第11話 王室の兄弟(後編)

 夕食が始まった。同席しているのは国王アーロイス、王妃エリーザベト、王女ヨゼフィーネ、王弟イングベルト、王弟ディートシウス、そしてアルテンブルク伯カルリアナの六名だ。


 そうそうたる王室メンバーの中に、王室と血縁があるわけでもない自分がいることに、カルリアナはあらためて場違い感を覚えていた。しかも、カルリアナの隣に座るのは国王アーロイスその人だ。


(さすがに、緊張しますね……)


 とはいえ、空腹には勝てない。カルリアナは目の前に置かれた、具だくさんのスープ、マウルタッシェに口をつけた。パスタ生地でできた具をかじると、ひき肉とオニオンなどの野菜が口の中でほろほろとほどけていく。宮廷料理だけあって絶品だ。


 それにしても、ディートシウスとイングベルトは先ほどから目も合わせようとしない。これは、相当仲が悪いようだ。

 対照的に、ディートシウスは義姉に当たるエリーザベトや姪のヨゼフィーネには、笑顔で応対している。特にヨゼフィーネと仲がよいようだ。


「ディートお兄さま、わたしね、新しいボードゲームをお父さまに買っていただいたの。今度お兄さまも遊びましょう」

「うん、遊ぼう。ヨゼフィーネのコレクションはおもしろいものが多いからね。でも、手加減はなしだ。絶対、わたしが勝つよ」

「お兄さま、大人げない! わたしはお兄さまより十六歳も年下なんですよ? 少しは可愛い姪を立ててください」

「ダーメ。わたしはいつでも真剣勝負なんだ」


 ……どうも、叔父というより、同レベルの遊び相手のようだ。


「もう! お兄さまったら!」


 しかし、ヨゼフィーネはまんざらでもないのか、眉をつり上げているのに、口元は笑いをこらえている。若い美男子は得だ。

 二人のやり取りをにこやかに眺めていた王妃エリーザベトが、カルリアナに視線を向けた。


「アルテンブルク伯はディート殿下の専属司書になられたのでしょう? どんなお仕事をなさるのですか?」


 カルリアナは居ずまいを正した。


「まだ初日ですが、殿下からはお屋敷の図書室の管理と陸軍総司令部での秘書役を拝命しました」


 お役目のとき以外は、本を読み放題だという約束は伏せておく。

 エリーザベトは嫌味のない微笑を浮かべた。


「きっとアルテンブルク伯は優秀なのでしょうね。ディート殿下は有能な方を集めるのがお好きですから。多分、司書としてより秘書としてのお仕事を任されることのほうが多くなると思いますよ」

「え、そうなのですか」


 それは困る。

 ディートシウスが口を挟んだ。


「ひどいな、義姉あね上。人を人間コレクターみたいに。それに、秘書といっても、彼女にはレファレンスを中心に任せる予定なので、陸軍総司令部でも司書としての仕事はしてもらうつもりですよ」

「あら、ごめんなさいね」


 ディートシウスとエリーザベトはほほえみ合う。そのとき、チクリ、と胸が刺すように痛んだ。


(……ん? 今のはなんでしょう?)


 カルリアナが不思議に思っていると、ヨゼフィーネが可愛らしく小首を傾げた。


「もしかして、アルテンブルク伯はディートお兄さまの恋人なのですか?」


 子どもの言うこととはいえ、カルリアナはぎょっとした。ディートシウスも宝石のような目を見開いたが、すぐにおもしろそうな表情になり、姪に聞き返す。


「ヨゼフィーネはどうしてそう思うの?」

「だって、お兄さまが女性を紹介してくださること自体、初めてですもの。しかも、お兄さまの秘書をなさるのでしょう。女性秘書と王子の恋! まるでロマンス小説みたいではありませんか。それに伯爵はとてもお奇麗だし、頭もよさそうでしょう? お兄さま、よくおっしゃいますよね。『わたしは顔だけの女は嫌なんだ。自分の顔がよすぎるから間に合ってる』って」


「ディートシウスの恋人ではないか」と言われたショックも忘れ、カルリアナは思った。


(……十歳の姪御さまになんてことを話すのでしょう。この方は)


 ディートシウスは鼻歌でも歌い出しそうな顔で、ソーセージをかじっている。もぐもぐと咀嚼そしゃくして飲み込んでから、フォークを置いた。


「残念ながら、まだ恋人じゃないんだ。でも、この先どうなるかはわからないな。ヨゼフィーネの言うとおり、伯爵はとても魅力的な女性だから」


「まあ!」とヨゼフィーネが愛らしい顔を上気させて、口元を両手で覆う。エリーザベトも興味深そうにカルリアナとディートシウスを交互に見、今まで会話に加わってこなかったアーロイスは爽やかに笑っている。


(え……ちょっと……)


 ディートシウスの一言をきっかけに、王室一同がめでたい雰囲気になってしまった。たとえるなら、平民を描いた小説や戯曲、演劇でよく見る、ようやくできた彼女を身内が連れてきた場面のような。


〝ディートシウス殿下が軽々しく甘い言葉を吐くタイプではない、というのは本当のようです〟とパニック寸前の頭の片隅でカルリアナは思った。

 こういうときはどんなふうに対処すべきだろうか。


「わたくしにはまったくその気はございません」と応じるべきか、大人らしく曖昧にほほえんでみせるべきか。

 というか、自分はディートシウスの恋人候補になって腹を立てているのか、それとも喜んでいるのか、それすらも今はわからない。


「公私の区別がついていないところは、実にそなたらしいな、ディートシウス」


 突然投げかけられた攻撃的な言葉に、和やかな場は静まり返った。

 今まで黙って食事をしていた、もう一人の王弟、イングベルトがバカにしたような視線をディートシウスに向けている。王子らしい貴公子然とした容姿の男性だが、素晴らしく美男子の異母弟と比べてしまうと、どうしても見劣りしてしまう。現在の年齢は三十四歳のはずだ。


「イングベルト」


 アーロイスがたしなめるように弟の名を呼んだ。当のイングベルトは薄笑いを浮かべている。

 ディートシウスの緑がかった青い目がすっと細まった。


「イングベルト兄上、わたしは常日頃から、公私の区別はきちんとつけているつもりですが」

「ほう? 準貴族でしかない者を学生時代のよしみで大佐にまで昇進させ、副官にしているくせにか?」


 ディートシウスの語気に怒りが籠もった。


「シュノッル大佐の悪口はやめていただきたい。彼はわたしの親友ではありますが、今まで一切思い上がることなく、実力で大佐になりました。それに、彼はケルツェンでも珍しい召喚魔法の使い手です」


 イングベルトは肩をすくめた。


「そこまで言うのなら、そういうことにしておいてやろう。ということは、アルテンブルク伯も実力でそなたに雇われたのだな?」


 ディートシウスが答える前に、カルリアナはイングベルトに笑顔を向けた。


「わたくしとしては、そうであると自負しております」


 いくらディートシウスが気に入らないからといって、幼い王女も同席している食事の場を台なしにされたことにも腹が立ったし、いつも親切にしてくれるゲーアハルト・フォン・シュノッル大佐を、身分を理由にけなされたことも許せなかった。

 イングベルトは嫌らしい笑みを浮かべる。


「では、そなたは我が国の現状をどう思う?」

(嫌な質問ですね)


 国情を批判すればアーロイスを非難することになるし、だからといって無条件に褒めちぎれば、びていると思われるだろう。


「女性には興味のない質問だったかな?」


 イングベルトの一言に、カルリアナは血管が切れそうになった。

 自分を落ち着かせながら、適切な答えを探す。目の前の男を沈黙させるような答えを。


「最近、ケルツェンで実用化された新型の魔道照明器具の輸出が好調で経済が潤い、物価と金利が安定しているのは、ひとえに国王陛下のご努力の賜物でございます。外国でも似たような魔道具が発明されていたようですが、新型の将来性を見抜き、国を挙げてご支援なさった国王陛下のご慧眼けいがんには驚き入るばかりでございます。何せ、他国では君主や政府が新型の素晴らしさに気づかず、完全に民間任せにした挙げ句、我が国におくれをとってしまったと聞き及びますから」


 カルリアナが言い終えると、イングベルトは呆気に取られたような顔で口を半開きにしていた。

 ディートシウスは得意げに腕を組み、国王夫妻は穏やかな顔でうなずき交わしている。

 ヨゼフィーネが「なんだかよくわからないけど、すごい」とつぶやいた。

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