地味にツラい吃音

梅竹松

第1話 話したいのに話せない

吃音――普通に話そうと思っているのに、言葉の一文字目がうまく発音できずに結果としておかしな話し方になってしまう現象。

日本だけでも百万人以上がこの症状に悩んでいるらしい。

単純計算で百人に一人が吃音症ということになるため、決して少なくない人数と言える。

日常の会話に支障が出るので早急に解決することが望ましいが、明確な原因は判明しておらず、それゆえに治療法なども確立していない。

現時点では自然に治るのを待つしかない非常に厄介な言語障害のひとつなのだ。


これは、そんな吃音症に悩む一人の少年のお話である。



俺の名前は前畑勇輝まえはたゆうき。ごく普通の高校に通う平凡な十六歳の男子だ。

学年は高校一年生。身長や体重は平均並み。勉強も運動も人並みにできる程度。

本当に平凡としか言いようのない男子高校生だ。


そんな俺だが、ひとつだけ他人と異なる特性を持っている。

といっても、決して長所ではない。むしろ一日でも早く解決したい欠点だ。

その欠点というのが、人前でうまく話せなくなってしまう現象――つまり吃音症のことなのだ。


別に昔から吃音に悩まされていたわけではない。

中学生までは普通に話せていた。

ところが、高校に入学してアルバイトを始めた時から発声に異常が見られるようになったのだ。

バイト先は近所にある全国チェーンのファミレス。不特定多数の客とのコミュニケーション能力が要求される仕事だ。

俺は厨房担当なのでホールスタッフに比べればお客様と接する機会は少ないが、それでも接客業である以上はどうしても来店した客と話さなければならない瞬間は訪れる。


それが俺にとってはストレスだったのだろう。初めてのアルバイトということで緊張しているのも要因のひとつだったのかもしれない。

様々な要因が重なった結果、俺はアルバイト初日に、お客様にあいさつすることができなかった。

そして、その日から俺は吃音という厄介な症状に苦しめられることになる。


アルバイトを始めてから何日経っても、スムーズに言葉が出てくるようにはならず、むしろ症状は日に日に悪化する一方だ。

さらに困ったことに、吃音を発症する相手は客だけではなかった。

同じファミレスで働くスタッフに対しても同様の症状が見られるようになってしまったのだ。

特に『いらっしゃいませ』『おはようございます』『お疲れ様でした』『お先に失礼します』『ありがとうございます』の五つがスムーズに口から出なくなってしまった。

それらの言葉を言いたいという気持ちはあるが、実際に口に出すことができない。

どれもファミレスで働く上では必須のフレーズなのに、そんな大切な言葉が喉の奥につっかえて出てこないという最悪の状態に陥ってしまったのだ。


アルバイトの面接の時は普通に話せていたのに、どうして突然そうなってしまったのかは自分でもわからない。

また、自宅で家族と会話する時や学校で友達と駄弁る時は問題なく言葉が出てくるのに、職場でスタッフやお客様と話す時だけ途端にどもってしまう理由も不明だ。

とにかく仕事の時だけ発症する現象なのだ。


職場に出勤しても、「おはようございます」がつっかえて出てこない。

お客様が来店しても、「いらっしゃいませ」が言えない。

スタッフから親切にされても、「ありがとうございます」という謝意の言葉がスムーズに口から出ない。

退勤時に、「お疲れ様でした」や「お先に失礼します」と言うだけで苦労する。

そんな日々が続いたせいで、スタッフからも奇異の目で見られてしまう。


それが何より辛かった。

一時は退職を考えたこともある。

せっかく始めたバイトをすぐに辞めてしまうのは勿体ない気もしたが、発声に問題のある自分が接客業に従事していたら迷惑だと思ったからだ。


そんな風に、退職するかどうか悩みながら厨房の仕事をしていたある日、俺は画期的な対策を思いつくことになる。


吃音症とは、最初の一文字目がスムーズに発音できず、結果として会話に支障が出てしまう言語障害のこと。

ならば、一文字目を言わなければよいのだ。

たとえば、『おはようございます』なら『はようございます』と言えばよい。

同じ理屈で、『いらっしゃいませ』なら『らっしゃいませ』、『ありがとうございます』なら『りがとうございます』となる。

同様に、『お疲れ様でした』や『お先に失礼します』も『疲れ様でした』『先に失礼します』なら幾分かは言いやすくなる。


別に一文字目を言わなくても、そこまで不自然に聞こえたりはしない。

だから、俺はこの対策方法でもう少しアルバイトを頑張ってみることにした。


その結果、職場での会話が多少はマシになったような気がする。

少なくともスタッフやお客様の前でどもることはなくなった。

これは大きな変化と言えるだろう。


だが、これで満足するつもりはない。

今はこの『一文字目を言わない作戦』であいさつをしたり会話を成立させるのが精一杯だが、いずれは吃音症を治して普通に話せるようになりたいと思っている。

それがいつになるかはわからないが、きっといつかは自然に治るだろう。


そんな期待を胸に、今日も俺はアルバイト先のファミレスに向かう。


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