第13話 失礼ですが、謹んで辞退いたします(前半ディートシウス視点)

「ディート、どうした?」


 勤務中、書類を前にボーッとしているディートシウスに、ゲーアハルトが不審げに声をかけてきた。

 我に返ったディートシウスは、少しでも切なさが伝わるように親友を見つめる。


「いや、最近、というより出会ったときからアルテンブルク伯が可愛すぎて」

「……ん?」

「普段はクールビューティーなのに、俺が揺さぶりをかけると普通の女の子みたいな反応をするのが可愛くて……ギャップ萌えってやつ?」

「いや、わたしに言われても……」


 もちろん、カルリアナの可愛いところは他にもある。

 珍しい本を目にしたときの、小さな女の子のようにキラキラした瞳が好きだ。それに愛おしそうに本を扱うところや、静かに本を読んでいるときの眼差しやページをめくる仕草も。


 だが、その情景は自分の中にしまっておくべき宝物のようなもので、相手がゲーアハルトであろうと人とは共有したくなかった。

 だから、ディートシウスはふざけ倒す。


「彼女は頭もいいし、仕事もできるし、冷たそうに見えて気が利くんだ。俺が牛乳好きだと知った彼女が勧めてくれた、ミルクたっぷりのシチュードティー、最高だった。紅茶なんてケルツェン人が飲むものじゃないと思っていたけど、彼女といると新たな扉が開かれていくっていうか……俺たち、一緒にいることでお互いを高め合っていけると思うんだー」

「あ、そう」


「それに、この前、従卒が休んだときに、彼女がコーヒーをれてくれたんだけど、俺が必ずミルクをカフェオレ並みにたっぷり、砂糖をスプーンに一杯だけ入れることを知っていたんだよ。うまかったなー……彼女が淹れてくれたコーヒー。毎日、俺のためにコーヒーを淹れてほしいくらいだ。彼女はフルーツティーが好きらしいから、執事の代わりに俺が毎日お茶を淹れてあげたい」

「つまり……伯爵と結婚したいと?」


 ディートシウスはさすがに面食らった。


「ゲアって人の心が読めたっけ?」


 ゲーアハルトは呆れたようにため息をついたあとで笑った。


「あー、本気なんだね。まあ、いいんじゃない。わたしもアルテンブルク伯は知的で仕事も気配りもできる、信頼に足る女性だと思うよ。きっと、国王陛下もご安心なさるだろうね。もし、君が王太子だったら相手が伯爵でも結婚は認められないかもしれないが、幸い第一王位継承者はヨゼフィーネ王女だ。身分的にも問題ないし、さっさとプロポーズしたら?」

「それができれば苦労はしない!」


 キリッとした表情で言い放ってみたものの、数秒後、ディートシウスは机の上に人差し指でいじいじと丸を描き始めた。


「……そうはいってもさ、出会ってまだ日が浅いし、俺に対する彼女の第一印象は最悪だったと思うんだよね。ああ……できることなら一か月半前に時間を巻き戻して出会いからやり直したい……それに、告白したせいで今より嫌われたらどうすればいいんだ……」

「うわ……陽気を通り越して軽薄な男が女絡みでいじけていると、どうしようもないね」


 ドン引きしている親友(多分)をディートシウスはわらにもすがる思いで見上げた。


「頼む、ゲア! 俺より女にモテるお前を見込んで頼みがある! 彼女の攻略法を伝授してくれ!」


 ゲーアハルトは心底面倒くさそうな顔をした。


「……わたしがモテるのは否定しないが、結婚前提で付き合いたいなら、クラウスにでも頼んだほうがいいんじゃないか? 彼の誠実さは、アルテンブルク伯みたいに真面目な女性には響くと思うよ」

「嫌だ。クラウスにそんなことを頼んだら、絶対に説教される。結婚以前に普段の態度がどーのこーのと……」

「いいじゃないか。説教してくれる後輩兼部下の存在はありがたいよ」

「……後輩兼部下に説教されるって、どうなんだろうね?」


 護衛隊長クラウス・フォン・ナイマン大尉は、学生時代のディートシウスとゲーアハルトの一学年後輩に当たる。常識的な彼からすると、ディートシウスはとんでもない存在に映るらしい。自分はこんなにも清く正しく美しく生きているのに。


「ふむ、それもそうか」と仕方なさそうに考え込んでいたゲーアハルトの焦げ茶色の瞳が、何かを思いついたような光を灯す。


「そうだディート、近々、夜会に出席するよね?」

「ああ、ホルトハウス公爵家主催の夜会にね。それがどうした?」


 ゲーアハルトはにやり、と人の悪い笑みを浮かべた。


「伯爵との距離を縮める、とっておきの方法がある」


   ***


 カルリアナが王室図書館で調べ、作成した資料を手に総司令官執務室の前に立つと、扉の脇にたたずむ護衛兵が笑顔で扉を開けてくれた。お礼を言ったあとで、ディートシウスに資料を渡すために彼の机の前に進み出る。


「これ、なーんだ?」


 いきなりディートシウスが掲げてみせた手紙は、招待状のようだった。今更驚きもせず、カルリアナは淡々と答える。


「パーティーの招待状でしょうか」

「大正解。今度開かれるホルトハウス公爵家主催の夜会の招待状」

「それが何か?」


 カルリアナが冷たく応えると、ディートシウスは気を悪くした様子もなく、頬杖ほおづえをついてこちらを見上げた。


「職務の一環として、パートナー役を引き受けてくれない? この歳で妻も婚約者もいないと、風当たりが強いんだ」

(なっ……!?)


 声にこそ出さなかったが、カルリアナは内心で動揺した。彼の上目遣いに色気を感じてしまったという事情もある。

 カルリアナはポーカーフェイスを維持するよう努めながら、こう言った。


「……わたしは専属司書としてお仕えしているはずですが」


 王族や貴族が主催するパーティーの招待客は、異性のパートナーを連れていけることになっていた。たとえそれが、正式な伴侶や婚約者でなくても、招待されていない相手でも構わない。ただし防犯の関係上、身元のしっかりした上流階級の者に限られるが。


 ディートシウスのパートナー役など引き受けたら大変だ。【軍神】と名高い、若く美しい独身の王弟がどんな女性を連れてくるのか――貴族でなくても、ケルツェン国民なら誰でも興味があるだろう。注目の的になるのはごめんだし、「婚約破棄されてすぐに王弟の心を射止めた」などと噂されるのも嫌だ。


 当然というか、ディートシウスは不満げだった。それでいて、納得しているようにも見える。まるで、あらかじめ断られることがわかっていたかのように。

 彼は気を取りなおしたのか、こちらを説得にかかる。


「兄一家との食事のときも、完璧なマナーと受け答えだったでしょ? 大丈夫、君ならできる!」


 イングベルトに対する受け答えのどこが完璧だったのか問い詰めたいところだが、今は断ることに専念したほうがいい。カルリアナはディートシウスの緑がかった青い瞳を見返した。


「そういう問題ではなく、妙な噂を立てられたくないのです。ただでさえ、婚約破棄の件で社交界ではいろいろ噂されておりますし」

「わたしとの噂が立つのならいいんじゃない?」

「よくありません」


 断言すると、ディートシウスはわずかに傷ついたように眉を下げた。


(あ……)


 彼でもそんな表情をするのだと思った。胸がきゅっとして、罪悪感と申し訳なさが込み上げてくる。


(それに……もしかして、わたしを側近として専属司書にしたのも、婚約破棄に関するひどい噂を消すため……?)


 そう考えると、しっくりきた。けれど、どうして彼がそこまでしてくれるのか、想像してみるのは怖かった。

 カルリアナは言い添える。


「……別に、殿下のことを嫌っているわけではございません。ただ、本当に噂が立つのが嫌なだけです」


 ディートシウスは目をみはったあとで、柔和にほほえんだ。彼の睫毛まつげもサラサラのホワイトブロンドの髪も、すべてが柔らかそうに見えてしまうような笑みだった。


「ありがとう。わたしも無理強いしたいわけじゃないからいいよ」


 権力があるのにこういうことを言えてしまうのが、彼のずるいところだと思う。カルリアナはディートシウスの顔をまともに見ていられなくなった。

 そういえば、ひとつ気になることがある。少しためらった末に、カルリアナは尋ねてみた。


「あの……殿下は別のパートナー役をお探しになるのですか?」

「いや、一人で行くよ。君以外のひとと行っても意味ないし」

(はあっ……!?)


 カルリアナは赤面しつつ、ディートシウスにささっと資料を渡して総司令官執務室を出た。


(まったくもう……殿下はどうしてああいう思わせぶりなことを……)


 つい本気にしてしまいそうになる。彼のようなつかみどころのない人を好きになってしまったら、苦労するのは目に見えているのに。


(でも、案外、大切にしてくれるのかも……)


 カルリアナはぶんぶんと首を横に振りたくなった。

 その日の仕事は早く終わってしまったので、初出勤時にディートシウスと約束したとおり、終業時間直前まで中央書庫で読書して過ごす。

 本当は、仕事以外のときはいつでも読書していていいという約束なのだが、カルリアナの性格上、読書するのはたいてい仕事を片づけてしまってからだった。


 ディートシウスに退勤の挨拶をするために再び陸軍総司令部に赴くと、ゲーアハルトと廊下で会った。ゲーアハルトはニコッと笑う。


「閣下、お帰りですか?」

「はい、殿下にご挨拶申し上げてから帰ろうと思いまして」


 ゲーアハルトは辺りを見まわしたあとで、声を潜めた。


「殿下とご一緒に、夜会には行かれないのですか?」

「……大佐もご存知だったのですか」

「実は、殿下からご相談を承りまして」


「あはは」と笑ってから、ゲーアハルトは言った。


「お気が変わったら、いつでも声をかけて差し上げてください。殿下は表面こそああですが、根は案外健気な方なので」

「考えておきます。大佐にまでご迷惑をおかけしているようで、申し訳ありません」


〝殿下はいいお友達を持ちましたね〟と思いながら、カルリアナはゲーアハルトに帰りの挨拶をして、総司令官執務室に向かった。


   ***


 帰宅したカルリアナは、ジムゾンから手紙を手渡された。彼の様子から、差出人がオイゲーンでないことを察したカルリアナは、安心して封蝋を確認する。

 ホルトハウス公爵の紋章が押されていた。〝まさか〟と思い、封を開けると、総司令官執務室でディートシウスから見せられた招待状とほぼ同じ文面が飛び込んできた。


(ご当主がお父さまと親交がおありだったから……)


 しまった。自分にも招待状が届く可能性をまったく考えていなかった。会場でディートシウスと会ってしまったら、ものすごく気まずい。

 それだけではない。パートナーを連れず、一人で出席しようものなら、それこそいい笑いものだろう。おそらくあり得ないだろうが、万が一オイゲーンの耳に入った場合、さらに復縁要請の手紙が届く可能性もある。


 ――お気が変わったら、いつでも声をかけて差し上げてください。


 ふと、ゲーアハルトの言葉が耳に蘇った。そして、ディートシウスの言葉も。


 ――いや、一人で行くよ。君以外のひとと行っても意味ないし。


(……わたしは、結構ずるい女なのかもしれません)


 翌日、陸軍総司令部に出勤したカルリアナは、ディートシウスに「昨日のお話をお受けいたします」と伝えた。

 その日一日、ディートシウスはいつにも増して機嫌がよく、部下たちを不思議がらせたのだった。

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