第35話 囚われの身(後半イングベルト視点)

 目が覚めると、ベッドの天蓋が目に入った。

 カルリアナは少しぼんやりしていたが、すぐに自分が気絶させられたことを思い出した。


(あれが夢でなければ、ここは……!?)


 カルリアナは飛び起きる。ベッド脇のナイトテーブルの上に、折り畳まれ、チェーンがついたままの自分の眼鏡を見つけた。手に取り、首から下げる。

 ベッドから下り、絨毯じゅうたんの上に置いてあった自分の靴を履く。立ち上がると、微妙な違和感を覚えた。

〝なんでしょう〟と思いつつも室内を見まわす。客用の寝室のような豪華な部屋だった。もちろん、知らない部屋だ。


 カーテンが閉められた窓からは午後の日差しが差し込んでいる。アーロイスに化けたイングベルトに気絶させられてから、それほど時間はたっていないようだ。多分、経過したのは一時間か二時間くらいだろう。


 両開きの扉に近づき、取っ手を引く。開かない。外から鍵がかけられているようだ。カルリアナは解錠の魔法を使おうと、手に魔力を集める。

 すると、魔力は扉に流れ込む前に四散してしまった。

 今度は壁に穴を空けようと、火球を作り出そうとする。魔力をすべて使えば、自分でもそれくらいはできるはずだ。


(どうやら、わたしは囚われているようですし)


 他人の家だろうと、もはや関係なかった。

 しかし、またもや手のひらに集めた魔力も消えてしまった。


「結界……」


 ぽつりとつぶやく。部屋全体に魔法を無力化する結界が張られているようだ。

〝それなら〟と扉や壁を壊せるようなものはないかと物色してみるが、武器になりそうなものどころか、人を傷つけられそうなものは何もなかった。


(用意周到な……)


 今わかった。どうやら、イングベルトはかなり前からカルリアナをさらおうと企んでいたようだ。

 もしかすると、オイゲーンを味方に引き入れたのもそれが理由だったのかもしれない。


(理由は……おそらく、ディートシウス殿下の無力化)


 カルリアナを人質に取り、クーデター時、彼に陸軍を動かせないようにするため。

 ディートシウスは陸軍元帥という責任ある立場だ。そのうえ、アーロイスを深く敬愛している彼が、兄王と国よりカルリアナを選ぶわけがないと思いたい。


(殿下、間違ってもわたしを選んではいけません)


 これはカルリアナのケルツェン貴族としての願いだ。

 それでも、恋人か兄か、二者択一を迫られる彼の心中を思うと、胸が苦しくなった。


 ただ、オイゲーンが劇場に現れた理由だけはよくわからない。カルリアナを人質として有効活用するつもりなら、カルリアナとディートシウスの仲を邪魔しても、なんら益のないはずなのに。

 カルリアナとディートシウスの注意を、イングベルトからオイゲーンへとらすためだろうか。


 考え込んでいると、カチャリと音を立て扉が片側だけ開いた。

 入ってきたのはオイゲーンだった。想定内のことだったので、カルリアナは驚かなかった。落ち着き払って問いかける。


「ここはどこですか?」


 予想外の反応だったのだろう。ニヤついていたオイゲーンが真顔になる。


「……イングベルト殿下の屋敷だ」

「そうですか。王都のお屋敷ですね?」

「どうしてわかる?」

「それほど長いあいだ気絶していたわけではなさそうでしたので。それに、わたしを連れてイングベルト殿下の領地や別荘に行くには、途中で第三者の目に留まるリスクが大きすぎます」


 オイゲーンは「ハッ」とバカにしたように笑う。


「君は相変わらずだな。そういう男を立てない小賢しいところが、可愛くないんだ。わたしが他の女に心を移したのも仕方のない話だろう?」


 カルリアナはオイゲーンの茶色い瞳を見据えた。


「わたしに可愛げがないこととあなたが浮気したことは別問題ですよ。単にあなたには人の夫になる資格がないだけです」


 オイゲーンの顔が怒りに赤く染まった。


「わたしと結婚すると言えば、ここから出してあげようと思っていたのに……!」

「まだそんなことを思っていたのですか。あなたにそんな権限があるようには思えません。第一、あなたと結婚するくらいなら、死んだほうがマシです」


 ただでさえ怒りを見せていたオイゲーンの表情が憤怒にゆがんだ。殴られるかと思ったが、そんなことをすればイングベルトに叱責でもされるのか、オイゲーンはこう吐き捨てただけだった。


「ディートシウスもお前も破滅させてやる!」

「あなたに破滅させられるほど、ディートシウス殿下もわたしもやわではありませんよ」


 カルリアナがそう返すと、オイゲーンは罵詈雑言ばりぞうごんわめき散らしながら部屋を出ていった。


 ***


 イングベルトは帰宅したあと、自分にかけられた変身の魔法を解いてもらい、居間で一休みしていた。

 すると、ノックの音が響いた。入ってくるよう促すと、オイゲーンが怒りの表情を浮かべながら入室してきた。

 面倒だったが、イングベルトはとりあえず聞いてやる。


「どうしたね?」

「お聞きください! つい先ほど、カルリアナと会ってきたのですが、以前にも増して生意気なのです! ディートシウスのような格上の男に見初められたからといって偉そうに……!」


 息巻くオイゲーンにイングベルトは静かに言った。


「君があおったのではないか? 彼女はディートシウスに対する切り札だ。あまり無体なまねはするな」

「はい……」


 オイゲーンは不満そうな顔で去っていった。

 イングベルトはため息をつく。


「どうしようもない男だ。ディートシウスとアルテンブルク伯を始末したら用無しだな」


 イングベルトがカルリアナをさらった理由は、彼女を人質に取ることでディートシウスを無力化し、クーデターを成功させやすくするためだ。ディートシウスがカルリアナを救うためにこちらに来れば、いい陽動になる。

 たとえ陸軍を動かさなくとも、ディートシウス個人の強さは異常だからだ。


 それには、ディートシウスがカルリアナにすっかり溺れてしまわなければならない。そのため、カルリアナの元許嫁いいなずけであるオイゲーンを味方に引き入れ、二人の邪魔をすることで、かえって彼らの仲が深まるように仕向けた。


 ディートシウスがカルリアナと観劇に行くことを突き止め、オイゲーンを派遣したのもそのためだ。

 結果的にディートシウスとカルリアナは恋人同士となったので、作戦はうまくいったといっていいだろう。


 ディートシウスのことだ。すでにイングベルトがクーデターを起こすという予測は立てているはずだ。

 ディートシウスは迫りくるクーデターを前にし、兄王を選ぶべきか、カルリアナを選ぶべきかで苦悩するだろうから、少なくとも時間くらいは稼げるに違いない。

 とにかく、クーデターを起こす前に捕縛されるのだけは防がなければ。


(決行日は今日だからな)


 あらためてそう思うと、自分の半生が濁流のようによみがえってきた。


 イングベルトは物心ついたときから自身の出生について悩んできた。

 自分は父王の子ではないという宮廷人の噂話を裏づけるかのように、父はイングベルトに冷たく、温かい思い出など作りようがなかった。


 原因を作った母は、イングベルトを産むとすぐに亡くなり、実の父親かもしれない男もあっさり自害してしまった。

 だが、まだそんな環境でもその後に比べればはるかにマシだった。そう、ディートシウスが生まれるまでは。


 ディートシウスが誕生してからは、父の様子も、兄の様子も変わってしまった。すべてがディートシウスを中心に回っていたといってもいい。

 元々イングベルトは、自分と違い出生がはっきりしている兄には隔意を抱いていたが、ディートシウスには憎しみすら感じた。

 ディートシウスは生まれながらにすべてを持っていた。母親も、父親から受け継いだ血も、容姿も、才能も。


 ずっと憎しみを抑えて生きてきた。それが決壊を迎えたのは、父が死ぬ直前だ。父は次期国王であるアーロイスに子ができなかった場合は、イングベルトではなくディートシウスを王嗣にするよう言い残したのだ。「理由は日記に書いてある」とだけ言って。

 幸い、というべきか、アーロイスはその後すぐにヨゼフィーネを授かった。


 しかし、その後のイングベルトは惨めなものだった。

 国王として手腕を振るったアーロイスは【名君】と称えられ、戦時に才能を発揮したディートシウスは、若くして陸軍元帥となり、【軍神】と称えられた。


 それに対して、自分は副大臣止まりで大した功績も残せなかった。〝家庭を持てば何かが変わるかもしれない〟とも思ったが、妻とはうまくいかず別れた。

 何もかも嫌になって領地に引きこもっていたころだ。〝ディートシウスとアーロイスからすべてを奪ってしまえばいい〟と、ふと思いついたのは。


 邪魔な二人を取り除き、自分がそのポストにつく。そうすれば、幼いときから苦しめられてきたこの渇きからもきっと解放される。

 問題は自分に流れるケルツェン王室の血の薄さだ。イングベルトの母は他国の王女であり、ケルツェン王室の遠縁でもあるから、まったく正統性がないわけではないが、自分より王室の血が濃い者は皆殺しにする必要がある。


(大丈夫だ。過去にそうして王位にいた者もいる)


 イングベルトは気持ちを落ち着けると椅子から立ち上がった。カルリアナに会うために。

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