【第三話】瀬古真奈美が追う理由
一之瀬正治は小学二年生の頃からイジメにあってきた。それまでの担任は、イジメられる側にも原因があると言っていた。産休に入る前の高城先生も同じだった。片付けが苦手、忘れ物が多い、タイミングの悪いところで人の会話を遮る、一之瀬であったが誰かに迷惑をかけたことなどなかった。勉強もさほどできなかったが、それが原因でイジメられるならイジメっ子にも勉強ができない人もいる。
イジメられる側に原因なんてないが、何か理屈をこねて喧嘩両成敗のようにしたいのだろう。そもそも、イジメなんてものははケンカにもなっていないのだが。
一之瀬の絶望ぷりを担任に昇格した瀬古真奈美は受け止めていた。大学を出て二年目、家族は教員、父は校長まで勤めあげ、昨年定年退職した。教員一家ではあったが、父や母のイジメに対する姿勢に対しては疑問を持っていた。“イジメられる側にも原因がある”というスタンスなのだ。それは兄や姉、真奈美自身にも引き継がれていった。
昨年の正月、岡山の実家にみんなが集まり、兄家族、姉家族も帰省してきた。真奈美も初の三学期に向けての準備で忙しかったが、帰省を楽しみにしていた。
「真奈美、教員人生どうだ?」
ただいまの返事がこれだった。相変わらず父にはうんざりする。
「まぁ、わかんないことばっかで、大変よ」
私はありていな返事で、帰省土産を母に渡す。
「真奈美は、頑張り屋さんだから、大丈夫よ。そういえば、昔裕子ちゃんたちにイジメられて帰ってきた時、あれ、小学生だったっけ、持ち前の頑張りパワーで乗り切ったもの」
母はなにかにつけて、私というものを努力の頑張り屋と命名しがちだ。小学生の頃、私はひどいイジメを受けていた。当然父や母の耳にもそのイジメの内容は伝わり、両親が教員ということもあり、担任の先生とも
「イジメられる側にも原因が……」
という話に落ち着く。教員同士でイジメを大事にしないようにという暗黙の何かなのだろうか。私の心はズタズタに傷ついた。唯一姉が味方になってくれた。同じ小学校でふたつ年上の姉は、私がイジメられているとすぐに助けてくれた。
私は人の目を見て話すことが苦手だった。それはイジメられたせいなのか、もともとだったのか。いずれにしても、そんな些細なことで、かつ私自身の問題ごとをイジメられる原因だと言い切った父と母、担任。教員になって何かを変えられるとは思っていないが、せめて私のクラスから、私の学年から、私の学校からは“イジメられている側に原因がある”なんて言わせないと誓って、教員になった。
チャイムが鳴る、朝のホームルームが始まる。瀬古は急いで教室へと向かった。いつもと同じように、いつもを繰り返す。イジメに対して熱い心を持っていた瀬古が今回、拝島和也が引き起こしたイジメ問題に並々ならぬ教員魂をもって挑もうとしていた。
「瀬古先生、拝島、病院から逃げたんだって?」
朝の連絡事項が終わった途端に、その機会を今か今かと待っていた一之瀬正治が大声で言った。クラスメイトがざわついた。
花井隆太郎は、一之瀬の拝島和也への態度に少しうんざりしていた。簡単に言えば仕返し、一連の拝島のSNSへの誹謗中傷の引き金を挽いたのは一之瀬なのではないかと思っていた。
拝島和也の動画は、動画自体は同じものでテロップ違いで二度アップされている。二度目の動画は
【拝島和也、イジメ犯。病院から逃亡。現在行方不明。捜索願はしぶしぶ母親から出された模様。A君のお弁当横取り動画を再びアップします!拝島和也を見かけたら、ぜひぜひ共有しましょう】
というテロップだったが、花井には何度見てもすんなり理解できない違和感と疑問があった。
この動画は一之瀬、谷垣先生、俺の三人にしか共有されていない。動画がアップされたとするなら、この三名の誰かからだ。
一之瀬は親の許可なしでは、アプリすらスマホにインストールできないし、パソコンを使いこなす力はほぼない。
俺はそんなことしていない。
ということは、谷垣先生が拝島の動画をアップした犯人ってことだけど、この前職員室で、他の先生にパソコンの使い方、ローマ字入力の仕方を聞いていたくらいだ。うちの親でもできるのに。あれじゃぁ、動画をアップすることはもちろん、テロップ入り編集なんて到底無理だ。
なら、誰が拝島が俺の弁当を食べる動画を編集までしてネットにアップしたんだ。しかも二回も。
もしかしたら、他の人間にもあの元動画が一之瀬から共有されたのか。それとも、誰かが一之瀬のスマホからあの元動画を盗んだのか。
そして、最大の疑問。一之瀬のスマホは中古のタイプだ。教室の外からあそこまでクリアに動画が撮影できるとは思えないってことだ。職員室で一之瀬のスマホを見た時に分かった。あれは、三世代ぐらい前のスマホ。ズームで撮影したら、動画はもっと粗くなってるはずだった。不思議だ。俺は放課後一之瀬を問い詰めることにした。
放課後、一之瀬はあわただしく帰り支度をしていた。俺は一之瀬を呼び止めようとしたが、瀬古先生が一之瀬と一緒に音楽室に向かっていった。
「どうするんですか。こんなに何度もアップするなんて、僕、聞いてませんよ」
一之瀬は外に自分の声が聞こえるかなんてお構いなしに大声で瀬古に怒鳴りつけた。
「なんのこと。私は何も……わ。だけど…一之瀬君が……だから……じゃない」
花井は音楽室の外で二人の会話を聞いていた。防音壁に遮られて、聞き取りにくい。スマホを録音モードにして、教室のドアのスキマから滑り込ませた。スマホが二人に見つからないことを祈りつつ、花井は近くのトイレに隠れ、トイレから二人が音楽室から出ていく足音を確認してスマホを回収した。
「花井君、なにしてるの?」
花井が肩を叩かれた。スマホをブレザーの内側ポケットにサッとしまい込んだ。声をかけてきたのは、音楽室から出たはずの瀬古だった。
「あ、瀬古、先生。いや、忘れ物を」
「あら、何を忘れたの。こんなところで」
「先生こそ、どうしたんですか?」
「カギかけ忘れたって、音楽の山口先生に頼まれて、施錠しにきたのよ」
それで音楽室で一之瀬と密会していたのか。密会という言い方が正しいかはわからないが、イジメられっ子の一之瀬と新しく担任に昇格した瀬古が放課後に人気のない音楽室にいるってことは、かなりおかしいと花井は思った。山口先生に頼まれて施錠するついでに、一之瀬となにか拝島について、あの動画について話をしていたと考えるのが正しいだろう。
「お、俺、もう帰りますね」
「探し物は見つかったの?」
「あ、ハイ」
「花井君、あなた拝島君にイジメられてたのよね。あの動画、先生も見たわ。お弁当食べられてるアレ」
瀬古先生が話しかけてきた。これはチャンスだ。あの動画について何かわかるかもしれない、花井はこの機会を逃すまいと思った。
「先生、そもそも、あの動画、一之瀬が本当に撮影したんでしょうか?編集だってあいつできないと思うし」
花井はありったけの疑問を瀬古にぶつけた。瀬古は音楽室の長机に腰掛けながら、質問に答えずに質問を返してきた。
「それよりも、花井君。イジメってさぁ、イジメられる側にも原因があるって思ってる?」
「いや、イジメられる側には原因も責任もなんもないよ」
「だよね」
「それがどうしたんですか?」
「それなら、拝島君だけに原因があったってことだものね」
「先生、もしかして先生、何か知ってるんですか?あの動画、編集した人物知ってるとか」
「知ってるわよ。あの動画をアップしたのは拝島君本人よ。一之瀬君から動画をもらってね」
(一之瀬から?拝島本人が動画を?なんのために)
瀬古のスマホが鳴った。教頭からだった。拝島和也が隣の県で見つかったらしい。裸足で駅のホームにいたところを、保護されたということだった。
「瀬古先生、これはどういうことですか?」
「拝島君は、あの動画を使って、何か伝えたかったのよ」
「何をですか?」
「義理のお父さんからの虐待よ」
頭が真っ白になった。拝島の父親が義理の父親ってことは、中一の途中
花井隆太郎は家に帰ると、拝島の動画を再びチェックした。
【拝島和也、○■県▽市の画分島中学校二年生、バレーボール部キャプテン、同級生二名を虐めている。十歳の頃に両親が離婚、母親に引き取られ、その後再婚。新しい父親との関係に悩んでいる。再婚によって妹ができた(父方の連れ子)】
あの動画のテロップは悪意に満ちている、花井は自分の弁当が食べられたことに怒りはなかった。そこにはひとつの気になるテロップがあった。
【新しい父親との関係に悩んでいる。】の箇所だった“悩んでいる”って相談された誰かか、本人にしか書けないよな…、花井は拝島和也が変わり始めた頃を思い出していた。
拝島が花井を無視し始めたのは、たしか中一の三学期ごろから。失踪してた拝島の父親が帰ってきたみたいに女子バレーの連中が噂してたけど、あの頃あたりに再婚でもしたのか。でも、苗字が変わってない。アイツはずっと拝島だ。
「ねぇ、母さん、再婚ってするとさぁ、子どもの苗字って変わるの?」
隆太郎の母、花井陽子は思春期の我が子との久々の会話に驚いた。
「なによ、隆太郎。おせんべ、おとしちゃったじゃない。再婚?苗字?」
「そう、女の人に子どもがいてさ、その人が男の人と再婚したら、子どもの苗字もかわるのかなって」
「あぁ、拝島君の話ね」
「知ってるのかよ」
「まぁ、アレよ。再婚しても連れ子ってのは、自動的には苗字は変わんないのよ。ほら、私さぁ、おじいちゃんって義理の父親でしょ」
「そうなの?」
「あら、知らなかったか。おばあちゃん、再婚したのよね若い頃。で今のおじいちゃん、まぁ私からしたら、新しい父親ね、忠彦さんが来たのよ」
「それで?」
「親同士は再婚しても、子どもは自動的に戸籍に入ってないのよ。だから、再婚した時に養子縁組したって。私の旧姓は吉岡だけど、その前は伊庭だったもの」
「へぇ~。じゃぁさ、新しいお父さんと再婚してさ、それでもそのお父さんの苗字になってない場合に考えられるのは?」
「私も法律の専門家じゃないからよくわかんないけど、養子縁組されてないからじゃないの?でもさ、デリケートな話だから、あんまり拝島君のこと詮索しない方がいいよ」
「うん。わかった」
拝島は小学校の頃から同じだったし、ずっと拝島のままだ。たぶん、前のお父さんの苗字を名乗ってるんだろう。
拝島は再び市立病院に搬送された。まだ入院中であったためだ。幸いにも怪我はなかった。自宅の窓から飛び降りた時の傷口は開いておらず、健康状態も問題なかった。
瀬古は拝島のいる病室にいた。家族と名乗り、病室に入り込んでいたのだった。病院の計らいで、特別に個室を用意されていた。瀬古が偽名を使って入り込んだように入室は簡単だったが、退出はセキュリティーが厳しかった。家族でもない瀬古が偽名を使ってまで、拝島に会いたかったのには理由があった。
(つづく)
※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
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