第33話 つかの間の

 事前にシュテルンバール公爵邸に先触れを出していたので、カルリアナはスムーズにディートシウスに会えることになった。

 今度は前回とは違い、ディートシウスの待つ応接間に通される。まだ軍服を着たままソファにかけていた彼は、真剣な面持ちで尋ねてきた。


「何かあったの?」


 カルリアナは断りを入れてから向かいのソファに腰掛ける。先ほどオイゲーンが自宅に現れたこととその要求を話すと、ディートシウスは心配そうに言った。


「カルリアナ、俺の屋敷に避難しない? 逆恨みしたあいつが、また突撃してくるかもしれないでしょ?」

「お気持ちはうれしいですが、オイゲーンがイングベルト殿下の配下であることははっきりしました。ということは、イングベルト殿下の命令がない限り、彼もわたしに手出しはできないでしょう」


 ディートシウスは視線を動かし、迷う素振りをみせたあとで、端麗な唇を開いた。


「君にだから言っておく。イングベルトの狙いは、おそらくは王位簒奪さんだつだ。兄を廃して王位にくつもりの奴が、手段を選ぶとは思えない」


 あるいはそうではないかと思っていた。

 イングベルトがディートシウスに対抗意識を持っているのは間違いない。だが、イングベルトが貴族たちを取り込むことでディートシウスより優位に立ちたいにしても、それだけで済ませるだろうか? と考えていたのだ。


 その証拠に、カルリアナが招かれた夕食のとき、イングベルトは兄王の機嫌を取ろうとはしていなかった。ディートシウスを大切にしているアーロイスの前で弟を侮辱したことが、イングベルトが兄王に反発心を持っており、なおかつそれを隠そうとしていない証だった。

 そのような不遜な野心家が目指す最終目的。それは王位だ。


「やはりそうでしたか……ご信用くださり、ありがとう存じます」

「あ、わかってたんだ。さすがカルリアナ。俺だけじゃなく、情報分析が得意なゲアもそう考えているよ」


 そう応えたあとで、ディートシウスはソファから立ち上がり、こちらまで歩いてきた。ひざまずき、膝の上に乗っていたカルリアナの両手を握る。


「巻き込んでごめん。君のことが心配なんだ。すぐ手の届く所にいてほしい」


 胸が甘く痛んだ。彼に甘えきって、すべてを任せてしまえればどんなに楽だろう。

 でも、今苦しいのは彼も同じだ。それどころか、ディートシウスは陸軍元帥として兄王を守り、母親違いとはいえ血のつながった兄であるイングベルトと戦わなければならない。甘えるわけにはいかなかった。

 だから、カルリアナは心にもないことを言った。


「遠慮いたします。下心がおありのように見えるので」


 ディートシウスは笑った。少年のような無邪気で可愛らしい笑顔だった。


〝あ、今、殿下は無理をしていますね〟とカルリアナは直感的に思った。

 ディートシウスが問う。


「バレてた?」

「バレバレです」

「バレたついでに、君を抱きしめていいかな?」


 カルリアナは無言で立ち上がった。おずおずと両腕を彼に向けて差し出す。ディートシウスはそっと抱きしめてきた。


「もう一度言わせてくれ。君が好きだ。結婚しよう」


 カルリアナはディートシウスの背に両手を回した。安心感を覚えながら言葉を返す。


「まだお答えできません」


 本当は、もう答えは決まっているのに。

 ディートシウスの腕の力が強まった。


「わかってる。でも、俺はこらえ性がないんだ」

「努力します。……殿下、この騒動が終わったら、必ずお答えしますので」

「うん、待ってる」


 ディートシウスはカルリアナから身体を離した。軍服の内ポケットから何かを取り出す。彼の手のひらの上には小さな金色の鍵が乗っていた。


「必要だと思ったときに使って。君にならこの鍵を預けられる」

「これは……なんの鍵ですか?」

「君が大好きなものに使う鍵」

「よくわかりません」

「多分、君ならわかるよ。この鍵はケルツェン王室にとって、とても重要なものなんだ」

「……そんな大切なものを、なぜ、わたしに?」

「結婚を申し込んでいる相手に、我が家の暗部を隠しておくのは嫌だからね。知りたくないならそれでもいいけど、もし知りたかったら使って構わないから」


 では、これは王室関連の資料が収めてある箱か何かの鍵だろうか。しかも、ディートシウスがここまで言うからには、相当重要な情報が記されているに違いない。

 まだ使う機会が来てもいないのに、自分がとても重大な選択を迫られているような気がして、カルリアナはためらった。


(その暗部とやらを知ったら、わたしは殿下を避けるようになるのでしょうか……)


 気になる点があるとすれば、それだった。

〝いえ〟とカルリアナは心の中で首を横に振った。


(そんなことで、わたしは殿下を嫌いにはならないでしょう。殿下が女性にとんでもなくひどいことをした、という過去でもない限り)


 カルリアナはうなずくと、ディートシウスの手のひらから鍵を手に取った。彼の温かい手のひらに指先が触れる。


「わかりました。お預かりしておきます」

「ありがとう」


 本音を言えば帰りたくなかったが、カルリアナは帰宅を申し出た。


「もう、帰ります」

「うん、気をつけて」


 ディートシウスはもう一度カルリアナを抱きしめると、屋敷の車寄せまで見送ってくれた。

 うしろ髪を引かれる思いで、カルリアナは馬車でシュテルンバール公爵邸をあとにした。


 帰宅して数時間後。ディートシウスの護衛隊員が三十名、屋敷に派遣されてきた。ディートシウスの命だという。

 これにはディートシウスに厳しいところのあるメラニーも感動していた。


「一個小隊を派遣してくださるなんて! ディートシウス殿下は本当に、お嬢さまのことを大切に思っていらっしゃるのですね……!」


 そう言って、メラニーはジムゾンと手分けして護衛隊員たちを案内してまわっていた。

 カルリアナもうれしかった。きっと、ディートシウスはカルリアナが帰ってすぐに彼らを手配してくれたのだろう。


(事態が落ち着いたら必ずお返事をしないと……)


 カルリアナはあらためてそう思い、ディートシウスから預かった金色の鍵を見つめた。

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