第20話 恋人同士みたいな会話

 ディートシウスは大きな手でそっとカルリアナの手を握った。

 彼から手をつなぎたいと言ってきたのに、いざそうして長い廊下を歩き出すと、とたんに沈黙が支配する。魔物はどこかにいるのだろうが、ここには二人しかいないように思えてきた。

 カルリアナは耐え難いほどに恥ずかしくなり、先ほどちょっとだけ気になったことを聞いてみることにした。


「……殿下は、シュノッル大佐の前では『俺』とおっしゃるのですね」


「ああ」という顔をして、ディートシウスがこちらを見下ろした。


「別にあいつの前でだけじゃないよ。クラウスの前でもそうだし、学生時代の友達と会うと、自然にそうなっちゃうんだ。あいつらの前だと、肩肘を張らなくて済むからかな」

「わかります。わたしも学生時代に仲がよかった友人と会うと、昔に戻れるような気がしますから」

「まー、この先何十年も同じ関係を続けるには、お互いに努力が必要なんだろうけどね。この歳になると、周りも結婚したり子どもが生まれたりするから、いろいろ考えるよ」

「そうですね。子どもがいなくても先方が結婚していると、いつでも会える、というわけにはまいりませんし」


 ディートシウスでも普通の男性と同じようなことを考えるのだと思うと、カルリアナは少しおかしくなった。彼とこうして、いつまでも話していたい。


「殿下はいつから『わたし』とおっしゃるように?」

「父が亡くなった十五歳のときからかな。物心ついたころの一人称は『僕』だったと思うよ。ずーっと『僕』で通していて、公の場では『わたし』だったんだけど、太陽学院に入学してから初対面の上級生になめられたことがあってね」

「それで、『俺』とおっしゃるように?」

「うん。王族っていうのは必ずしも畏敬の対象にならないってこと。おまけにわたしは顔もよすぎるし?」

「はいはい。さぞや可愛らしい外見だったのでしょうね」

「あ、もしかして子ども時代のわたしを想像した?」

「皮肉です」


 ディートシウスは苦笑したあとで、懐かしそうに目を細めた。


「とはいってもね、学院以外では相変わらず『僕』と『わたし』で通していたよ。わたしだって王族の一人として空気は読むわけ。でも、友達も可愛い後輩もできて、気づいたら学院で『俺』って言うときのほうがリラックスできている自分がいた」


 それでは、「わたし」と言うときのディートシウスは、王族としての仮面をかぶっているようなものなのだろうか。

 どんなにふざけた態度をとっていても、こうして手を繋いでいても、ディートシウスは自分の前で気を許してはくれていない……。そう思うと、カルリアナは軽く落ち込んだ。

 ディートシウスが怪訝けげんそうにこちらを見る。


「どうかした?」


 カルリアナは彼に心配をかけないために、わざと憎まれ口を叩いてみせた。


「殿下でも体面をお気になさるのですね。本当はどの場でも『俺』で通したほうが気楽でいらっしゃったのでしょう?」

「そりゃあそうだけど、王子としての自分がどう見られているかも、多少は気にしないとね。特に、まだ学院在学中の十五のときに父が亡くなって兄が即位したから……まだ若かったうえに治世も安定していなかった兄に、恥はかかせられないと思ってさ。それからは、ずっと『わたし』ってわけ」


 王室メンバーと食事した直後、帰りの馬車の中で、ディートシウスは「上の兄にはいまだに頭が上がらないんだ」と言っていた。

 普段はやりたい放題の彼が、アーロイス王のことを話すときは小さな少年のような顔をする。先ほどまでの寂しさも忘れ、カルリアナは胸の奥が温かくなったような気がした。


「殿下は本当に、国王陛下のことを大切に思っていらっしゃるのですね」


 ディートシウスがカルリアナの手を握る力が、少し強まった。


「君のことも……兄以上に……いや、誰よりも大切にするから」


 心臓の鼓動が速くなる。


(これって……「付き合いたい」と同義ですよね……?)


 何か答えなければ、とカルリアナは思った。「うれしいです」では月並みすぎるし、「はい」では素っ気ないし……目まぐるしく考えた末に、カルリアナは答えた。


「……殿下、わたしの前でも『俺』とおっしゃって構いませんから」


 変な答えだったかもしれない。うまく伝わらなかったかもしれない。

 カルリアナが後悔しながら歩いていると、ディートシウスの声が降ってきた。


「カルリアナ、読書以外の趣味は? 俺、は意外かもしれないけど、観劇」

(伝わった……!)


 想いが伝わった喜びと、ディートシウスが心を許してくれた喜びがカルリアナを満たした。それに。


「……奇遇ですね。わたしも観劇が趣味です」


 カルリアナがそう答えた瞬間、今まで静かだった廊下の向こう側から魔物たちが現れた。

 カルリアナから手を離し、背後にかばいつつ剣を抜き放ったディートシウスが、視線は魔物たちに向けたまま聞いてくる。


「運命かもね。どこの劇団が好き?」


 カルリアナは効果が切れかかっていた補助魔法をディートシウスにかけたあとで答える。


「劇団シェーンです」


 ディートシウスは大きく踏み込み、剣で魔物たちをぎ払う。


「シェーンか。いいよねー、演出がわざとらしくないのに画期的でさ。シェーンで好きな役者は?」


 カルリアナはディートシウスに聞こえるように大声で返す。


「女性ならマクダ・アルホフ、男性ならミヒャエル・ヘルターが好きです!」


 ディートシウスは奥からなだれ込んでくる魔物たちを魔法で凍らせた。


「どっちも演技派だねー。カルリアナらしいや。ヘルターって確か五十代だっけ? 渋い俳優が好きなんだね」

「あの年代の男性にしか出せない色気があるのです!」


 飛び上がったディートシウスは、一際大きいアイアンタートルの甲羅に着地すると、振り向きざまその首を叩き斬った。巧みに血飛沫しぶきをよけ、再び床に飛び降りる。


「これで全部かな。……そっかー、カルリアナは渋い男が好みかー。俺も奇麗に年を取らないとなー」


 たくさんの魔物を相手に激闘を繰り広げていたとは思えないほどに軽い口調だった。それでいて息ひとつ切らしていない。

〝この方の倫理観はどうなっているのでしょう?〟と思わなくもないが、命を奪う覚悟ができていなければ、そもそも冒険者どころか軍人にもならなかっただろう。


 人を表面だけで判断してはいけないことは、彼と知り合ってから何度も痛感している。きっと、本人の中ではさまざまな葛藤があるに違いない。ただ、周囲にはそれを見せないだけで。

 こちらまで歩いてきたディートシウスが、いたずらっぽく笑う。


「実はさ、シェーンに出資しているのは俺なんだ」


 そんな話は聞いたことがない。〝もしかして〟とカルリアナは思い、確認する。


「出資は別名義で?」

「そ。名前を出すことで、シェーンが俺に忖度そんたくするようになって、自分たちの作りたい作品を作ってくれなくなったら嫌だなあ、と思ってね。俺らしいでしょ?」


 カルリアナはくすりと笑う。


「はい、とても」


 ディートシウスは変な顔をした。

 何か変なことを言ってしまっただろうか。カルリアナがやや不安になっていると、彼がつぶやく。


「……可愛い」

「えっ!?」


 ディートシウスはしばらくのあいだ、物欲しそうな目でこちらを見つめていたが、今が仕事中だということを思い出したらしい。


「ま、それはそれとして……ところでカルリアナ、妙だと思わない?」

「妙、とおっしゃいますと?」

「これまで出てきた魔物たちの強ささ。確かに上級クラスの強さだけど、補助魔法がかけられた俺一人で楽勝できる強さなんだよね」


 カルリアナは合点がいった。


「そう言われてみれば……。たとえあの動く床に分断されてしまったとしても、金剛竜級冒険者ともなれば、それぞれ一人ずつにでもならない限り、全員行方不明になるという事態は考えにくいですね」

「そうそう。現に、ゲアとクラウスは無事みたいだし。となると、『魔物よりも知恵のある何者か』の存在を感じずにはいられないんだよね」

「『魔物よりも知恵のある何者か』……」


 ディートシウスの言葉を反芻はんすうしたカルリアナはハッとした。


(ここは【聖地】……太古に神がまつられていた場所……)


 カルリアナは即座に固有魔法【知識具現化】を使った。現れた、魔力で形作られた本が独りでにパラパラとめくられる。過去に読んだ【聖地】に関する知識が目に飛び込んできた。


(やはり……)


 確信を得たカルリアナはディートシウスに呼びかける。


「殿下」

「何かわかったの?」

「お気をつけください。この先に危険人物たちが待っている可能性がございます」


 ディートシウスは整いすぎた顔に人の悪い笑みを浮かべた。


「ってことは、そいつらに会わないと話が進まないってわけだ」

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