第29話 甘えるのが苦手な彼女(ディートシウス視点)

「へえ、ついに伯爵と付き合うことになったんだ」

「そうなんだ」

「おめでとう。これで君の恋愛相談からも解放されるね」

「お前、一言多いよ」


 カルリアナとの観劇デートの翌日、総司令官執務室でディートシウスはゲーアハルトに事の顛末てんまつを話した。

 ディートシウスはわずかに声のトーンを落とす。


「でも、プロポーズの返事は保留されちゃってね。彼女のことだから、何年も引き延ばすことはないとは思うけど、心配でさ」

「いいんじゃないかな? 普段あんまり心配しないでしょ、君は」

「ひどっ……!」


 つぶやくにしては大きな声で突っ込みを入れながら、ディートシウスはカルリアナのことを考えた。

 今日の彼女は休みを取っている。観劇に出掛けた翌日は疲れで仕事に支障が出るかもしれないことを見越して、今日は休暇をもらいたい旨をあらかじめ申し出ていたのだ。まじめで仕事に手を抜かない彼女らしい。


 実をいうと、観劇翌日の休みの申請を受けたときは、ちょっとだけ期待してしまった。もちろん、そんなことは口が裂けてもカルリアナには言えない。


(会いたいなあ……)


 昨夜に別れたばかりなのに、ついそう思ってしまう。


「付き合い始めてまだ二日目だから仕方ないけどさ、彼女、なかなか甘えてくれないんだよね。甘えてくれたら、ドロドロに甘やかしてあげるんだけどなあ」


 ゲーアハルトがフッと笑った。ディートシウスは思わず尋ねる。


「なんだよ」

「まるでわたしと出会ったころの君みたいじゃないか。表面だけ見ると、ずいぶん違うがね。似た者同士がかれ合うって、本当なんだね」


 ドキリとした。やはり、ゲーアハルトの目はごまかせない。ディートシウスもカルリアナと出会って間もないころ、思ったのだ。自分と彼女はどこか似ていると。


   ***


 ディートシウスの母親は、公国の公女で生まれつき身体が弱い人だった。先王はすでに王太子を授かっていたこともあり、二度目の王妃として迎えた彼女の身体を心配して、当初は子を作る意思はなかったという。


 二人のあいだに生まれたディートシウスは健康そのものだったが、母は出産後ますます衰弱した。

 幼いディートシウスにとって、母は美しく優しい人ではあったが、いたわらなければならない人だった。


 乳母と過ごすか、一人遊びをして過ごすか、そのどちらかだったディートシウスの毎日を変えたのが、母親違いの長兄アーロイスだ。

 十歳年上のアーロイスは、よく本を読み聞かせてくれた。国王のせりふを言うときは偉そうに。王女のせりふを言うときはしとやかに。ディートシウスは兄の読み聞かせが大好きだった。今思えば、あれが自分を演劇好きにした原体験なのかもしれない。


 だが、兄にとって母は継母だ。兄と自分は半分しか血がつながっていない。

 次兄のイングベルトは事あるごとによく言ったものだ。「そなたは母上がいていいよなあ」と。


 イングベルトはディートシウスが物心ついたときにはもうそんな感じだった。ディートシウスの何が気に入らないのか、常に冷ややかな態度をとってくる。病弱な母親を持つ子どもの苦労など知りもしないくせに。

 初めは子ども心に傷ついていたディートシウスも、次第にイングベルトには何も期待しなくなった。


 それはともかく、イングベルトの存在はディートシウスにとって、超えられない境界線のようなものだった。自分は兄たちと半分しか血が繋がっていない、という事実を常に突きつけてくる。


 成長するにつれ、嫌でも兄たちと自分との違いを実感せざるを得なくなったディートシウスは、大好きなアーロイスとのあいだに一線を引くようになった。

 けれど、アーロイスを悲しませたくはなかった。


 ディートシウスは幼いころから母の前ではことさらひょうきんに振る舞う癖があった。母に甘えたいのを我慢し、それを気取られないようにするためには、そうするのが一番よかった。


 ディートシウスはアーロイスの前でもそう振る舞うことにした。演じているうちに、いつの間にかディートシウスは「陽気で軽薄な王子」と称されるようになり、それを甘んじて受け入れた。そのほうが都合がよかったからだ。


 自分に貼られたレッテルどおりに生きるのは、楽であると同時に息苦しかった。

 ゲーアハルトと出会ったのはそんなときだ。準貴族でありながら、数少ない召喚士であるがゆえに特待生として太陽学院に入学した彼は、まだ十一歳になるかならないかにもかかわらず、老成したような独特の雰囲気をまとっていた。


「幼いころに異界である幽幻界ゆうげんかいに迷い込み、そこに住まう幻神げんしんの協力を得て奇跡の生還を果たしたのだ」ともっぱらの噂だった。

 本来なら王子である自分の取り巻きにすらならない相手。興味本位で話しかけてみたら、案外気が合った。不思議なことに、彼の前では自分の湿っぽい部分もさらけ出せた。


 ――ディートは、もっと周囲に頼るべきだよ。


 息苦しさが、自然に消えていった。

 学生時代に相次いで父母を亡くし、軽薄な仮面をかぶる必要性は減ったが、ディートシウスは自衛のために相変わらず能天気に振る舞うことにした。ある理由から、イングベルトに敵視され始めたからだ。


 学院を卒業後、ディートシウスはイングベルトと同じ文官の道は選ばず、軍人になるために士官学校に入学した。そのほうが自分の適性に合っていたし、職場でまでイングベルトと関わりたくなかった。

 幸いにも、ゲーアハルトの進路も同じだった。

 親友に「これからもよろしく」と笑顔で言われ、救われたような気がした。


 ゲーアハルト、それに一年遅れて軍人となったクラウスの協力もあり、仕事は順調だったが、恋愛はダメだった。

 ディートシウスの地位や容姿、表面的な陽気さに惹かれて近づいてくる女性とはうまくいかない。

 少し仲良くなると「思っていたような方ではありませんのね」と距離を置かれてしまう。

 当たり前だ。気安い相手だと思っていたら、その中身は、周囲を過剰に気にしすぎる、重くて厄介な男なのだから。


 ありがたいことに、アーロイスは末弟のディートシウスの婚約者を無理に決めることはせず、「結婚は好きなときに好きな相手とすればよい」と言ってくれた。「たとえ相手が平民だとしても構わない。わたしがなんとかする」と。

 その言葉がどれほどうれしかったか。


 しかし、戦時に英雄ともてはやされ、元帥となったあと、ディートシウスはイングベルトの視線がよりとげを含んだものに変わるのを感じた。


 俺にどうしろっていうんだ! 俺は何も悪くないだろう!


 そんな声にならない怒りを感じていたころだ。カルリアナと出会ったのは。

 美人で有能な司書だと評判だが、無愛想だという彼女に興味が湧き、レファレンスを頼みがてら会ってみることにした。


 彼女は聞きしに勝る有能さで、あっという間に食中毒事件の原因を突き止めてしまった。こんなにすごい女性が本当にいるんだ、と感動すら覚えた。

 カルリアナを専属司書にしたあとは、もっと彼女のことが知りたくて、自分にしては珍しく距離を詰めた。


 そして、わかったことがある。カルリアナは自分とは違うタイプの甘え下手なのだ。人を気遣ったりフォローしたりすることはうまいのに、人を頼ることはめったにせず、自力で解決しようとする。

「もっと周囲に頼るべきだよ」と言ってくれたゲーアハルトの気持ちが、今になってよくわかった。


 アプローチの末、心を開いてくれるようになった彼女は、以前にも増して容姿も性格も可愛らしくなり、会うたびに目をみはるくらい奇麗になっていった。

 彼女の服装やアクセサリーが、少しずつしゃれたものに変わっていくことに気づくたび、うれしかった。自分に会える出勤日を楽しみにしてくれているのだとわかったから。

 毎日のように会っているのに、飽きるどころかもっと会いたくなった。


 カルリアナは自分の表面だけでなく、内面も見据えたうえで想いを寄せてくれている。こんなに面倒な性格の自分を。

 彼女のことが、いつの間にか愛おしくてたまらなくなった。


 自分に似たところがあるからとか、そんなことはどうでもいい。彼女にもっと頼ってほしい。彼女と一緒に生きていきたい。

 それが、今のディートシウスの願いであり希望だった。

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