第3話 今後の生活

「思い出した。私、人間だったんだ。おとうさん、私人間だったみたい」


 そうだ。完全に思い出した。


 私は前世は普通の人間として生きていて、気づいたらこの世界でフェンリルのお父さんに育てられていたんだ。


 ということは、私は狼少女の異世界版。フェンリル少女ってことになるのかな?


「おとうさん? フェンリルが子供を攫ったってわけじゃないのか?」


「馬鹿を言うでない。この子は我が娘、アンだ。人間がアンを『死の森』に捨てたのだろう」


「え、フェンリルが人間の言葉をしゃべった?」


「フェンリルを馬鹿にしているのか。貴様ら人間が使う言葉くらい話せるわ」


 三者三様。今の事態を前に各々が別々の反応をしているという事態を前に、戦闘をするという選択肢は各々なくなってしまっていたようだった。


 冒険者と思われる男性が剣を降ろしている所を確認して、お父さんは小さくため息を漏らした。


「……ちょうどよい。少し話に付き合え、人間」


「話に付き合えって、俺とか? 一体、何を考えているんだ?」


「別に襲う気はない。そんな気があるのなら、今すぐここで噛み殺している」


 お父さんはそう言うと、その場に腰を下ろして少しだけ丸くなった。


 それを見てこちら側が戦う意思がないことが伝わったのか、少し警戒をしながらも冒険者もその場に腰を下ろした。


「アン。結界だ」


「うん」


 私はお父さんに言われて、特に何も考えずに結界を展開させた。


 さすがに、座って話す以上何も警戒をしないわけにはいかない。私とお父さんがいれば何かしてくる魔物は少ないけど、自分の力量が分かっていない魔物とかが挑んでくることもあるのだ。


 私が結界を張って腰を下ろすと、冒険者の男の人はぽかんと口を開けて私を見ていた。


「結界? この子が結界を張ったのか?」


 驚くように目を見開いた後、冒険者の男の人は正方形に張った結界を見てそんな言葉を漏らしていた。


 あれ? そういえば、今どうやって結界を張ったんだろ?


 頭でイメージをしたら勝手にできたような気がしたけど、どうやったのかと言われると説明しづらい気がする。


 記憶を取り戻す前までは当たり前だと思っていたけど、私って実は人間にしてはかなり凄いのでは?


「フェンリルならできて当然だ。俺の娘なのだからできるのは当たり前だろ」


「当たり前って……この子まだ5、6歳くらいだろ」


 作られた結界をペタペタと触った後、冒険者の男の人は私たちの前まで来て腰を下ろした。


 どうやら、色々と思うことはあっても話を聞いてくれるらしい。


「アン。お前のこれからのことで話がある」


「私のこと?」


「ああ。まず初めに人間よ、貴様はなぜこの森に入ってきた?」


「俺にはエルドという名前がある。呼ぶなら、エルドと呼んでくれ。……ある冒険者が大きな魔物と子供が一緒にいるところを見たと言っていた。襲われているのかと思って来たんだ」


 エルドと名乗った冒険者の話を聞く限り、私の噂をどこかで聞いて私のことを助けに来てくれたみたいだった。


 どうして、知らない女の子のことを助けようとしてくれたのか。それについては疑問に思ったけれど、なんとなく聞けずにいた。


「俺からも質問だ。その子をどうするつもりだ?」


「どうすると言うと?」


「そのままの意味だ。その子は人間だろ? これからもフェンリルとして育てていく気なのか?」


 エルドは私にちらっと視線を向けた後、再びその視線をお父さんの方に向けて言葉を続けた。


「人間は社会の中で生きている。人間として生活をさせたいのなら、早く社会に慣れておいた方がいいはずだ」


 エルドさんの言い分というのも理解することができた。人間として三十代まで別の世界で生きてきた私でも、その社会に十分に溶け込めていたという自信はない。


 それだけ人間社会というものは少し歪で、排他的な社会だと思う。だから、人間として生きていく道を選ぶのなら、一刻も早くその社会に慣れておいた方がいい。そう言いたのだろう。


 それでも、私にはお父さんの子供として一緒に生きてきた過去がある。


 前世の記憶はあっても、今の心と体は小さな子供。お父さんと離れて暮らすことを望むわけがなかった。


「……この機会に、アンが人間の里で暮らすというのも一つの手だ」


「え、お父さん?」


 すくっと立ち上がったお父さんの姿を見て、私は話し合いが終わったことを察した。あまりにも自然に立ち上がったので、そのままお父さんが私の前からいなくなってしまうような気がして、私はお父さんの体に抱きついていた。


「お父さんっ、私お父さんと離れて暮らすなんて嫌だよ」


 自然と涙が零れてしまって、鼻をすすっていた。


 この小さな体は、急にお父さんと離れるという状況を受け入れられなかったらしい。


声を漏らしながら泣く私をじっと見たお父さんは何を思ったのか、私の頬にそっと顔を近づけると、零れていた涙を拭うようにぺろぺろと舐めてくれた。


「何を言っている。アンを一人で人間の街に突き放すわけがないだろう」


「で、でも、でもっ、人の里で暮らすのも一つの手だって」


 どもりながら言葉をなんとか口にすると、そんな私に体を寄せながらお父さんは言葉を続けた。


 もふもふっとした毛並みに包まれて、私は少しだけ気持ちが落ち着いていくのを感じた。


「ああ。少しだけ人里で暮らしてみよう。もちろん、俺も一緒に行く」


「一緒にって、フェンリルが人里に出たら大変なことになるだろ」


「従魔契約をすれば問題はないのだろう? 以前あった人間の中には、魔物を使役していた物もいたしな」


「……いや、フェンリルの従魔なんて聞いたことないぞ」


 お父さんがドヤ顔でそんなことを言うと、その言葉を向けられたエルドさんはジトっとした目をこちらに向けた後、ため息を一つ吐いた。


「まぁ、できるだけフォローはしてやるかな」


 エルドさんはお父さんの首元に抱きついている私を見て、微かに口元を緩めてそんな言葉を口にした。


 こうして、フェンリルに育てられた私の人間社会デビューが決まったのだった。


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