第38話 救出(後半ゲーアハルト視点)

 オルゴールボールの音が余韻を残しながら消えてしまうと、代わりに慌ただしい人声が扉の外から聞こえてきた。

 強い魔力を持つというゴッテスフォーゲルが転移魔法を使って現れたのかもしれない。彼、あるいは彼女が現れれば、間違いなく騒ぎになるだろう。

 カルリアナは急いでオルゴールボールの紐を三つ編みを束ねる髪飾りに巻きつけた。


 次の瞬間、両開きの扉が開かれる。自身の護衛隊員たちとオイゲーンを引き連れたイングベルトがそこにいた。


「アルテンブルク伯、ともに来てもらおう」

「何があったのですか?」


 カルリアナは問いかけた直後に、自分の願望が実現しなかったことを悟った。

 イングベルトが焦りではなく余裕の笑みを浮かべていたからだ。


「来ればわかることだ」


 もしかして、自分の祈りは不発に終わってしまったのだろうか。

 カルリアナは内心で動揺したが、他に選択肢がない以上、イングベルトについていくしかない。カルリアナは初めてこの部屋から出、長い廊下を歩かされた。階段を下り、一階へと向かう。


 広い玄関ホールに出ると、イングベルトの配下らしき騎士たちが出入り口の扉を半円状に取り囲んでいる。

 扉の前に彼――ディートシウスが怖いくらい真剣な顔つきをして立っていた。うしろには隊長のクラウスをはじめとしたディートシウスの護衛隊員たちもいる。

 カルリアナを見たディートシウスの表情が少しだけ緩んだ。


(来てくれた……)


 ディートシウスなら兄王と国を選ぶと思っていたのに。

 予測が外れたショック。ディートシウスが自分を選んで駆けつけてくれたことに対する喜び。〝そんなことをしている場合ではないでしょう〟という怒りが、ない交ぜになってカルリアナを揺さぶった。

 イングベルトは自身の隣にカルリアナを立たせながら、勝ち誇ったような顔で言った。


「愛しい彼女の無事な姿は見せてやったぞ。おとなしくわたしの言うことに従え」


 ディートシウスが応えた。


「まずは何をすればいい?」

「武器を捨てろ。護衛隊員たちもだ」


 ディートシウスたちが腰に帯びた剣を取り外そうとする。

 カルリアナは叫んだ。


「わたしには構わないでください!」


 言い終わる前に、カルリアナはさりげなく手で三つ編みの先端を胸の前に垂らし、オルゴールボールがディートシウスの視界に入るようにした。

 一瞬、ディートシウスは緑がかった青い目をみはり、小さくうなずいた。

 そのとき、ディートシウスが前に立つ扉から、一人の軍人が息せき切って飛び込んできた。


「イングベルト殿下! 外に巨大な鳥が!」

「そんなことはあとにしろ! 魔物と不審者を追い払うのがそなたらの役目だろう!」


 そうイングベルトが叫んだ瞬間、玄関ホールの窓ガラスが割れた。物凄い風が狂ったように吹き込んでくる。

 両腕で顔をかばったあとで、カルリアナは窓を見た。鳥の目がこちらをのぞいている。それも、とてつもなく巨大な。カルリアナはその目に見覚えがあった。


「ゴッテスフォーゲル!」


 カルリアナが思わず大声を上げると、軍人たちのざわめきが大きくなった。


「ゴッテスフォーゲル……あの、神ともうたわれた伝説の……」

「魔物ならともかく、神の眷属けんぞくと戦って勝てるのか……?」


 剣を捨てようとしていたディートシウスが素早く動く。クラウスもだ。

 びゅっとこちらに駆け寄ってきたディートシウスが、周囲の軍人をなぎ倒し、カルリアナの肩を抱く。そのままカルリアナを横抱きに抱え上げ、ガラスの割れた窓から外に出る。


「ひゃっ、わ」


 カルリアナが口の中で叫び声を上げると、ディートシウスがくすりと笑う。


「可愛い」

「こんなときに何をおっしゃっているのですか!」

「ごめんごめん。あ、見て、ゴッテスフォーゲルたちだ」


 ディートシウスに促され前を見ると、そこには【聖地】探索時に出会ったゴッテスフォーゲルの夫婦がいた。彼らの間には一回りも小さいヒナ鳥がちょこんと立っている。


「あのときの卵がかえったのですね……!」


 自分が守った命の結果が目の前にあることに、カルリアナの胸は熱く震えた。

 ふわふわの羽毛に覆われたヒナは、ディートシウスに抱えられたカルリアナやあとに続いてきたクラウスたちが近づいていくと、「だあれ?」とでも言いたげに小首を傾げた。


「カルリアナ、彼らに俺たちを乗せて、俺の屋敷まで飛んでくれるよう伝えてくれ。まずは君の安全を確保しないと」

「了解しました」


 カルリアナはゴッテスフォーゲルたちにディートシウスの要望を伝えた。


〈よかろう。我らはそなたに恩を返すためにせ参じたのだから〉


 父親となったゴッテスフォーゲルが答えると、母親が目を細めながら言った。


〈あなたの美味なる想い、確かに受け取りました〉

(ああ……やっぱり伝わってしまっていたのですね……!)


 カルリアナは悶絶もんぜつしそうな気分になったが、なんとか表には出さずに〈そうですか〉とだけ返した。

 カルリアナが彼らの意を伝えると、まずディートシウスがゴッテスフォーゲルの母親の背に乗り、カルリアナに手を貸してくれた。カルリアナも彼女の背に乗る。

 クラウスたちも父親の背に乗った。ヒナ鳥が自分も人を乗せてみたい、と言いたげに「ピイ!」と鳴く。


「いたぞ!」


 声のした方を見ると、イングベルトを先頭にして十数人の軍人たちが追いかけてきた。


「ふーん、少ないな」


 ディートシウスは事もなげにそう漏らすと、ゴッテスフォーゲルの背から軽やかに飛び降りる。


「ディートシウス! 覚悟!!」


 オイゲーンが剣を手にディートシウスに挑みかかってきた。ディートシウスは剣を抜くまでもなく、オイゲーンの剣をひょいと素手で受け止め、その力を利用して彼をぶん投げた。


 もんどり打ってひっくり返ったオイゲーンをヒナ鳥がつつき、パクっとくわえた。ヒナ鳥といえども、その身体は大人が一人乗れるくらいには大きい。くわえられて宙に浮いたオイゲーンは悲鳴を上げながら手足をバタつかせた。


(無様ですね)


 ゴッテスフォーゲルの夫婦が声を重ねながら厳かに告げた。


〈この者たちに手出しする輩は、たとえこの国の王侯であろうと容赦はしない〉


 その神々しいまでの姿と声に、彼らの言葉がわかるはずもないイングベルトたちも一瞬たじろぐ。

 ディートシウスが動いた。目にも留まらぬ速さでイングベルトに近づき、抜き放った短剣をその首筋に当てながら両腕を拘束する。


「動くなよ」


 イングベルトは悔しげに顔をゆがめたが、強がるように笑顔を作った。


「ここに来た時点でそなたの負けだよ。勝ったのはわたしだ。今頃、王宮ではわたしの配下の者たちがアーロイスを捕らえている」


 ディートシウスがおかしそうに笑う。


「わたしの副官を甘く見ないでほしいね。今頃、彼があなたの配下を制圧していると思うよ。強さと指揮能力の高さに身分は関係ない」


   ***


 そのころ、王宮ではゲーアハルトがテキパキと陸軍に指示を下し、王宮の制圧を目論んだイングベルトの配下たちの掃討に取りかかっていた。


「あらかた片づいたかな」


 ゲーアハルトは現場を大将たちに任せ、国王一家が身を隠している部屋に向かった。

 扉をノックして中に入ると、美しい女性の姿をした幻神げんしんが出迎えてくれた。姿はたおやかだが、その実力はゲーアハルトが召喚できる幻神の中でも一、二を争う。

 ゲーアハルトはアーロイスの前に進み出、敬礼した。


「国王陛下、イングベルト派の一掃は時間の問題でございます。今しばらくはこちらにおいでになったほうがよろしいかとは存じ上げますが」

「さすがだな、シュノッル大佐。あのディートシウスが認めるだけのことはある。そなたの幻神が守ってくれたおかげで、妻と娘に危害が及ばずに済んだ。後日、必ずそなたを昇進させよう。楽しみに待っていてくれ」

「ありがたき幸せにございます」


 恭しく応えながら、ゲーアハルトは思った。


(やれやれ、昇進したらディートの副官から卒業か。少し寂しいな。ま、それはともかく、彼は愛しの君を助けられたのかな)


 いや、ディートシウスなら必ず目的を達成し、元気な姿でここに戻ってくるだろう。


 ディートシウスが自分を信頼して、彼の大切な兄王の守護を任せてくれたとき、ゲーアハルトはうれしかった。

 正直、十五年来の親友に結婚したいほど好きな女性ができたばかりのころは嫉妬を覚えもしたが、今なら心から二人を祝福できる。

 恋人は恋人、親友は親友だ。おのおの別の役割があり、それ以上でもそれ以下でもない。

 ディートシウスの心に、自分の居場所があれば、それでいい。


(わたしも恋をしてみようかな。クラウスもアルテンブルク伯の侍女と仲がいいようだし)


 ゲーアハルトは心の中で小さく笑うと、ディートシウスを出迎える準備をするために、アーロイスの御前から退出した。

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