第36話 賭け(後半ディートシウス視点)

 カルリアナは歯がみしたい気分で、室内を歩きまわっていた。


(どうにかして、ここから出ないと……)


 でないと、ディートシウスの重荷になってしまう。

 自分を選ばないでほしいと願うだけでは何も解決しないどころか、事態が悪化していくだけだ。


 まさか、アーロイスに化けたイングベルトがわざわざカルリアナをさらうために現れるなど、想像もしていなかった。

 とはいえ、護衛の入れない中央書庫にのこのこと出掛けてしまったのは自分の手落ちだ。


 不意にノックの音が響いた。返事をしないでいると、鍵が音を立てて開く。

 入ってきたのはイングベルトだった。


「目が覚めたようだな。いい夢は見られたかな?」

「最悪の寝覚めでした」

「フッ……話には聞いていたが、ディートシウスは気の強い女性が好みだったのだな」


 彼にディートシウスの好みについてあれこれ言われたくない。

 話題を変えるために、カルリアナは問いかけた。


「イングベルト殿下、わたしをさらった理由は、クーデターの際にディートシウス殿下を無力化なさるためですか?」

「やはり気づいていたか。それとも、ディートシウスから自分の身に起こり得ることを聞いていたのかな?」

「両方ですね」

「そうか。それに、うまくディートシウスをこちらにおびき寄せられれば、クーデターが成功しやすくなるのでね」

「ディートシウス殿下は女一人のために国王陛下を捨ておいてこちらに駆けつけるような方ではございません」

「それはどうかな? 聞くところによると、奴はそなたに相当参っているそうではないか。あの日、劇場にオイゲーンを向かわせたのは正解だったよ。オイゲーンを前にして、ディートシウスとそなたは晴れて恋人同士になれたのだろう?」


 そういうことだったのか。あれは、ディートシウスにとってカルリアナが唯一無二の存在になるよう仕向けるためだったのだ。


(実に狡猾こうかつな男ですね……)


 彼はおそらく、ディートシウスのことを弟だとは思っていない。確実に父王の血を継いでいるディートシウスを本気で憎んでいる。

 だからこそ、ディートシウスの心を操ることに、なんの罪悪感も抱いていないのだ。


 今、自分にできることは何か。

 考え始めて数秒後、カルリアナはひとつの決断をした。無駄かもしれないが、あがいてみようと思った。


「イングベルト殿下、ひとつ賭けをなさいませんか?」


 イングベルトは眉を動かした。


「賭け?」

「はい。わたしの謎かけに殿下がお勝ちになれば、わたしはおとなしくしております。ですが、わたしが勝てば、解放していただきます」


 イングベルトは微笑した。


「なるほど、おもしろそうだ」

「では、卵から生まれ、空を飛ぶ動物は?」


 カルリアナの謎かけに、イングベルトは腕を組み、考え込んだ。


(こういう仕草は、ディートシウス殿下とよく似ていますね……)


 たとえ血がつながっていなかったとしても、彼らが「兄弟」としての時間を過ごしたことは事実なのだろう。

 イングベルトが口を開いた。


「鳥」

「答えは竜です」


 カルリアナの答えにイングベルトは肩をすくめた。


「不公平な謎かけだな。わたしの答え次第でいくらでも正解を変えられる」


 それこそが、この謎かけの優れた点だ。しかし、ここでイングベルトを怒らせてもなんの得にもならないので、カルリアナはこう提案した。


「では、もう一問出しましょう。今度は正解がひとつしかない謎かけです」

「どうぞ」

「身体にぶちのある首の長い獣は?」


 イングベルトは先ほどよりも長いあいだ考え込んでいた。やがて、彼は答えた。


連銭芦毛れんせんあしげの馬」


 カルリアナはにっこり笑ってみせた。


「答えはキリンです。ご存知ありませんか? はるか南方の大陸に生息する、馬よりもずっと首の長い動物です」


 イングベルトは楽しげに笑い出した。


「さすが、評判の司書なだけはあるな。あのディートシウスが入れ込むわけだ。だが、一般によく知られていない生き物を答えにするのは不公平だ。時間を稼ぐつもりかもしれないが、この賭けは無効にさせてもらう」

「……!」


 イングベルトは想像していたよりも自身の感情のコントロールがうまい。それこそオイゲーンあたりなら、自分が正解するまで設問に答えつづけるだろうが……。

 時間稼ぎとイングベルトの足止めは失敗した。

 カルリアナが敗北感を覚えてたたずむなか、イングベルトは「失礼するよ」とだけ言いおいて部屋を出ていった。


   ***


 ディートシウスは総司令官執務室で部下から報告を受けていた。カルリアナの護衛として中央書庫に赴いた二人のうちの一人である。


「アルテンブルク伯は現在、王宮にいらっしゃいます」


 いつもなら、中央書庫に籠もったあと、カルリアナは必ず陸軍総司令部に戻ってきて、退勤の挨拶をしてくれる。ディートシウスは眉をひそめた。


「……何があった?」

「伯爵が中央書庫に入られて一時間ほどたったころでしょうか。国王陛下が中央書庫にお入りになったのです。陛下は『彼女が書庫内で貧血を起こしていた』とおっしゃり、伯爵を抱きかかえて出てこられました」

「陛下が? そのあとはどこへ?」

「それが……その直後、王室図書館内で異臭騒ぎが起こりまして、わたしたちも近衛兵団に事情聴取を受けることになりました。その後、同僚は伯爵をお迎えに伺い、わたしだけご報告に参った次第でございます。国王陛下ならば、伯爵を王宮の一室で介抱してくださっていらっしゃるかと存じますが……」


 確かに兄ならそうするだろう。だが、本能的に悪い予感がした。


「……わかった。ご苦労だったな。伯爵は陛下へのお礼も兼ねて、わたしが迎えに行く」


 ディートシウスは念のため、事情を説明したうえでゲーアハルトとクラウス、そして三名の護衛隊員を連れて王宮に向かった。


「殿下、アルテンブルク伯がいらっしゃらないのです! 誠に、誠に、申し訳ございません……!」


 王宮内を少し進むなり、カルリアナを迎えにいったはずの護衛隊員が意気消沈した顔で駆け寄ってきた。

 悪い予感を裏づけられ、ディートシウスはみぞおちを殴られたような気分になったが、なんとか不安を押し殺すよう努める。


「そなたは陸軍総司令部に戻れ。これから国王陛下にお会いして、伯爵の居場所をご存じでいらっしゃらないか伺ってみる」


 護衛隊員を安心させたあとで、侍従に取り次ぎを頼む。異臭騒ぎの直後だというのに、兄は応接間ですぐに会ってくれた。


「おお、ディート。どうした? 異臭騒ぎを聞きつけてきたのか?」


 本当にアーロイスがカルリアナを連れていったのなら、第一声がこのせりふはおかしい。ディートシウスは単刀直入に聞いた。


「兄上、今日、アルテンブルク伯にはお会いになりましたか?」


 アーロイスは不思議そうな顔をした。


「いや、会っていないが。もしや、彼女とケンカでもしたのか?」


 ディートシウスは血の気の引く思いがした。


(やっぱり……!)


 うしろに控えていたゲーアハルトが耳打ちする。


「おそらく、変身の魔法だ。伯爵はイングベルト派に連れ去られたんだろう。異臭騒ぎは彼らが伯爵を連れたまま、うまく逃げおおせるために仕組まれた事件だ」


 心臓の鼓動が聞こえるくらいに大きくなった。戦争中、死の恐怖を感じたときでさえ、こんなにも絶望的な気分にはならなかった。


(すぐに……すぐに助けに行かないと)


 そう思うと同時に、軍人であるディートシウスはイングベルトの意図に気づいてもいた。

 これはおそらく陽動だ。自分が兄のそばを離れた隙にクーデターが起こる。いや、兄がその場で暗殺されてしまう可能性すらある。


 自身の出生に確信を持てないイングベルトにとって、兄と他の王族は王位を得るために処刑すべき対象だ。ならば、クーデターによる国王の拘束という手順を省略してしまう可能性がある。


 現時点でも陸軍に王宮を警備させてはいるが、今、自分がここを離れるのはまずい。

 もちろん、カルリアナを人質に取ることでディートシウスと陸軍を無力化するという意図もあるのだろう。だが、たとえ今は陸軍を動かして反撃できなくても、兄を守り抜くことさえできればどうとでもなる。

 それよりも陽動作戦に引っかかってしまうほうが問題だった。なぜなら。


(イングベルト派がカルリアナをさらったことから察するに……クーデターの決行日は、今日だ)

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