私の体は病院に運び込まれたとき、ひどくやせ細っておりました。ネエネエが小食な方でしたから、私も自然と食べなくなっていたのですが、どうやら成長期にあった私の体は栄養不足に悲鳴を上げていたようでした。


 ともかく、私は今までネエネエに(私からすればそれは間違いなのですが)監禁されていたことで精神に異常をきたしている。そして、先ほど挙げた栄養失調などの理由から病院へ運び込まれたのでした。正直ここでのことはあまり思い出したくもありません。ただひたすらにネエネエを悪い存在だと説かれ続け、そして治療と称し、多くの食べたくもない食事を無理矢理強要されていたのですから。


 私にとって、こここそが本物の監獄でした。私がそんな生活から解放されたのは二月ほど後のことでした。ただ、それは後に知ったことで、当時の私からすれば長い長い地獄からようやく解放されたという思いばかりでした。


 そういえば、私はこの病院で自らの名前と年齢を知りました。驚くべきことに、私の戸籍はちゃんと存在したそうです。私の生みの親はもしかすると私をちゃんと育てようとしたのかもしれないなと今でこそ思うのですが、その真実を知ることはもうできませんし、知りたいとも思いません。


 小野寺円花おのでらまどか。十歳。


 自らの名前を教えられたとき、「おい」でも「お前」ないのか。私はそんなことを考えていました。それはこうして思い出している今もそうなのですが。正直この名前でいたことの方が少なく、今もこれが私本来の名前だということに違和感を覚えてしまいます。私にとって名前とは、ネエネエが呼んでくれていた「おい」と「お前」だけなのです。


 それから私はこの病院で一人の少年と出会いました。彼の名前を山岡勝太やまおかしょうたと言い、私のことをよく見舞ってくれた警察官の息子です。なんでも、同年代の子どもと触れあうことで私の洗脳を解くとかだそうで、毎週水曜日、一時間から二時間ほどかけて色々な話をすることを義務づけられました。


 私は今以上に無愛想で、体は目を逸らしたくなるほどがりがりだったりとみすぼらしく、本当に薄気味悪い見た目でした。ですから、初めて彼が私を見たとき、露骨に嫌そうな顔をしたのは何も間違っていないように今でも思うのです。そう言えば少し前に会ったときにその話をしましたら、もう忘れたと照れくさそうに笑われてしまいました。


 生涯で出会って良かったと心から思える人物は、ネエネエを除いて、彼と、後に私の母となる人物の二人だけです。その出会いがなければ、私は今以上に暗く、寂しい人間だったはずですから。


 私と彼との関係は、当初、お世辞にも良いとは言えませんでした。ただ、顔を見合わせればすぐに喧嘩というわけではなく、挨拶はしてもその後の会話はなしに、お互い思い思いに時間を過ごすというものでした。彼はいつも何かしらしていましたし、私はと言えばもっぱら図鑑や算数のドリルなどを黙々と解き続ける毎日といった感じでした。そんな私が彼と話すきっかけとなったのは彼のとある一言からでした。


「お前、料理できるんだって?」


 最初はその上からの物言いにカチンと来ましたが、なんでも料理をしなければいけない理由があるらしく、できるなら教えて欲しいと頼まれたのでした。最初こそ私が包丁を持つことに対して周りは渋い顔を浮かべていましたが、医師と看護師立ち会いの元であるならばと承諾されました。


 久々に作る料理に多少の緊張はありましたが、それでもなんとか作り上げることは出来ました。メニューはネエネエが一番食べてくれた、ポトフです。どうしてそれを作ったのかは正直分かりません。それでも、自然と手が動いて作っていたのがそれだったのです。


 勝太はそれを恐る恐る食べると、美味しいと目をまん丸くして言ってくれました。そのとき、当たり前だと言う気持ち以外に、ほんの少し。悔しいのであえてこう言いますが、本当に少しだけ喜びを感じました。勝太には直接言っていませんし、これからも言うつもりはありませんが。


 とにかく、そこで私は人に食事を作ることの喜びを、確かに知ったのです。実のところ、かなた園に行った後料理を進んでするようになった理由はこの経験があったからだと思います。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る