失礼します教室猫

つばきとよたろう

第1話

 早朝にも拘わらず、清潔で使い込まれた教室には、生徒一人の姿も見えなかった。当然その日は日曜日ではなく、みんなが浮足立つ金曜日だった。ただ不思議なのは並んだ机や椅子の上に、様々な種類の猫が立ったり座ったり、寝転んだりしていた。教室の後ろの扉がだらしのない生徒が開けっ放しにしたように開いていて、そこから猫が自由に入ってくるのだった。丁度今も後ろの扉の隙間から一匹の三毛猫が忍び足で入ってきて、何の迷いもなく空いている席に登って座った。教卓の上には少し年老いた灰色の猫が香箱を作って、その様子を窺っていた。まるで今から授業を始める先生のようだった。猫たちは少しも警戒心がなく、自分の家の軒先にでもいるみたいに穏やかだった。誰も見たことがない不思議な光景だった。

 それは一週間前の教室のちょっとした出来事から始まった。予鈴がホームルームの時間を告げて、先生が教壇に立って挨拶をしたときだった。

「あっ、猫だ」

 教室の誰かが叫んだ。みんなは、すぐに教室中を見回してその事に気づいた。とても珍しいことだったし、その上そいつは可愛かったからだ。

「猫、猫。小さくて黒い奴」

「おい、騒がしいぞ。どうした?」

 先生が小さな騒動を治めようと叱り付けた。でも小さな騒動は静まらなかった。

「先生、教室に猫が入り込みました」

 小さな黒猫が真ん中の席の机の上に飛び上がった。その席の子はびっくりして体をのけぞった。猫はそんな事、お構いなしだ。

「早く捕まえて」

 その子が慌てて猫を押さえ付けようとしたのが、逆に鋭い爪で返り討ちを食らってしまった。

「痛ててて。こいつ爪が鋭いぞ!」

 その子は手の甲に三本のミミズ腫れを作りながらも奮闘した。生憎黒猫はひょいと机を飛び降りて、扉の隙間から逃げていった。

「先生、猫が逃げました」

「よし、じゃあホームルーム始めるぞ」

 そんな先生の言葉もよそに、生徒たちは猫のことばかり考えていた。どうしてこんな所にいたのだろう。誰かが悪戯で猫を持ってきたのか。誰がやったのか。猫についての疑問は山ほどあった。しかし、その小さな事件はそれだけでは終わらなかった。

 翌日、手に怪我をした子は学校に来なかった。なぜだろう。ぽつんと席が一つ空いていた。不思議なことにその子の机の上には、茶色の猫が座っていた。

「また猫だ。昨日の猫とは違うな」

「田中くん、今日は休みかな?」

「代わりに猫が来たんだよ」

「えっ、まさか」

 生徒たちは色々と憶測を巡らせた。

「誰か猫を捕まえて」

「猫はすばしっこいから無理だよ」

「俺に任せろ!」

 自信満々で猫に挑んだ子は、やはり猫の素早さには適わなかった。腕を引っ搔かれて少し出血していた。猫は逃げ回っているうちに、他に三人の子を引っ掻いて怪我させた。今日は手痛くやられた。猫は逃げるように、後ろの扉から出ていった。

「猫逃げていったよ」

「にゃんて逃げ足の速い奴にゃん」

 猫に引っ掻かれた斎藤が、悔しそうに顔をしかめた。

「ちょっと斎藤くん、言葉が可笑しくなっているよ」

「そうかにゃ。あれ、おかしいにゃん」

「何ふざけているの? 怪我大丈夫?」

「平気平気にゃん」

 次の日、斎藤と手に怪我を負った子は学校に来なかった。ところが、休んだ子の席には太々しく猫が居座っていた。

「今日は休みが多いね。また猫」

「図々しい奴だ」

「誰か連れてきたんじゃない」

「斎藤が連れてきたんだよ」

「斎藤くん、今日休みだよ」

「誰か猫捕まえて」

「でも捕まえようとすると、また怪我させられるよ」

「わっ、猫の方から飛び掛かってきた。腕引っ掻かれた」

 その日も数人が猫の犠牲になった。その子たちは、翌日学校を欠席した。そんな事が続いて、猫が教室の半数を占めるようになった。猫は生徒たちを恐れることもなく、自由気ままに机の上でくつろいでいる。猫だらけの教室に恐怖を覚えたのは、生徒たちの方だった。

「今数えてみたんだ。そうしたら猫の方が一匹多いんだ」

「猫が多かったって、人間には敵わないだろ」

「いやー、私何だか怖いよ」

「こんなにたくさんの猫見たの初めて」

 その日も気をつけていたのに、数人が猫の犠牲になった。猫を怒らせた訳ではないのに飛び付かれ、腕や顔を引っ掻かれた。その子たちは、次の日学校に来なかった。その子たちの席には、新しい猫がやって来た。それからも生徒は来なくなり、猫は増えていった。生徒が一人になったとき、猫は暢気に寝転んでいたが、その子は死刑宣告を受けた気分だった。猫、猫、猫。教室は猫だらけだった。最後の子も例外なく、猫に怪我させられてしまった。何十匹もの猫を前にして、その子は震えていた。

 とうとう教室の生徒は全員学校に来なくなった。その代わりに空いた席には猫が様々な格好で居座っていた。立ったり座ったり寝転んだり、彼らを驚かす生徒はもういない。教卓の上の灰色の猫が、にゃーと鳴いた。それぞれの席に座った猫たちが、それに応えるようににゃーと鳴いた。猫の授業の始まりだ。

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