除き、全て朝、目覚めてすぐのことでした。私は朝起きると、まずネエネエのために食事を作ります。メニューは決まってベーコンエッグと小さくちぎったレタス。何かしらの果物とパックの紅茶でした。私の記憶ではこれが変わったことはなかったと思います。一度たりとも褒めてもらえたことはありませんでしたが、それでも毎日きちんと少しも残さずに食べてくれることを嬉しく思いました。しかし、病院の中では料理を作ることができませんし、何より食べてくれるはずのネエネエがいません。
ネエネエを見送った後、私はすぐに部屋の掃除と洗濯に取りかかります。これも一度も褒めてくれたことはありません。しかし、必ずネエネエは私が掃除洗濯したものを使ってくれるのです。でも、使ってくれるはずのネエネエはいません。
掃除が終われば少しだけネエネエのことを考えながら絵を描きます。その後は夕食の準備です。メニューは毎日違うものを作りましたが、そのどれもネエネエに教えてもらったものです。しかし、朝食と同じように、少しも残さずに食べてくれたその人はもうそばにいません。
それらが一気に押し寄せてきて、頭の中がネエネエのことで埋め尽くされてしまうのです。ネエネエがいないことの虚しさ。ネエネエに抱きしめて欲しい。痛いのは嫌い。でも、ネエネエがいてくれるなら毎日ぶたれたって構わない。いくらそう願ったところで、ネエネエは側にいません。それが分かったとき、私の心はがらがらと音を立てて崩れて、頭の中はぐちゃぐちゃになるのです。
体を掻きむしり、声になっていない奇声を上げ続けました。何もかもが痛くて痛くてたまらないのです。苦しいのです。それこそ、死んでしまいたいくらいに。
料理を教えた日を境に、私と勝太はぽつぽつと話をするようになりました。話をするといっても、主に彼の話を私がうんうんと聞いているだけなのですが。勝太と交流を重ねていくことで、私にネエネエ以外に心のより所ができたからか、発作は少しずつ落ち着いていきました。そうは言っても完全に落ち着いたわけではなく、今でも時々発作が起きることがあります。思うに、この発作は私が死ぬまで治らないのでしょう。それでも、私はそれで良いと思っているのです。なぜなら、この発作が私とネエネエを今もしっかりと繋ぎ止めてくれているのだと唯一実感できるものだからです。
ともかく、発作が治まってきたことにより、困った問題が幼い私に降りかかって来ました。それは、施設への入所が決まったのです。
ネエネエがいない場所など、どこも同じだと考えてはいました。それでも、何故だかここを出ると、今よりもさらにネエネエが遠くなってしまうような気がしたのです。だから、最初は何が何でも嫌だと訴え続けていましたが、行ってもいいかもしれないと思えたのは、勝太のとある一言があったからでした。
勝太には申し訳ありませんが、彼が詳しく何を言ったのかは覚えていません。ニュアンスとしては、ここよりかは自由だといったような内容だったと記憶しています。私はその話を聞いて、それならネエネエにも会える日が来るかもしれないと考えるようになりました。施設に入ると伝えたとき、大人達の目が驚きに見開かれていた様は、あまりにも滑稽だったので今でもはっきりと覚えています。
私がかなた園に入った正確な日付は覚えていません。施設に直接訊ねようにも、ご存じの通りあそこは七年ほど前に閉所してしまったため、もう聞くことができません。当時の関係者に訊ねても、おそらく誰一人として覚えていないでしょう。実際後に私が母と呼ぶことになる彼女でさえ、死ぬ少し前に覚えていないと笑ったほどでしたから。
いつだって、日付など些細な問題でしかないのです。ただ、その日の空は暗く、雨が降りそうだったと記憶しているのですが、母は良く晴れた風の強い日だったと話していました。私はもしかすると、天気でさえも些細なものとして認識しているのかもしれません。
病院を出て車で数時間。そこにかなた園がありました。車を運転してくれたのは勝太の父である
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