第34話 中央書庫の秘密

 ディートシウスとの一時を過ごした翌日。早めにその日の仕事を終えたカルリアナは、オイゲーンの背後にいるイングベルトについて考えていた。

〝彼が王位簒奪さんだつなどという大それた野望を抱くようになった理由はなんなのでしょう〟と思ったからだ。


 そもそも、なぜイングベルトは兄弟と対立することになってしまったのだろう。ディートシウスとイングベルトは互いを嫌い合っているが、アーロイスはイングベルトを家族との食事に招いたりと気を遣っているようなのに。

【名君】と【軍神】。二人の優秀な兄弟に挟まれ、鬱屈したものがあったのだろうか。


 こんなことは、ディートシウスには絶対に聞けない。おそらく、その質問は彼の傷をえぐってしまう。ディートシウスの辛そうな顔は見たくなかった。

 ならば、自分で調べるしかない。カルリアナは司書なのだから。


(中央書庫にある王室の記録に目を通せば、何かわかるかもしれません)


 今更わかったところでどうにもならないかもしれない。それでも、何かしていないと落ち着かなかった。

 ディートシウスもゲーアハルトもクラウスも、普段どおりに振る舞ってはいたが、どこか緊張感を漂わせているように感じられたからだ。

 自分だけぼんやりしているわけにはいかない。


 実際はいつも以上にディートシウスの役に立とうと立ち働いた結果、大幅に余裕を持って仕事を終えてしまったにもかかわらず、カルリアナはそう思っていた。

 カルリアナは職場での護衛を担当してくれている、二人の護衛隊員に声をかけた。


「これから、王室図書館内にある中央書庫に向かおうと思います」

「かしこまりました」


 カルリアナはディートシウスに、仕事が終わったので中央書庫に向かう旨を報告した。中央書庫、と聞いた瞬間、彼は真顔になったが、すぐに微笑した。


「楽しんできてね。ただ、中央書庫に護衛は入れないことになっているから、くれぐれも気をつけて。何かあったら、すぐに外に出て助けを求めるんだよ」

(殿下も過保護というか……まあ、事態が事態なのだから仕方ありませんね)


 カルリアナはくすぐったい気持ちになったあとで、総司令官執務室をあとにした。護衛隊員たちに付き添われ、中央書庫のある王室図書館に向かう。

 今でも王室図書館には入り浸っているので、司書長は快く迎えてくれた。カルリアナはディートシウスから毎朝預かっている鍵を使い、地下にある中央書庫の扉を開ける。

 護衛たちは中央書庫に入ろうとするカルリアナにこう言った。


「伯爵閣下、何かございましたらすぐにお呼びください」

「あなたに何かあれば、わたしたちは殿下に殺されてしまうでしょうから」


 物騒なことを口にしつつも、彼らの表情は穏やかだ。ディートシウスが部下たちから親しまれていることがよくわかり、カルリアナは「はい、肝に銘じておきます」と笑顔で応えた。


 いつもどおり、中央書庫は静かだった。

 カルリアナを除けば、王室メンバーと司書長しか入れない中央書庫には、系図や代々の王妃の生家に関するものなど、王室関連の資料が豊富にある。本だけでなく新聞や雑誌、書簡など、その形状もさまざまだ。


 カルリアナは眼鏡を掛け、王室に関する記録に目を通し始めた。イングベルトが生まれる三十四年前より数年前の記録から遡って当たってみるが、特に目を引く記述はない。


 イングベルトは外国の王女を母に持ち、アーロイス誕生の二年後に生まれた。ディートシウスとは反対に、政務に才能を発揮し国務副大臣にまで出世するが、離婚を機に政界から引退。王都と領地を行き来しながら、気ままな生活を送っている……。


「これでは、彼がどうしてゆがんだのかわかりませんね」


 そうつぶやいたとき、ふと一冊の大きな本が目に入った。踏み台に乗らないと届かない書架から、背表紙にタイトルのないその本を取り出す。本を開いてみようとするが、あいにくと鍵付きだった。


「鍵……」


 カルリアナはハッとし、スカートのスリットを探った。ワンピースの内側に隠してある腰巻きポケットから、ディートシウスに手渡された金色の小さな鍵を取り出す。


 本の前小口部分の中心を覆っているベルトに錠がついている。鍵穴に鍵を入れると、ぴったりはまった。鍵を回すと、錠がカチリと音を立てて開く。

 カルリアナはベルトを前小口から外した。期待と不安に包まれながら本を開く。


 それは先王の日記だった。

 故人の日記を読んでもいいものだろうかとは思ったが、ディートシウスがカルリアナに見せたかったもの、とはこれに違いない。彼は「君の大好きなものに使う鍵」と言っていた。


(多分、もののたとえなのでしょうけれど、わたしには人の日記を喜んで読むような趣味はございませんよ、殿下)


 文句を念じながらページをめくる。

 国王に即位したことを機に、日記をつけ始めたこと。政略結婚。長男アーロイスを得た喜び。

 国王といえど、個人的な悩みや思いは凡人と変わらない。そんな内容だった。


 ところが、アーロイスが生まれて一年ほどたつと、夫婦仲に関する悩みが頻出し始める。夫婦のすれ違いは続き、ついに王妃がある貴族男性と懇意にしているという事実を知ってしまう。先王は怒り狂い、王妃はその男性と別れた。

 その九か月後、イングベルトが生まれる。


(これは……)


 知識欲が旺盛なカルリアナも、背筋に悪寒を感じずにはいられなかった。

 イングベルトの父親は「どちら」なのか。先王は悩んだ。王妃は「この子はあなたの子だ」と言い張って難産の末、世を去る。その後、浮気相手の貴族は自害し、すべては闇に葬られた。あるいは、彼らにも真実はわからなかったのかもしれない。


 その六年後、先王は悩みながらも周囲の勧めで再婚した。二度目の王妃は病弱だったが、己の美しさを得意がらない控えめで思いやりのある女性で、先王はようやく穏やかな家庭を得た。

 再婚から二年がたったころ、夫妻はディートシウスを授かる。それでも、イングベルトの出生の秘密は先王をじわじわと苦しめた。


 そして、今から十一年前、病にかかり、死期を悟った先王はある遺言を残すことにする。

「自分の死後、まだ妃とのあいだに子のいない王太子アーロイスに何かがあった場合、王嗣はイングベルトではなくディートシウスにするように」と。


 何もかもがに落ちた。

 イングベルトがディートシウスを嫌う理由も。アーロイスに反発する理由も。

 父親が先王なのか、それとも母親の浮気相手なのかすらわからない彼にとって、王室は他人の家も同然であり、自分を排除する存在だったのだ。


 公正なアーロイスは日記を公表せず、イングベルトをディートシウスよりも上位の王位継承者として遇している。しかし、その慈悲深い措置すらもイングベルトにとっては屈辱だったのかもしれない。


「読書は楽しめたかな?」


 カルリアナはびくりとして、声のした方を振り返った。

 いつの間にか、うしろに男性が立っていた。見覚えのあるその姿に、カルリアナは少し気を緩めた。


「国王陛下……」


 ところが次の瞬間、アーロイスが浮かべた笑みは悪意の塊としか表現できないものだった。

 カルリアナは恐怖を抑えて問いかける。


「……あなたは国王陛下ではいらっしゃいませんね……もしかして、イングベルト殿下でいらっしゃいますか?」

「よく気づいたな。さすが、と言うべきか」


 使い手は少ないものの、自分や他者の姿を変えられる魔法は存在する。正確には、見る者の脳を錯覚させる魔法だ。一例を挙げると、この魔法を使えば、獣人族を人族だと思わせることも可能になる。変装と同じく、被術者の容姿や声が変身したい人物に似ているほど、目の前の相手をだましやすい。


 イングベルトとアーロイスは同母兄弟のためか背格好が似ているから、ここまで巧妙に化けられたのだろう。これなら外で待機している護衛隊員たちも、まったく気づかなかったはずだ。

 仮に今、カルリアナが助けを呼んでも、イングベルトがごまかしてしまうに違いない。

 国王に擬態したイングベルトは、一歩一歩カルリアナに近づいてくる。


「それにしても、親族ですらない他人の日記を読むなど感心しないな。ディートシウスが鍵を渡したのか?」

「お答えする義務はございません」

「可愛くない態度だな。そのほうがディートシウスの好みか。奴らしい、変わった趣味だ」


 イングベルトに可愛いと思われてもなんの得にもならない。カルリアナはただ一人、ディートシウスが可愛いと思ってくれればそれで満足だった。

 カルリアナは返答せずに反問する。


「わざわざ国王陛下に化けてまで、なんのご用ですか? 王室の秘密を知ったわたしを処分なさるおつもりで?」

「そなたに用があってね。処分するのはその用が終わってからでも遅くない」


 そう言って、イングベルトは服の内側から短い棒のような魔道具を取り出した。


(あれは……!)


 まずい。そう思って防御魔法を使おうとしたが、相手の方が素早かった。

 大きく踏み出し、距離を詰めたイングベルトが魔道具をカルリアナの腕に当てる。雷に打たれたようにビリビリと身体に電流が走り、カルリアナは意識を失った。

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