第12話 復縁要請

 すでに外は闇に包まれていた。カルリアナはディートシウスとともに馬車に乗るため、王宮の車寄せに出た。


「アルテンブルク伯、ぜひ、またディートシウスと食事に来てくれ」

「遠慮はしないでくださいね。今日は伯爵のおかげですっきりしたわ」


 見送りに来てくれた国王夫妻にそう言われてしまい、カルリアナは顔が引きつらないように笑みを作るだけで精一杯だった。


(正直、気まずいのでイングベルト殿下とは二度と顔を合わせたくありません……)


「アルテンブルク伯、また来てくださいね! わたし、伯爵とディートお兄さまの仲を応援することに決めました! あなたを『お姉さま』と呼べる日を楽しみにしています!」

「そ、そうですか……ヨゼフィーネ殿下、ありがとう存じます」

「子どもは正直だねー」


 ディートシウスは楽しそうに笑っている。今日、カルリアナに降りかかった災難のすべての元凶であるくせに、その態度はなんだ。

 国王一家への挨拶を済ませ、カルリアナとディートシウスは馬車に乗り込んだ。

 馬車が動き出す。しばし訪れた静寂を破ったのは、向かいの座席に座るディートシウスだった。


「君なら知っているかもしれないけど、三人兄弟の中で、わたしだけ母親が違うんだ」

「はい、存じ上げております」

「だけど、昔から上の兄は何くれとなくわたしの面倒を見てくれてね。物心つく前から王太子教育を受けていて忙しかったはずなのに……。おかげで、上の兄にはいまだに頭が上がらないんだ。わたしにとっては死んだ父より身近な家族だよ」


 二人を見ていれば、なんとなく想像がついたことなので、カルリアナは相槌あいづちを打つにとどめた。


「……でも、イングベルトとはどうしても反りが合わなくてね。ほら、わたしは顔がいいうえに、地位も名誉もあるし、なんでもできるでしょ? それで嫉妬されているっていうのもあると思うんだー」

「……いえ、それは存じ上げませんが」

「だから、今日はありがとう。義姉あねも言っていたけど、君のおかげですっとした」


 突然お礼を言われ、カルリアナは照れてしまった。ディートシウスに感謝されると、不思議と他の人に褒められるよりもうれしかった。


「……あれは、わたしがどうしても我慢できなくなっただけで……ですが、どういたしまして、と申し上げておきます」


 ディートシウスは邪気のない笑顔を返してくれたあとで、いつもの軽薄な口調に戻る。


「でさー、さっきの話だけど、わたしが大人になっても神童でい続けているって、噂とかで聞いたことない? わたしはさ、顔だけの男じゃないよ?」

「ご本人がそうおっしゃいましても……」


 ディートシウスはすねたような顔で、座席に寄りかかった。


「カルリアナはどんな男がタイプなわけ?」

「……!」


 今日のディートシウスは、思わせぶりなことを言いすぎる。一体どこまでが本心なのだろうか。


(でも、大切な兄君とそのご家族の前で、めったなことは言わないだろうし……)


 気を持たせるような発言に、どんな意図があるのか知りたい。


「殿下は……」

「ん?」


 うつむきながら、膝の上で両手を握りしめる。ドッドッドッと心臓が早鐘を打ち始めた。


「……どのようなお考えで、そのようなことをご質問になるのですか……?」


 沈黙があった。

 しばらくして、ディートシウスの声が聞こえた。


「ごめん、調子に乗って変なことを聞いちゃったね。だけど、勘違いはしないでほしい。わたしは、誰にでもこういうことを言う男じゃないから」


 カルリアナが顔を上げると、ディートシウスの顔をぼんやりとした魔道照明の光が照らし出している。その頬は、わずかに赤く染まっているように見えた。


(……悔しい)


 ちょっと可愛いと思ってしまった。


   ***


 激動の初出勤から一週間後。

 気がかりだったディートシウスの秘書業務にも少しずつ慣れてきた。今のところ調査が必要な資料作成がほとんどで、レファレンス業務の延長に思えたからだ。

 それに、ディートシウスからの細々とした質問に答えることも重要な仕事だった。


「王都で一番おいしいカフェオレが飲めるカフェは?」「最近のヴァルタ新作のミルクチョコレートっておいしいの?」「その新作チョコに合うコーヒーがあれば教えてよ。あ、ミルクをたっぷり入れることが前提で頼むね」などなどのどうでもよさそうな質問ばかりだが。

 思わず、「司書はコンシェルジュではございませんよ」と言い返してしまった自分を誰も責められないと思う。


 とはいえ、仕事である以上はきっちりこなさなければならないので、カルリアナはお菓子やカフェに詳しい元同僚や宮廷の知人に話を聞きに行ったり、王室図書館の雑誌を調べて情報を集めたりしている。

 ときには、王宮の外にある王立図書館にまで足を運ぶこともあった。もっともその場合、ディートシウスは陸軍の馬車を出してくれるので、そこは感謝している。


 それはともかく、ディートシウスの副官はもう一人いるとはいえ、常に多忙なゲーアハルトからの質問に答えたことがきっかけで、彼に信頼されるようになったこともうれしい。


 いつもまじめに仕事をこなしてくれる、王族としてのディートシウスの護衛隊に、お菓子の差し入れを持っていったことで、隊長を務めるクラウス・フォン・ナウマン大尉にも感謝された。


 長身で長い亜麻色の髪をひとつに束ねたクラウスは、年齢のわりに落ち着いた物腰とシャープな顔立ちのせいか、少し冷たそうでとっつきにくそうな雰囲気なのに、性格はディートシウスの側近とは思えないほどまともで、好感の持てる人柄だった。


(王室図書館よりも男性が多い職場なので、少し心配していましたが……みなさんお優しいですね。これならやっていけそうです)


 シュテルンバール公爵邸での業務は、カルリアナに権限が一任されている。今のところ、資料を並べ替えたり、破損を防ぐために本に物質強化魔法をかけたりと、好きにやらせてもらっている。ディートシウスに必要そうな資料の選書も始めた。


 悪くない滑り出し。

 ただひとつ気がかりなことがあるとすれば、ディートシウスの自分への感情だ。

「好きだ」とか「付き合いたい」と言われたわけではないし、親族に紹介されただけだ。それでも、彼がカルリアナに何を望んでいるのかが、どうしても気になってしまう。


 本で得た知識によると、世の中には「身近な女性に対して、都合のいい関係を望む男」という人種がいるらしいので、用心せねばならない。そういう男に限って、ある日突然、結婚が決まったと言って別れを告げてくるらしいので恐ろしい話だ。


(オイゲーンと同じ「クズ枠」というやつですね)


 ただ、カルリアナには自信がなかった。ディートシウスが「クズ男」なのかそうでないのかが。ゲーアハルトやクラウスによると「女性の影がない」という話は、どうやら本当らしいのだが。

 そこまで考えて、カルリアナはふと虚しくなった。


(自分でも好きかどうかわからない方に対して、何を期待しているのでしょうか)


 そもそも、ディートシウスは王族。自分は伯爵とはいっても一貴族でしかない。

 ――と、多少もやもやすることはあっても、仕事自体にやりがいを感じ始めていた矢先。


 帰宅したカルリアナが夕食後に、茶葉を使用していないストロベリーティーを楽しんでいると、いったん下がっていた執事のジムゾンが一通の手紙を持って現れた。

 カルリアナは手紙に目を留めた。


「手紙ですか? どなたからです?」


 ジムゾンは言いにくそうな顔をした。覚悟を決めたように、手紙の封蝋ふうろうを表にして差し出す。


「それが……オイゲーンさまからなのです」


 彼の言うとおり、封蝋にはオイゲーンの使っている紋章が押されている。

 カルリアナは冷淡に言った。


「破り捨ててください」

「えっ!」

「冗談です。婚約解消したとはいえ、ヒルシュベルガー子爵家とは縁を切っていない手前、目を通しておかないとまずいですからね」


 カルリアナはホッとしているジムゾンから受け取った手紙を開く。

 ヒルシュベルガー子爵家からは、オイゲーンは修道院に入ったと聞いている。それがヒルシュベルガー子爵のけじめのつけ方なのだろう。


(アホな息子を持って、おじさまも大変ですね)


 親戚であるヒルシュベルガー子爵への同情と義務感から手紙を読むことにしたカルリアナだったが、読み進めていくうちに口元が引きつるのを感じた。


『カルリアナ、君こそが運命の相手だったのに、わたしはあの女のせいで心を曇らされていたんだ』


 延々と続く、かつては「運命の相手」だと言い切った浮気相手への罵詈雑言ばりぞうごんと鳥肌が立つような、カルリアナへの美辞麗句。彼の思い描く「カルリアナ」はどこまでもご都合主義な女性だ。そんな女性は全種族を探しまわっても、おそらくこの世には存在しない。

 最後はこう締めくくられていた。


『君が謝ってくれればいつでもやり直す準備はできている。さあ、わたしをこの地獄から救い出してくれ』


〝謝るのはそっちでしょうが〟と思いながら、カルリアナはシャンデリアのつり下がる天井を仰いだ。


(大方、浮気相手に捨てられたので、わたしに泣きついてきたのでしょう。誤字脱字多数な文面は以前と変わっていませんが、浮気したうえに婚約破棄をしておいて虫がよすぎますね)


 間違いない。オイゲーンは自らを省みることができない正真正銘のクズなのだ。


「ジムゾン、この手紙の写しを取って、ヒルシュベルガー子爵に送ってください。実物は何かあったときの証拠になるでしょうから、保管しておいてください」

「……かしこまりました」

「それと、オイゲーンが収監、じゃなかった……入っている修道院の関係者とつながりを作ってください。オイゲーンが一般社会に出てきた際、すぐにわたしの耳に入るように」

「かしこまりました」


 ジムゾンは手紙を持って下がり、カルリアナは冷めたストロベリーティーを飲み干した。


「やれやれ……面倒なことにならないとよいのですが」

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