第30話 誘い

 カルリアナは自宅で休暇を楽しんでいた。疲れた身体を休めながら、居間でメラニーと一緒にお茶菓子を片手に、ニワトコの実と干しブドウを交ぜ合わせたフルーツティーを飲む。


「メラニー、ナウマン大尉と食事をしたのでしょう? 何を話したのですか」

「え、お互いの仕事のこととか……ナウマン大尉って、ディートシウス殿下の側近とは思えないほど落ち着いた方ですね。それに、さりげなく優しいし、とても紳士的な男性でした」

「メラニーは大尉のことが気に入ったようですね。また会えるよう、それとなく彼に伝えておきましょうか?」


 メラニーは珍しくもじもじした。


「でも……ご迷惑かもしれませんし……お嬢さまこそ、殿下とはどうなったのですか?」


 逆に質問され、カルリアナはお茶を一口飲んだ。


「プロポーズされましたが、こちらとしてはいろいろと根回ししなければならないこともあるので、まずはお付き合いすることになりました」

「ええっ!? 展開が早いですね!」

「そうですね。以前は殿下のことを『誰にでも声をかけて都合のいい女扱いする男性』ではないかと疑ったこともありましたが、思い違いでした」

「わたしも殿下のことを誤解していたようです」

「ですが、結婚したあとに態度を変える男性も一定数いると聞きます。そのあたりはこれから見極めていかなければなりませんね」

「さすがお嬢さま、しっかりなさっていらっしゃる」


「うんうん」とうなずくメラニーを前に、カルリアナは昨日のディートシウスの表情や仕草、抱きしめられたことをついつい思い出していた。


(……とはいえ、あの方に押し切られないように理性を保つのは、なかなか骨が折れそうですが)


 再びメラニーにクラウスと会うことを勧めていると、ノックの音が響いた。

 ジムゾンだった。彼は緊張した面持ちでこちらまで歩いてくると、小声で告げた。


「お嬢さま、お客さまです」

「どなたですか?」

「それが……ライヒラント公イングベルト殿下の使者の方なのです」


 ディートシウスとイングベルトの仲が悪いこと、それに以前、王室メンバーの前でイングベルトを言い負かしてしまったことを思い出し、カルリアナは眉をひそめた。


「……確かですか?」

「はい。イングベルト殿下の紋章入りの親書を持っていらっしゃいましたから」


 正直、悪い予感しかしないが、だからといって会わないわけにはいかないだろう。まだ公になっていないとはいえ、カルリアナはディートシウスの恋人だ。その自分がイングベルトの使者を粗雑に扱ったとなれば、ディートシウスまで巻き添えになる可能性がある。


「その方は今、応接間に?」

「はい。お嬢さまのご判断がどうであれ、王弟殿下の使者なのでお通しいたしました」


 カルリアナはほほえんだ。


「正しい判断です。すぐに参ります、とお伝えしてください」


 ジムゾンが下がってから、急いでお茶を飲み終えたカルリアナは応接間に向かった。人払いが必要な話かもしれないので、誰も伴わずにノックをしたあとで部屋に入る。

 すでにソファから立ち上がっていた使者の男性は、カルリアナに向けて一礼した。お互いに名乗り合い、ソファにかける。


「今日はどのようなご用でしょう?」


 カルリアナの問いに、使者は答えた。


「有り体に申し上げますと、『ディートシウスを見限ってこちらにつかないか』というイングベルト殿下のお言付けを預かって参りました」


 ディートシウスの名を呼び捨てにされて、カルリアナはぴくりと指を動かした。表面上は笑顔を作ってみせる。


「もったいないお言葉ですが、わたしの主君はディートシウス殿下ですので」

「『恋人』の間違いではございませんか?」

(情報が早いですね……)


 もっとも、昨日の前半まで続いていたカルリアナとディートシウスの「上司と部下以上、恋人未満」の関係を知っていれば、誰でも推測できることではあるが。

 カルリアナは隙を作らぬよう、冷静に答えた。


「あなたのおっしゃることが事実であれば、なおのことご要望にはお応えできません」

「さようでございますか。伯爵閣下、あなたの元許嫁いいなずけ殿は、もっと物分りのよい方でしたが……残念です」


 なぜ、ここでオイゲーンの話が。そう思って初めて、カルリアナはハッとした。

 なぜ、昨日オイゲーンが劇場に現れたのか。

 なぜ、ヒルシュベルガー子爵家が手を回したわけでもないのに、彼が修道院を出られたのか。

 バラバラだった数々の疑問点が急に結びついた。


(あのときは嘘だったとはいえ、オイゲーンはわたしとディートシウス殿下が付き合っていると宣言した相手ですし……すべてイングベルト殿下が糸を引いていたということ……?)


 だが、動機がよくわからない。自分たちを別れさせるにしても、ディートシウスに嫌がらせをする以上の意味を見出せない。

 今は考えがまとまらないので、カルリアナはポーカーフェイスを維持したまま告げた。


「彼がわたしにつきまとう原因がイングベルト殿下にあられるのだとしたら、よくあなたをお遣わしになれましたね。申し訳ございませんが、お引き取りください」

「残念です」


 使者は不気味な微笑を浮かべ、退室した。


(急いでこのことをディートシウス殿下にお伝えしないと……)


 どうも自分は、いつの間にか王室を巡る陰謀に巻き込まれていたらしい。

 そして、以前会ったときは見抜けなかったが、イングベルトという男は相当悪知恵が働くようだ。

 カルリアナは王宮に向かう準備をするために、ジムゾンとメラニーを呼ぼうとローテーブルの上にあったベルを鳴らした。

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