第34話 うたたねウンディーネ
わたしはダニエルの背中におぶさってうたたねをしていた。
パレ湖を出発してから今までのことを順番に夢に見ていたような気がする。こんなに短期間にたくさんの人や魔物や精霊に出会ったのはわたしの人生で初めてだった。なんでこんなことになったのかなあ、と夢の中でわたしはぼんやりしていた。
「ゼーローゼはおしゃまさんね」
ラヴェンデルだ。お姉ちゃん、わたし、湖にいる間、いったいなにをしていたんだっけ。
「このお花、かわいいでしょ」
「そうね。睡蓮。あなたの花よ」
「お姉ちゃんの花はなあに?」
「わたしの花は
「薫衣草ってどんなお花?」
「騎士様が私に摘んでくれたお花」
お姉ちゃんがそう言った時、場面は瞬間的に城の霊廟に移された。
幼いわたしがお姉ちゃんの棺桶の前でひざまずいて祈りを捧げている。
「お姉ちゃん。わたしもお嫁さんになることにしたんだ。相手はね」
また場面が移動する。そこは、元のパレ湖だった。わたしは真っ白のドレスに身を包んで、透明なヴェールを被り睡蓮の花束のブーケを抱えている。
水の精霊の仲間たちが口々におめでとうと声をかけてくる。わたしはゆっくりと前へ前と歩みを進めている。そこは湖の中なのに、教会の礼拝堂で、そこでわたしの結婚式が行われることになっているのだった。
わたし、結婚するんだ。
でも、本当にわたしに結婚なんて必要なの? お姉ちゃんは人間と結婚をして人間になった。そして魂を得た。
わたしは。
わたしは、精霊のままで一生を過ごしてもいいのじゃないの? 魂があることってそんなに特別なこと? 無になるのってそんなに悪いこと? 悪いことのわけない。だってわたしの仲間たちはだいたいみんなそうなるのだもの。
「ゼーがいなくなっちゃったから、あたしがレヴィヤタンと結婚することになっちゃったじゃない。最悪〜」
「でもいいじゃん。湖の
「どこかの誰かさんみたいに人間と結婚して魂を得る代わりにすぐに死ぬ羽目になる方が勿体無いことだよ」
「そうよ。だからむしろ、あなたはラッキーだよ。レヴィヤタン強いし」
わたしは、わたしは。
「水の乙女よ。『ジェセの根』を求めよ。そうすればお前のなすべきことが分かる。『ジェセの根』は救われる魂のことを片時も忘れることがない」
ヴァルキューレだ。わたし、本当に冒険の旅をすることって望んでいることなのかな。湖で穏やかに暮らしていることの方が大事だったんじゃないかな。
「ゼー。一緒に行こうよ」
ダニエルが手を引いてくれる。わたし、ダニエルのことが好きだなあ、と思っている。もちろん、わたしの名前を呼んでくれたから、というのはきっかけになっているけれど、いつでも優しいし、助けてくれるし、大事にしてくれる。
でも、わたし、ダニエルと結婚したいと思っているかなあ。それは、まだ分かんないや。だって結婚したら人間になるのでしょう? 人間になったら魂と肉体を持つことになるから、お姉ちゃんみたいに早く死んでしまうことになる。
「そうね。ゼーローゼには長生きをして欲しいと思っているわ」
お姉ちゃん。
「でもね。それと同じくらいに人間になって欲しいとも思っているの。それはね、人間として生きるっていうのは、とてもかけがえのないことだからよ。魂を得ることができたからこうして今も、ゼーローゼの夢の中に現れることができるのよ」
そうだ、確かに、わたし、いなくなってしまった仲間の顔も名前も思い出すことができなくなっている。無になるってそういうことだ。誰の記憶からも消され、存在したことがなかったことになってしまう。
でもそれなら、人間だって同じだよ。ヴァンパイアになった人のことを忘れてしまっている人だってたくさんいるはずだよ。でも、さっきヴァルキューレは『ジェセの根』は忘れないって言っていたな。でもそれには魂があることが条件になっているみたいだ。いったい魂ってなんなのだろうね。
「こうやって死んだあとでも会えることよ。私はゼーローゼに幸せになって欲しいの。私がとても幸せだったから」
「お姉ちゃんはなにが幸せだったの?」
「そうね。ヴィルヘルムと一緒に暮らしたことかな。お城での暮らし。毎日の食事。週ごとの礼拝。どれも美しい思い出となって心に残っているの。もし私が精霊のままでいたら、こんな風に思い出として死んだあとにも思い出すことはできなかったはずだから」
それは分からないんじゃないかな。でも、確かにわたしにはラヴェンデルの他にもお姉さんがいたような気がする。
ラヴェンデルのことを覚えていることができるのは、ラヴェンデルが人間になることができたから?
「でも、いずれ私も忘れられてしまうわ。それは仕方のないこと。でも、私は今もこうして存在している。魂を得ることのできなかった私たちの姉妹は水に還ってしまっている」
でも、でも。
水に還ることが幸せかもしれないじゃない。
でも、でも。そうしたらダニエルにわたしのことを覚えておいてもらうこともできないの? それはなんだかさびしいことだな。
うん、それはさびしいな。
ぼんっと突然音がして、白い馬が現れた。ヴァルキューレの乗っていた白馬かと思ったけれど、その馬には額に角が生えていた。ユニコーンだ!
「では私と一緒に旅をしてみようか。私の背中に乗るがよい、水の乙女よ」
「あなたの背中に乗るとなにかが分かるの?」
「いや、なんにも分からないさ。でも魂のさざめきというやつが感じられる」
魂のさざめき。
ユニコーンは空を飛んでいた。ううん、空を駆けていた。大地があるみたいに空を走っている。
「夢は忘れてしまうだろう。今、こんな風に空を走っていることも、目覚めればあっという間に忘れてしまう。だけれど、こうやって走った感覚はざわざわと残るだろう。そういうものが永遠に続くのが魂のあるということだ」
「それっていいことなの?」
「私にも魂はないから分からない」
「ユニコーンにも魂がないの?」
「私は神の言葉によって作られた。それは人間と変わらない。しかし人間には神の息吹が注ぎ込まれた。それで魂を得た。だから魂とは神の息吹のことだと言える」
「でもそれなら風吹く空も大地も全部神様の息吹でできているんじゃないの」
「まったく。私もそう思うよ。でもそれが違うらしいのだ。魂のあるものには、それぞれが細かく震えていることが分かるらしい」
「それは魔法と関係のあること?」
「それとは関係がない。魔法なら、悪魔も魔物も操ることができる」
「わたしだってできるわ」
「そうだな。精霊にも操ることができる」
「魂を持つ者と持たない者の違いがよく分からないんだけれど」
「それでさざめきさ」
わたしはユニコーンの背中で首を振る。
「さざめきなんて分からないわ」
「魂がないからね。人は、そのさざめきのことを魂が震えると呼んでいる」
魂が震える。わたしだって感動することはあるんだよ。だって、ダニエルが詠んでくれた詩はわたしの心を震わせたから、あの場に出ていったのだもの。
「わたしはダニエルの詩に感動した」
「感動。確かにそれは魂の震えに近いような気がする。あれはとてもいいものだ。その心の震えが死んだ後もずっと続くというのが魂を持つということらしい」
「それって本当にいいことなの?」
「さあ、死んで消えてしまう私には見当もつかないことだ。ほら、お前の背中が見えてきたよ」
ユニコーンの背中から下を見下ろすと、ダニエルの背中におぶさっているわたしの姿が見える。
「どうだい。魂のさざめきは分かったかい?」
「全然分からなかったわ」
「そうか。ではすぐに直接出会うことにしよう。君のことを待っているよ」
「うん? びくっとしてどうしたの、ゼー。なにか怖い夢でも見ていた?」
「ううん、なんだか長い夢を見ていた」
「そうなんだ。たった五分くらいしか眠っていなかったけれどね」
わたしはもっと長い間、夢を見ていた気がするけれど、そのことをもう忘れ始めている。
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