【第二話】拝島和也が消えた日

拝島和也は市立病院の緊急処置室にいた。飛び降り自殺を図ったとされているが、二階のアパート、窓から飛び降りただけだった。小さなベランダから、どこかへ逃げるように一度上に向かって飛びあがって、そのままゴミ置き場に落ちた。


 午前六時過ぎにこの飛び降り事件が起きたが、幸いにもプラごみの日だったため、ペットボトルのごみがクッションの役割を果たしてくれた。拝島和也はかすり傷程度だった。救急車を呼んだのは、ちょうどゴミを捨てに来ていた下の階の中島ヤス、御年八十歳の老婆だった。普段から上の拝島家では怒号が響いていると、救急隊員に話をしていた。


 それから五時間ほどした、午前十一時過ぎに生徒たちには拝島がケガをしたことが担任の古瀬から報告された。古瀬は教頭からこっぴどく叱られた。もともと副担任だった古瀬は、谷垣先生の妻、高城(旧姓)さとこが産休に入ったため担任へと昇格した。教員一家で育ってきた古瀬は父も母も、兄も姉も教員だ。父は中学校の校長まで勤め上げた。父からは子どもは話せばわかりあえる、わかりあうべき相手と教えられてきた。


 古瀬が教頭にこっぴどく叱られたのは、拝島和也の飛び降り事件を生徒たちに報告したせいである。当然事件については知らなかった生徒ばかりなので、わざわざ報告したせいで「なぜ飛び降りた」という疑問や噂話が校内を飛び交うことになったのだ。

「古瀬先生、あなたね、この混乱の責任どうとるつもりですか」


 古瀬は身長百七十センチあるが、背を折りたたむように頭を下げきっており、随分と小さく見えた。隣には学年主任の谷垣が立っている。

「教頭、今回の件は私が混乱を収めますので。拝島和也は飛び降りではなく、ベランダから落ちた、というカタチで伝えるようにします。事故です。事故ということで」


 相変わらずの保身ぶりを発揮した谷垣は今年、四十五歳になって初めての結婚をした。相手は高城さとこ、十五歳の年の差は生徒の間でも一瞬話題になったがすぐに飽きられた。どちらかというと保護者たちのゴシップのネタになっていた。


 久々の担任、問題も多いクラスということで高城は谷垣によく相談をしていた。そのせいで谷垣は部活の顧問はおなざりになり、花井隆太郎の部内でのイジメにも気づいていないのだ。というよりも、気づかないふりをしている。一之瀬正治が拝島和也にひどくイジメられていることも、気づかないふりをしていた。


 ただ、高城は受け持っているクラスの一之瀬と拝島にトラブルがあるのはわかっていた。相談も谷垣に頻繁にしていたが

「イジメなんて、気づいたら負けですよ」

と高城にアドバイスされていた。高城も日々の業務、残業に追われ、谷垣の言葉を正当化して都合のいいように受けとっていた。


 谷垣と古瀬が教頭への口裏合わせを終え一緒に職員室から出て行った。

「古瀬先生、うちのやつ、いや、高城先生から引継ぎされてるんですよね?」

「いえ、私は、なにもわかっておらず。拝島君は一之瀬君だけじゃなくて、花井君もイジメてるってことなんですよね」


 古瀬の声が廊下に響く。谷垣は廊下の隅、ちょうど教室から死角になる場所へ古瀬を引っ張り入れた。

「古瀬先生、やめてくださいよ。うちの学年にはイジメはありません」

谷垣の小さな声は古瀬の耳にねっとりと絡み着く。

 古瀬はそっと、谷垣に気づかれないように肩で耳をこすり上げ「わかりました」と小声で返事をした。



 放課後、部活に行くもの、教室でおしゃべりしているもの、家路へと急ぐもの、授業後はこの三つのパターンに分かれる。今日は普段家路へ急ぐ、帰宅部チームたちも教室に居残りして、拝島の飛び降りについてネットにアップされた動画を見ながら噂話をしていた。

「やっぱりさぁ、一之瀬とか最近じゃぁ花井、イジメてたじゃん拝島。だから仕返しされたんだよ」

「この動画ってさぁ、一之瀬か花井が加工してネットにアップしたってことだよね」


 各々が噂話を教室内でしている。一之瀬は吹奏楽部と花井はバレーボール部だったが、二人とも部活を休んで、教室のこの噂話の火消をしていた。


「いや、僕たちはこの動画をアップしたりはしてないよ」

 一之瀬は教室に居残っているクラスメイトにアピールした。こんな時でもないと、一之瀬がみんなに注目されることはない。

「でもさぁ、一之瀬君がこの動画を撮影したって、聞いたよ」

 学級委員の村上優香は言った。真面目で成績優秀な彼女はクラスメイトからも担任からも信頼は厚い。みんなの視線は一之瀬から村上に移った。

「花井君はどうなの?お弁当食べられてた張本人でしょ」

「張本人じゃなくて、被害者」


 花井は優香の発言を訂正した。こういうところが、拝島や井草、手塚たちのしゃくに触るところなんだろう。いちいち言わなくてもよさそうなことを、言ってしまう。

「そうそう、被害者だよね。お弁当食べられたんだから。で、どうなのよ」

「俺も、一之瀬もあの動画をネットにアップなんてしてないよ。して何のメリットがあるってんだよ」

「拝島君のイジメをあばいて、復讐できるじゃん」

優香は笑顔たっぷり、口角を上げて、本当にこのゴシップを楽しんでいるようだった。


 一之瀬がもう一度クラスメイト達の注目を浴びるために、余計なことを言った。

「動画は僕が撮影したんだ。それを渡した相手は、花井君と谷垣先生だけだよ」

 一之瀬は誇らしげだったが、放課後居残りのクラスメイトたちはざわついていた。

「余計なことを……」

 花井は一之瀬を連れて、教室を出た。

「どうしてあんな余計なことを、ベラベラと言うんだよ。俺が元の動画をもらったこと言ったら、たとえあんな風に動画編集できなくても疑われるだろ。一之瀬いい加減にしろよ」

 一之瀬の胸ぐらを掴みながら花井は言った。


「拝島はあの告発動画からの、身元晒されで、飛び降りたんだよ。気分良くない?いつも僕たちをイジメてきたやつなんだよ。こんなことは因果応報、バチがあたったんだよ」


 花井は一之瀬の恨みや怨念、執念、憎しみ渦巻く感情に飲まれそうになった。一之瀬がこの動画を加工してアップしたのだろうと確信した。保守的で事なかれ主義の谷垣先生がこんな動画をアップするはずはないだろうと考えたからだ。


 しかし、一之瀬は今年から始まったパソコンの授業では苦戦している。キーボードがまともに打てない、スマホもアプリを親の許可なしにダウンロードもできない。アプリをダウンロードするためのパスワードは親に管理されている。つまり、一之瀬が動画編集できたとは思えないのだ。


 花井隆太郎は、拝島和也が飛び降りた事件と動画による告発、個人情報晒しの関係性にどうも疑問を抱いていた。一体誰が何のために、あんな動画を編集までして、アップしたんだ。そして、拝島の個人情報を晒すなんて、どういうメリットがあるのかを考えていた。


 SNSではあっという間に、拝島の動画はブームを終え、また新しいターゲットが注目を浴びていた。


 その夜、拝島和也は病院から姿を消した。まだ中学二年生の彼が行ける行動範囲は限られている。深夜看護師からの報告を受けて、母親から捜索願が出されたのは翌日の朝七時のことだった。飛び降りから二十四時間ほど経っていた。母親は看護師に促されて、しぶしぶ捜索願を出した。入院自体にも反対していたのは母親だった。


 そして再び事件は起こった。明け方、拝島和也の動画が再びネットにアップされたのだ。その動画には


【拝島和也、イジメ犯。病院から逃亡。現在行方不明。捜索願はしぶしぶ母親から出された模様。A君のお弁当横取り動画を再びアップします!拝島和也を見かけたら、ぜひぜひ共有しましょう】

 

とあった。それからこの一連の事件が解決するまで、拝島和也は行方知れずとなった。

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