第39話 最後の一撃

 イングベルトを人質に取られた彼の部下たちは、武器を捨てて投降した。ディートシウスの強さとゴッテスフォーゲルの凄みを目の当たりにしたことも、彼らの戦意を喪失させるには十分だったようだ。


 クラウスはゴッテスフォーゲルの父親の背に乗り、事態の報告をするためにいったん王宮に向かっている。ここにとどまっているのは、カルリアナとディートシウス、三名の護衛隊員たちだ。


 カルリアナはゴッテスフォーゲルの背から降り、ヒナ鳥のくちばしから解放されたオイゲーンの前に立った。オイゲーンは完全に戦意を喪失したらしく、力なくへたり込んでいる。

 カルリアナは無表情で告げた。


「先ほどまでとは立場が逆になりましたね」

「わ、わたしが悪かった! 君との婚約を破棄したことも、イングベルト派についたことも! 謝る! 誠心誠意謝罪するから命だけは助けてくれ!!」


 カルリアナはため息をついた。彼にプライドというものはないのだろうか?


「わたしはもう、あなたの謝罪など必要としていませんよ。二度とわたしの前にその存在を現さないと約束していただければ、それで結構です」

「わかった! 約束する! 約束するから助けてくれ!!」

「何都合のいいことを言っちゃってるわけ?」


 会話ともいえない二人の会話に割り込んできたのは、ディートシウスだった。彼は冷たい目でオイゲーンを見下ろす。


「カルリアナの心も名誉も傷つけたうえに、自分勝手な都合でつきまとった挙げ句、彼女をさらう片棒をかついだ。たとえ彼女がゆるしても、わたしはお前を赦す気はない」


 オイゲーンが地べたに座り込んだまま、「ヒッ」と声を上げ、あとずさった。

 ディートシウスはそんな彼に冷ややかで美しい顔を近づけると、声を低める。


「二度と彼女に近づけないようにしてやるよ、ドクズ野郎」


 そう吐き捨てたあとで、ディートシウスはカルリアナの肩を抱く。


「とはいえ、お前が婚約破棄をしたことだけは感謝しているよ。カルリアナはわたしが一生かけて幸せにする」

(こんなに大勢の人前でなんてことを言うのでしょう……!)


 そう思いはしたが、悪い気はしなかった。彼にここまで言わせるほど想われて、自分は幸せだと感じられたから。

 ちょうどそのとき、特徴的な鳥の声が響き渡り、ゴッテスフォーゲルの父親が上空から舞い降りてきた。クラウスがその背から降り、ディートシウスに報告する。


「殿下、ご推察のとおり、王宮のイングベルト派はシュノッル大佐率いる陸軍が制圧いたしました。大佐へのご報告を済ませてまいりましたので、じきに近衛兵団がこちらに到着する予定でございます」

「うん、それは何よりだ。ご苦労だったね」


 クラウスの言うとおり、しばらくすると、騎乗し近衛兵団長に率いられた近衛兵たちと近衛兵団の馬車が到着した。

 近衛兵団長がディートシウスに敬礼したあとで、護衛隊員たちに取り押さえられているイングベルトに向きなおる。


「イングベルト殿下、アルテンブルク伯を略取し、王位簒奪さんだつを企んだ罪人として御身を逮捕いたします」


 イングベルトは何も答えなかった。疲れたような表情で近衛兵団長に両手を差し出す。近衛兵団長は魔道具の手錠をイングベルトの手首にかけた。近衛兵団長に促され、イングベルトは馬車に乗り込もうとする。

 そのとき、ディートシウスが一歩前に進み出、口を開いた。


!」


 一拍遅れて、イングベルトが振り返る。

 ディートシウスはイングベルトに駆け寄った。


「あなたとは別の形で出会いたかった」


 ディートシウスの緑がかった青い瞳が揺れている。繊細な少年のような表情。

 イングベルトの青い瞳が、大きく見開かれた。

 そのあとで彼は苦笑し、こう応えた。


「わたしはたとえ生まれ変わったとしても、どんな形であれ、お前と出会うのはごめんだ」


 イングベルトは顔を前に向けると、しっかりとした足取りで馬車に乗り込んだ。

 カルリアナの胸は痛んだ。血はつながっていないのかもしれないが、二人は確かに兄弟だったのだ。


 カルリアナはディートシウスの隣まで歩いていき、その手を軽く握った。

 ディートシウスが驚いたようにこちらを見る。カルリアナが彼を見つめ返すと、ディートシウスはふっと口元を綻ばせた。


「王宮に戻ろうか。ゲアも兄も待ってる」

「はい」


 ディートシウスが強く手を握り返してくれた。このとき感じた彼の手の温もりを、自分は生涯忘れないだろう。

 カルリアナはディートシウスにほほえみ返した。


「殿下、助けに来てくださって、ありがとう存じます」


 ディートシウスは鼻の頭をかいた。


「礼を言われるほどのことじゃないよ。……実はね、俺、君がさらわれたと知ったとき、すぐには動けなかった。背中を押してくれたのは兄だし、ゲアがいなかったらここには来られなかったかもしれない。だから、君に謝らなくちゃならないんだ。本当にごめんね」


 カルリアナの胸は熱くなる。ディートシウスの実直さがうれしかった。


「王族の方としても元帥としても当然です。謝罪なさる必要はございません」

「ありがとう」


 ディートシウスの微笑は優しい。カルリアナは彼にしか聞こえないようにささやく。


「わたしは、殿下のそういうところが大好きです」

「え!? 今、なんて……」

「お耳に届かなかったのなら、別によろしいです」

「えー! もう一回言ってよー」

「もう言いません」


 ディートシウスはしばらく粘っていたが、先ほどまでとは違い、とても楽しそうに笑っていた。


   ***


 イングベルトのクーデター未遂から一か月後。


「イングベルトとオイゲーンの処遇が決まったよ」


 シュテルンバール公爵邸の図書室に入ってきたディートシウスが、カルリアナにそう切り出した。カルリアナは黙って続きを待つ。

 ディートシウスは椅子に腰掛けながら視線を落とした。


「新聞にもまだ載っていないけど、イングベルトは処刑されることに決まった。大逆罪を犯したからね。仕方のないことだと思っているよ。本人も受け入れているらしい。……これで、やっと彼も血のゴタゴタから解放されるのかもしれない。後世の人間は人の気も知らず、いろいろ書き立てるんだろうけどね」


 ディートシウスの心中を思うと辛くて、カルリアナは目を伏せた。

 ディートシウスが口調を明るいものに変える。


「オイゲーンはイングベルトの計画に深くは関わっていなかったと見なされて、処刑は免れた。まー、小悪党だったからね。けど、大逆罪に加担したことに変わりはないから、僻地へきちの監獄に収監されるそうだよ。しかも、強制労働のおまけつきだ。判決のとき、本人は『嫌だ嫌だ』とみっともなく泣きわめいていたらしい」


 修道院での生活もあれほど嫌がっていたのだから、オイゲーンにとってはまさに地獄だろう。

 すでにオイゲーンはヒルシュベルガー子爵夫妻から勘当されている。彼が逮捕されたあと、子爵夫妻は再びカルリアナのもとに謝罪に来てくれた。すっかり老け込んだその姿を目にしたカルリアナは、これまでどおり親戚付き合いは続けてほしいと頼んだ。


 涙ぐむ夫妻を前にカルリアナはこう考えていた。

 どうしようもない親から素晴らしい子どもが生まれることもあれば、彼らのようにまともな親から、オイゲーンのようなろくでもない息子が生まれることもある。それ自体は仕方のないことなのだ。

 そう割り切ることができたのは、ディートシウスがそばにいてくれるからかもしれない。


「それはともかく、これで奴は君の前には二度と影も形も現せなくなる。安心した?」


 安心したというより、ようやく自分の気持ちにケリがついたような気がする。長い時間を許嫁いいなずけとして過ごした人に裏切られた怒りと虚しさから、ようやく。

 ディートシウスに問われ、カルリアナは一言だけ口にした。


「そうですね」


 ディートシウスは表情を改めた。


「俺も、一歩間違えばイングベルトのようになっていたのかもしれない。あんなふうに、子どものころから自分の出生に疑念を抱かせつづけられていたら、耐えられたかどうか……」


 ディートシウスはすでにカルリアナが先王の日記を読んだことを知っている。あの鍵は彼に返却済みだ。

 このクーデター騒動で国民の王室に対する支持率は、若干下がってしまった。「身内同士で何をやっているんだ」というのが王室不支持派の意見らしい。


 あと何代もたてば、すべてではないにしろ日記の内容も一般に公開されるのかもしれない。そのとき、人々は初めてイングベルトをはじめとした王室の人々の苦悩を知るのだろう。


〝それでも〟とカルリアナは思った。〝ディートシウス殿下はイングベルト殿下とは違います〟と。オイゲーンにも言ったように、彼はそんなにやわな人ではない。

 だから、カルリアナは言った。


「殿下はそんなことをなさるような方ではいらっしゃいません。それは、軽薄・面倒・迷惑と三拍子そろっているうえにまったく年上らしくなくて、一見よいところは顔と声と地位と能力だけかもしれませんが、超えてはいけない一線をご承知なさっていらっしゃいます」


 ディートシウスは形のよいホワイトブロンドの眉を上げた。


「恋人に向かってひどいな、それ。本音? ていうか、それだけ取り柄があれば十分でしょ」


 カルリアナは声に覚悟を込めて答えた。


「一部本音ではありますが、わたしは物好きなようです」


 ディートシウスの表情が、ぽかんとしたものに変わった。


「物好き?」


 カルリアナは頬と耳を熱くさせて言った。


「そんな方を……夫にしたいと思ってしまったようなので」


 本当はディートシウスが駆けつけてくれた直後にプロポーズの返事をしたかった。だが、今回のクーデター未遂に関わりを持ってしまった者として、イングベルトとオイゲーンの判決が出てから返答をするのが筋だと思ったのだ。

 ディートシウスが椅子から立ち上がった。近くの書架の前に立っているこちらのそばまで歩み寄ってくると、そっとカルリアナを抱きしめる。


「それって、俺と結婚してくれるってこと?」

「そうなりますね」


 ディートシウスの腕の力が強まった。彼はカルリアナをぎゅっと抱きしめ、しばらくそのままの体勢を保つ。そのあとで、カルリアナの背に手を回したまま、身体を少しだけ離した。

 ディートシウスの右手がカルリアナの左頬に触れる。キスされることがわかっていたが、カルリアナは異議を唱えなかった。

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