第1部最終話 飛翔
カルリアナがプロポーズの返事をしてから三か月がたった。
今日、カルリアナは婚約式を挙げる。もちろん、相手はディートシウスだ。
念入りな準備が必要な王族の婚約式としては早いくらいだが、国民が明るい話題を求めていることもあり、ディートシウスの采配で早期の実現となった。
イングベルトの処刑が決まったことで、ディートシウスの王位継承順位は第三位から第二位に繰り上がった。
とはいえ、アーロイスの力添えもあり、この婚約に反対する者は誰もいなかった。もちろん、カルリアナとディートシウスがほうぼうに根回しした成果でもある。
まだ先だが、結婚後、カルリアナはディートシウスの専属司書から退く。これからは王子妃として彼を補佐していくことになるだろう。
ディートシウスの役に立てるのだから、自分で領地を治めていてよかったと思う。多分、公爵領経営の手助け以外は、専属司書のときと仕事内容はあまり変わらないだろうけれど。
「屋敷の図書室はカルリアナのものだね」とディートシウスはうれしそうに笑っていた。
王室の一員として公務に携われるようになったら、やりたいことがある。王立図書館を増やしたい。そして、たくさんの人が図書館の資料を活用できるように、平民、特に貧困層への教育にも力を入れたい。
構想を話したら、ディートシウスも賛同してくれた。「いいね、君らしい」と言って。
前日には、執事のジムゾンだけでなく、メラニーも泣いていた。「お嬢さまがやっと幸せなご結婚をなさるのです。しかも、お好きなお相手と! 感無量です……」と声を震わせて。
カルリアナも「まだ結婚式を挙げるわけではないので」などと野暮なことは言わず、メラニーを抱きしめた。
「次はメラニーの番ですね」
そうささやくと、メラニーは「ひえっ」と変な声を上げた。
「わたしはまだクラウスさまとはそういう関係ではございませんので! 明日、お嬢さまと殿下のお祝いがてら食事に行くことになってはいますが、お付き合いしているとかそういうことではございませんので!」
しっかりクラウスを意識しているメラニーの様子が、カルリアナはほほえましい。しかも、いつの間にか「ナウマン大尉」から「クラウスさま」に呼び方が変わっている。
もちろん、クラウスやゲーアハルトをはじめとした陸軍総司令部のみなも祝福してくれたが、意外な面々も祝いを述べてくれた。
ゴッテスフォーゲルの夫婦だ。
罪を免れた信徒からカルリアナとディートシウスの婚約の話を聞いたらしい。連絡役となった信徒から「せっかくのめでたい日だ。何か我々にできることはないか」という伝言を受け取ったカルリアナとディートシウスは顔を見合わせた。
ややあって、ディートシウスがいたずらを思いついた子どものような顔をして、「じゃあ、こう伝えてくれる?」と言い出した。
……そんなわけで、カルリアナは婚約式当日の朝、ディートシウスとともに王都ゾネンヴァーゲンにある小高い丘の上にいた。
「で、どういうことですか? これから何をなさるおつもりなのです?」
カルリアナは今まで話をはぐらかして答えてくれなかったディートシウスに詰め寄る。
ディートシウスはあっけらかんとした表情で言った。
「いやー、国民と列席者へのサプライズに、ゴッテスフォーゲルに乗って王宮前まで飛んでいこうかと思ってさー」
カルリアナは額に手を当て、呆れてみせた。
「まったく、あなたという方は……」
「えー、絶対効果的だと思うんだけどー。伝説の存在に乗って現れる婚約者たち! 後世まで語り継がれること間違いなし!」
「とんでもない婚約式の当事者として語り継がれたくはございません」
「そう? 俺は構わないよ。それに、これくらいしないと王室の支持率は急激に回復しないだろうし」
「……一応、考えてはいらっしゃるのですね」
「そ、俺は深慮遠謀でできているから」
カルリアナは「はあ」とため息をつく。そのあとで思わずくすりと笑ってしまった。彼といると、本当に退屈しない。この人を夫に選んだ以上、きっと自分の人生は穏やかとは無縁のものになるだろうけれど、それでも構わない。
「好き」という感情は本当に厄介なものだ。自分では制御できないし、それが原因で身を滅ぼすこともある。
(ですが、わたしは後悔しません。何をおいてもわたしを助けに来てくれたこの人を選んだことを)
高ぶる気持ちを抑えられず、ディートシウスに寄り添い、広い肩に頭をくっつける。ディートシウスは南国の海のような碧眼をみはったが、すぐに抱きしめてきた。そのまま、唇を奪われる。
互いの唇を吸い合っていると、上空から声がかけられた。
〈おや、お邪魔だったかな?〉
聞き間違えるはずのない神鳥言語を耳にし、カルリアナは悲鳴を上げてディートシウスから離れた。
ディートシウスは少し残念そうな顔をしたあとで、空を見上げた。カルリアナも彼に倣うと、ゴッテスフォーゲルの夫婦が丘に舞い降りてくるところだった。
〈今日はチビちゃんはご一緒ではないのですか?〉
気を取りなおしてカルリアナが尋ねると、ゴッテスフォーゲルの母親が笑いを含んだ声で応じた。
〈あの子は人がたくさんいるとはしゃいでしまうので、お留守番していますよ。さあ、わたしたちの背にお乗りなさい〉
〈本当によろしいのですか? 多くの人々の前に姿を現すことになっても〉
父親が答えた。
〈構わない。どのみち、我々はあのクーデター未遂の日に人前に現れた。国王が【聖地】を保護区に指定してくれたおかげで、人族も我々には手出しできないしな〉
〈安心して子育てができているのですよ。これもすべて、あなたがたのおかげです〉
カルリアナが彼らの言葉を通訳すると、ディートシウスは爽やかに笑った。
「こちらこそありがとう。王宮の前まで、わたしたちを連れていってくれ。今日は門が開かれているはずだから、その辺りに」
カルリアナとディートシウスは、それぞれゴッテスフォーゲルの夫婦の背に分かれて乗った。
ゴッテスフォーゲルが空に舞い上がる。翼をはばたかせ、風に乗る。みるみるうちに地上が小さくなっていく。夏の涼風が気持ちいい。〝高所恐怖症でなくてよかったです〟とカルリアナは心から思った。こんな機会はそうそうないだろうから。
(これでは、まるで殿下――いえ、ディートの思考ですね)
「ディートって呼んで」と甘えられたのは、プロポーズを受けてすぐのことだ。もちろん、カルリアナに否やを唱える気はなかった。
あっという間にゴッテスフォーゲルは王宮の上に到着し、開かれた門の前にふわりと着地する。一目婚約式の様子を見ようと詰めかけていた人々が、いったん波のように引き、遠巻きにゴッテスフォーゲルの夫婦を凝視している。
ディートシウスはゴッテスフォーゲルの父親の背から降りると、カルリアナの手を取って降ろしてくれた。
「あれ……ディートシウス殿下じゃないか?」
「ほんとだ! 俺、
「噂以上のイケメン……!」
「じゃあ、あの女性がアルテンブルク伯か!」
「奇麗な方ねえ!」
「あの鳥って、もしかして伝説のゴッテスフォーゲル……?」
「聞いたことがあるわ。クーデター未遂の日にゴッテスフォーゲルが王都に現れたって」
「【聖地】が急に保護区に指定されたのって、もしかして……」
「王室はゴッテスフォーゲルに守護されているのか!?」
「吉兆だ! ディートシウス殿下万歳! アルテンブルク伯万歳!」
どうやら、ディートシウスの作戦は大成功だったようだ。カルリアナはディートシウスとほほえみ合った。
カルリアナとディートシウスはゴッテスフォーゲルの夫婦にお礼を言い、手を取り合って王宮の門を潜った。目指すは王室礼拝堂だ。その前に婚約式用の衣装に着替える必要があるけれど。
王宮の正面玄関の扉からゲーアハルトとクラウスが現れ、敬礼する。ゲーアハルトはおかしそうに笑いをこらえ、クラウスは呆れ顔で。
ディートシウスが彼らに手を振ってから、こちらを優しい目で見る。
「行こう、カルリアナ」
「はい、ディート」
二人は手を
第1部・完
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