第37話 自分に正直に(前半ディートシウス視点)

 ディートシウスの顔色は、よほど悪かったのだろう。アーロイスが気遣わしげに尋ねてきた。


「ディート、何があったのだ?」


 イングベルトがクーデターを起こすかもしれないという情報は、アーロイスにも伝えてある。そのときのアーロイスの顔は忘れられない。「そうか」とつぶやき、「事前に拘束するのだけはやめてやってくれ」と言っていた。

 ディートシウスは事情を説明した。

 話を聞き終えたアーロイスは深刻な表情でびた。


「……すまないな、ディート。そなたから情報がもたらされた時点で、イングベルトを即刻逮捕するべきだった。わたしの一存でアルテンブルク伯を巻き込んでしまったこと、本当にすまない」

「そんな、兄上が謝られることは……」

「いや、罪滅ぼしをさせてくれ。ディート、伯爵を助けに行きたいのだろう?」


 ディートシウスは答えられなかった。

 本音を言えば、今すぐにでも彼女を助けに行きたい。「無事でよかった」と彼女を抱きしめて、「人前で何をしていらっしゃるのですか」と怒られたい。そして、もう一度、彼女に結婚を申し込みたい。


 だが、正直に「助けに行きたい」と言えば、兄を裏切ってしまうような気がした。

 ディートシウスの表情に何を見たのか、アーロイスはこちらを安心させるようにほほえむ。


「わたしには近衛兵団がいるから大丈夫だ。そなたがわたしに恩を感じる必要はない。すべてわたしがしたいからしてきたことだ。ディート、自分に正直になってよいのだぞ」


 ディートシウスは驚きを隠せなかった。兄はとっくに、自分の心のうちを見透かしていたのだ。

 兄は言葉を付け足した。


「そなたが自分に正直に振る舞ったからといって、わたしがそなたを嫌いになることなど、あり得ない」


 目に涙がにじんだ。


(そうか……血が半分しかつながっていないから一線を引いたんじゃない。兄上から、血を理由に嫌われるのが怖かったんだ)


 大好きな兄に嫌われたら、辛すぎて生きていけないから。

 でも、ディートシウスが世界で一番大切にしたい人は、もう兄ではなかった。

 ディートシウスは震える声で応えた。


「……ありがとうございます、兄上。わたしはこれから、彼女を助けに行ってまいります」

「ああ、それでよい」


 ディートシウスは椅子から立ち上がり、アーロイスに敬礼すると、うしろに控えていたゲーアハルトに命じた。


「シュノッル大佐、今日一日、そなたに陸軍の全権を委任する」

「……大将たちを差しおいて、でございますか?」

「ああ。陸軍でわたしの次に強いのはそなただ。幻神げんしんを使役しても構わぬ。なんとしてでも国王陛下をお守りしろ」


 ゲーアハルトはほほえんだ。


「御意」


 兄と親友に見送られながら、ディートシウスは控えの間で待機していたクラウスと護衛隊員たちを連れ、居間を出ていった。


   ***


 一方、カルリアナは。


(本当に、厄介な結界ですね……!)


 イングベルトが去ってから一通り試してみたが、結界のせいで脱出に役立ちそうな魔法を使うことは不可能だった。

 使うことができた数少ない魔法は、明かりを灯すなどの脱出には関係ないものばかり。固有魔法の【知識具現化】は辛うじて使うことができた。おそらく、【知識具現化】は脱出の方法を調べることはできても、直接的には役に立たないからだろう。

 事実、【知識具現化】で脱出の方法を調べても、そのための魔法が使えず道具も用意できないので、あまり意味がなかった。


(一体どうすれば……この結界を張った者よりも強い魔力を持つ者なら、無効化も可能でしょうが、わたしではとても……)


 常人よりも強い魔力。


 カルリアナはハッとした。強い魔力を持つといわれる人ならざるもの、神の鳥ゴッテスフォーゲルと彼らから贈られたオルゴールボールのことを思い出したのだ。


 あのオルゴールボールは神具だ。おそらく音を響かせ、特殊な波長を出すことでゴッテスフォーゲルと意思を通じ合わせていたのだろう。魔道具はこの結界に無効化されてしまう可能性が高いが、神具ならば使える可能性が高い。


 オルゴールボールはディートシウスから預かった鍵と一緒に、スカートの中の腰巻きポケットに入っていた。

 両手を縛られていなくてよかった。カルリアナはスカートのスリットに手を入れ、腰巻きポケットからオルゴールボールを捜した。


(あった……!)


 ただ、ゴッテスフォーゲルはこう言っていた。


 ――我らの助けが必要なときに、想いを込めてこれを鳴らすとよい。


 そして、「想いを込めるとはどのように?」と尋ねたカルリアナに、「そなたほどの知性を持つ者ならば、時が来ればわかるはず」とだけ答えたのだ。


(ゴッテスフォーゲルの買いかぶりではなかったことを証明しなければなりませんね)


 ゴッテスフォーゲルの助けを得るために、カルリアナは考えた。今までに得た知識を総動員した結果、ふと、ゴッテスフォーゲルの生態について書かれた、ある文章を思い出す。

 彼らは種族を問わず、人の正の感情を好むのだという。確か、最も好む感情は――


 記憶の細部を確認するために、カルリアナは【知識具現化】を使った。

 具現化した本が空中に出現し、カルリアナの両手に降りてくる。カルリアナの意思に呼応し、ページがめくられていく。


(ゴッテスフォーゲルが最も好む感情……あった!)


『彼らが最も好む感情――それは愛だ。親子の愛情、人が人を慈しむ愛情、どれも彼らの好むものではあるが、中でも恋を伴う愛情を好む傾向がある』


 つまり今までの情報を組み合わせると、恋する人のことを想いながらオルゴールボールを鳴らせば、ゴッテスフォーゲルが助けに来てくれる、ということのようだ。

 カルリアナは赤面した。確かに自分には「恋する人」がいる。でも、ゴッテスフォーゲルがその感情をささげものとして味わうのだと思うだけで、恥ずかしすぎた。


(……仕方ありませんね。背に腹はかえられません)


 カルリアナは覚悟を決めた。ディートシウスの麗しい姿を思い出しながら、彼の好きなところを心の中で挙げていく。


 うざったいくらいに明るいところ。

 それでいて繊細なところもあり、ときおり人をドキッとさせるところ。

 頭の回転が早く、決断力があるところ。

 演劇について深く語れるところ。

 実は察しがよくて、いつも何気ないふりをしながら気配りをしてくれるところ。

 そして何より、こちらを大切にしてくれるところ。

 そうそう、顔と声も好きだ。これは自分でも認めたくはないけれど。


 カルリアナは彼にイングベルトの魔手が伸びないことを祈りながら、オルゴールボールを鳴らした。

 助けに来てほしいとか、そんな我がままは言わない。

 ただ、彼に健やかで幸せでいてほしい。たとえ、自分がこの世からいなくなったとしても。

 ディートシウスこそが、今の自分にとって最も愛しい人だから。

 鈴とは違う、オルゴールボールの妙なる調べが室内に響き渡った。

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