第31話 ご報告いたします(後半ディートシウス視点)

 カルリアナはすぐに馬車で陸軍総司令部に向かった。先に従僕を遣わし、ディートシウスに会うためのアポイントメントを取ってもらう。ディートシウスはちょうど会議に参加中だということだった。通された応接間でしばらく待たされる。


 扉をノックする音がして、ディートシウスが現れた。その様子からカルリアナに会うために急いで来たことがわかる。

 カルリアナの胸が切なく痛んだ。母親違いとはいえ、ディートシウスの兄がよからぬことを企み、彼を傷つけようとしていることが許せなかった。

 カルリアナが立ち上がり一礼すると、ディートシウスは立ったまま両腕を広げた。

 カルリアナが怪訝けげんな顔をすると、彼は言った。


「俺に会いに来てくれたんでしょ?」

「用事があって参上したことは事実ですが、そういう意味ではございませんので」


 ディートシウスはいじけたような顔をした。


「付き合い始めたばかりなんだから、もっとイチャイチャしようよー」

「殿下もわたしの性格をご存知でしょう? そんな悠長なことをおっしゃっている場合ではないのです」


 ディートシウスはようやく真顔になり、向かいのソファにかけた。


「何があったの?」


 カルリアナはソファに座りなおしながら答える。


「先ほど、イングベルト殿下の使者が屋敷に現れました」


 ディートシウスは形のいい眉をひそめた。カルリアナは続ける。


「あなたを見限って、イングベルト殿下につかないか、とわたしに誘いをかけてきました」

「ふーん……俺の配下を削って自分に従わせたいのかな。それとも俺から君を引き離して嫌がらせをしたいのか……他に何か言っていた?」

「それが、オイゲーンを修道院から出したのは、どうやらイングベルト殿下のようなのです」


 さすがのディートシウスも、これには意外さを禁じ得なかったようだ。わずかに目を見開く。


「じゃあ、昨日あいつを劇場に向かわせたのもイングベルトだったってわけか。やっぱり、俺に嫌がらせをしたいのかな」

「その可能性は高いですが、果たしてそれだけのために、こんな手の込んだことをするでしょうか?」


 カルリアナの問いかけに、ディートシウスは腕を組み、考え込んだ。そのあとでホワイトブロンドの髪をかき回す。


「下手に考えても正解にはたどり着けそうにないな。イングベルトの動向と真意は、こちらで調べておくよ。君はくれぐれも身辺に気をつけて。もっと護衛が必要なようなら、俺の護衛隊を貸すから」

「ありがとう存じます。ですが、今はまだそこまでの必要はないかと思われます。先方はわたしと殿下の関係を知っているようです。それなら、かえって手が出しにくいでしょうから」


 ディートシウスは心配そうな顔をしたが、すぐに表情を緩めた。


「カルリアナ、ありがとう」


 それは、情報を知らせたことに対する感謝の言葉だろうか。判断がつかないカルリアナに、ディートシウスはこう聞いた。


「イングベルトの誘いを断ってくれたんだろう?」

「それは……あちらにつくことなどあり得ませんし。わたしたちは、その……一応、恋人ですから」

「充分だよ。君と結婚できる可能性に一歩近づいたって、うぬぼれてもいい?」


 急に甘い声音でそう言われ、カルリアナはうつむいた。急に顔がほてってきたからだ。

 ディートシウスがソファから立ち上がる音がした。カルリアナはそろそろと顔を上げる。近づいてきた彼がそばで腰を屈める。

 数秒後、頭に柔らかいものが当たる感触がした。キスされたのだ。


「なっ……!」


 カルリアナが思わず固まっていると、ディートシウスはいつものへらりとした表情ではなく、真剣な面持ちで言い切った。


「イングベルトの思惑がどうであれ、君のことは俺が必ず守る」


   ***


 カルリアナが帰宅してからすぐ、ディートシウスはゲーアハルトに命じ、イングベルトの企みについて探らせた。

 どうも悪い予感がした。それに、イングベルトがカルリアナにまで目をつけている以上、手をこまねいてはいられなかった。

 三日後、ゲーアハルトが報告を持ってきた。


「だいぶ前から、イングベルト殿下は秘密裏に有力な貴族たちに声をかけ、自陣営に引き込んでいるようだね。自分の側につけば相当のポストや領地を用意する、と持ちかけているようだ。しかも、大臣クラスのポストを」


「なぜ、そんなことを」とは聞けなかった。ディートシウスには思い当たる節があったからだ。


(俺は王位なんぞ頼まれてもいらないが、イングベルトにとっては特別なものだからな……)


 ゲーアハルトの表情が深刻さを増した。


「ディート、わたしが思うに、これは君に対抗するための権力争いじゃない。もっと大きな目的――おそらくは、王位が目的だろう」

「奇遇だな。俺もそう思っている」

「しかも、ヨゼフィーネ殿下を廃して第一王位継承権を自分のものにするなんて、せこいことは考えていない」

「ああ。狙うとしたら王位簒奪さんだつだろうな」


 ゲーアハルトは一瞬だけ気の毒そうな顔をし、問いかけてきた。


「で、どうする?」

「どうもこうも、そんなことはさせないだけだ。兄には指一本触れさせない」

「そう言うと思った。だが、ディート、本心ではそんなに簡単に割り切れているのか?」

「……どういうことだ?」

「大嫌いな母親違いの兄といえど、本気で叩き潰す覚悟はできているのか? と聞いているんだ」


 ディートシウスは即答できなかった。頭では覚悟ができていると思っているのに、胸になんとも気持ちの悪い圧迫感を覚えた。

 ゲーアハルトがじっとこちらを見つめている。

 ディートシウスは答えるために息を吸い込んだ。


「やるさ。俺の役目は兄を守ることだ。それに、大切な人もできた」


 ゲーアハルトは微笑した。


「わたしは君についていくよ。わたしが呼べる幻神げんしんたちも君の味方だ」


 ディートシウスもほほえみ返す。


「ありがとう」


 ディートシウスは集めた情報から、イングベルトが起こすであろうクーデターの日時と方法を、ゲーアハルトとともに推測し始めた。ふと、頭の隅に引っかかっていたことをちらっと考える。


(やはり、イングベルトがカルリアナに使者を送った理由は、俺を動揺させ、あわよくば彼女を味方に引き入れるためか……?)


 ディートシウスはいわば、兄王を守る最も堅固な盾だ。その自分を心理的に動揺させ、判断を誤らせようとしたのかもしれない。

 となると、イングベルトは一度断られたくらいでは諦めない可能性が大きい。カルリアナは気丈に振る舞っていたが……。

 ディートシウスはカルリアナのために、いつでも護衛隊を動かせるよう手配することにした。

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