第33話 海獣の妃

 東の方の門へ行く間も所々に人型の煤は残っていた。竜とかの死体は何も残さないで消えてしまうのにどうしてだろう?

「ねえ、なんでヴァンパイアはこんな風に煤になって残っているの? 竜は跡形もなく消えてしまうのに」

 その問いにはアランが答えてくれた。

「ああ、それは解呪をするからですね。肉体を持っているものは、何もしなければ澱のようなものを残すことになるのです」

「さっきの緑青竜はどうしたっけ?」

「あれはレヴィヤタンが丸呑みしていたな」


 レヴィヤタン、という名前が出て、わたしはすごく怖い気持ちになった。レヴィヤタンがあんなこと言うなんて思ってもみなかった。妃になるってどういうことなんだろう。


「門が見えてきたな。魔力探知では気配を何も感じない。城壁の上に登ってみるか」

 わたしたちは衛兵の詰所のところにある階段を登って城壁の上に立つ。高いところからは山肌の様子がよく見てとれた。そして門の前に竜はもういなくなっていた。


「ヴァンパイアが滅びたことによって竜との契約は破棄されたということだろう。これでひとまずの脅威は去った。この地方のどこかに緑青竜がいることは確かだが、人に害をもたらすのでなければ、ひとまず放っておくことにしよう」

「そうだ。俺たちには休息が必要だ。しかもこの依頼にはなんの報酬もない」

 ダニエルが口を開く。

「悪かった。僕がこんな依頼を引き受けたばっかりに」

 クレイグがそれを引き取って答える。

「いや、ダニエルがそんな風に言う必要はない。この地方から悪が排除されたのだから、これは誇るべきことなのだ」

 そう言うクレイグにアランは

「クレイグ、亡くなった方のために祈りの儀式を行ってもよいでしょうか」

 そう聞いた。

「もちろんだ、アラン。南の門の上で祈祷を行うことにしよう」


 わたしたちは城壁を歩いて、もうひとつの門にも竜がいなくなっていることを確認してから南の門に向かった。


 門の上で、アランが鎮魂の祈りを捧げる。

「『悪しき霊に囚われし魂よ

 今 その束縛を解かれ

 安らかに 憩え

 願わくば しゅの憐れみにより

 その魂 天に迎えられんことを望む

 この街にも同様に 安らかな眠りが

 与えられんことを

 闇の支配を抜け 光に富んだ

 街の生活が 再び 現れますよう』」


 門の上には風がびゅうと吹き抜けている。山の方からは鳥の鳴く声が聞こえてくる。でもこの街の中はしんとしていて、何も生きている気配を感じられなかった。


 わたしたちはギショアラの街まで戻って教会に立ち寄った。

「ご無事で何よりでした。城の様子はいかがでしたでしょうか?」

 クレイグが今日起こった出来事を順を追って説明した。

 小竜公がヴァンパイアロードになっていたこと。戦闘になったが辛くも勝利を得ることができたこと。囚われていた人間は、みんな灰になってしまったと言うこと。

「ヴァンパイアロードと戦って生還されたのですか」

 教会の僧侶は驚いた表情をする。

「だが、ほとんどのヴァンパイアを解呪することはできなかった。日の光に晒されて、苦しみながら死んでいったと思う。私はそのことを遺憾に思っている。この街のあなたの知り合いもその中にいたことであろう。本当にすまない」

「いえ、ヴァンパイアロードの元からあなた方が帰ってこれたと言うだけで奇跡的な出来事と思います。まさに神のご加護があってのことでしょう。本当にお疲れ様でした。また私の家で休んでくださいませ」


 わたしたちは教会の僧侶の家に泊まることにした。

 バイロンは、すぐに僧侶の回復の祈りで癒された。念の為、薬を塗って包帯を巻いている。

 僧侶の家で、今後のことを話し合う時間を持った。

「これからのことだが、ミショアラの城塞都市まで出向き、エレナ公にこのことを伝えなくてはならないだろう。国の治政に関わることだからな。ひとつの街が滅びてしまったんだ。相当の影響があるだろう」

「ミショアラに行く前にレーナウの村に寄ってもいいだろうか」

 ダニエルの提案にクレイグは、もちろん、と答える。

「その村で一晩の宿を取ることになるだろう」

「その村にも悲しい知らせを運ばなくてはならないのか」

「ここの僧侶も言っていたが、俺たちが生き残ったことがまずは奇跡なんだ。逃げてもよかったと俺は今でも思っているがね」

「酒はないが、祝杯をあげることにしよう。祝杯というか、失われた霊たちへの献杯と言ったところか」


 その夜、わたしは寝付くことができなくて教会の礼拝堂の椅子に座っていた。ぼんやりとレヴィヤタンの言っていたことを思い返していた。

 レヴィヤタンの妃になるってどういうことなのだろう。だいたいそんなことってできるのかな。あんな大きな体をしているんだから、わたしとなんかちっとも釣り合わないのに。

「ゼー。眠れないのかい?」

 背中から声をかけられる。ダニエルだ。

「ダニエル。ダニエルこそ疲れているんじゃないの?」

「僕は他の三人に比べて、大した仕事をしていないからね。まあグレイプニルが千切れてしまわなくてよかったよ。あのままヴァンパイアロードの相手をさせていたら、間違いなく切れてしまっていただろうからね。だから使えるのはあと一回だけだ。グレイプニルの作り方を探さなくちゃな」

「ねえ、ダニエル。レヴィヤタンの妃ってどういうことだと思う?」

「うん。文字通り、レヴィヤタンと結婚するということだろうね」

「そんなことってできると思う?」

「さあ、どうだろうね。でも君のお姉さんは人間になることができたんだ。それも騎士と結婚することが条件だった。だから、レヴィヤタンとの間でもそういうことができるのかもしれない」

「わたし、本当にレヴィヤタンのこと友達だと思っていたんだよ。彼が住みやすいように湖のお掃除はよくしていたし、彼の鱗を洗ってあげることもあった。でも種族がまるで違うし、結婚なんて考えたこともなかったよ」

「そうだね、ゼー。もうレヴィヤタンは呼ばなくていいよ。確かに『ジェセの根』を探す旅は困難なことがたくさんあるだろう。だけど、その危険とゼー自身を比べる必要なんかないんだ。僕は冒険よりもずっとゼーのことが大事だよ。絶対にレヴィヤタンに奪われたくないと強く思ったんだ」

「ありがとう。ダニエルはいつもそう言ってくれるよね。でもわたし、ダニエルたちについて行ってもいいのかな。わたしがいたところでなんの役にも立たないよ」

「そんなことないじゃないか。今回の戦いでも君の魔法にすごく助けられたし、なにより『ジェセの根』を探索する上で、あの星を見ることができるというのは、君以外にはできないことなんだよ」

「まあ、そうだね。ほうき星はわたししか見ることできないもんね。だからそれでいっか」

「でも、ゼー。この冒険の旅が辛くなったらいつでもやめていいんだよ」

「ねえ、ダニエル。お願いがあるんだけど」

「なんだい?」

 わたしはダニエルの目を見つめる。

「これからはもう、旅をやめていい、なんて言わないで。わたし、それを言われるたびにとっても辛くなるんだよ。寂しい気持ちになる。そして、もっとわたしのことを考えてちょうだい。だって、わたしの帰る湖はパレ湖なんだよ。そこには……」

「ごめん、そうだ! 君をレヴィヤタンの所にわたしたりはしない。もう2度とそんなことは言わない。ゼーローゼ、僕たちとずっと一緒に旅をしてくれ」

「じゃあ握手」

 わたしは右手を差し出す。ダニエルはわたしの手を優しく握ってくれる。

「なんか、わたし帰るところがなくなってしまった気分なんだよ。でも旅が終わったら帰ると思うけれど。もしかしてお姉ちゃんもレヴィヤタンになにか言われていたのかな。それが嫌で出て行っちゃったのかな。わたしたちになにも告げずに死んじゃったのかな。わたしね、旅が終わったら、怖いけど、やっぱりパレ湖に帰ると思うよ。友達には会いたいし、パレ湖で会ったらレヴィヤタンもおかしなこと言わないかもしれないし。でもそれはずっと先のこと。こういう難しいことは先延ばしにするの。わたし、ずっとそうやって生きてきたから。だから、ダニエル。これからもよろしくね」

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