第10話 王室の兄弟(前編)

 ディートシウスに調子を狂わされてしまったものの、中央書庫を満喫したカルリアナは、帰途につくため彼とともに王室図書館から廊下に出た。すると、向こうから供を連れた男性が歩いてくるのが見えた。

 ディートシウスが即座に立ち止まり、お辞儀をする。カルリアナはチェーンで首から下げていた眼鏡を掛け、男性の顔を確認した。


(あれは……国王陛下!)


 カルリアナもすぐさまお辞儀カーテシーをした。

 ケルツェン国王アーロイスは、ディートシウスとはちょうど十歳違いで、現在は三十六歳のはずだ。弟のような派手な美貌ではないが、端正な顔立ちの上品な男性である。

 早足で歩み寄ってきたアーロイスは、ディートシウスにほほえみかける。


「ディート、こちらに来ていたのか。一言言ってくれればよかったのに」

(ふーん、ご親族からは「ディート」と呼ばれているのですね)


 ディートシウスはすまなそうに応えた。


「申し訳ありません、兄上。今日はこちらのアルテンブルク伯を中央書庫に案内するだけの用事で、参内したものですから」


 表情も口調も完全に別人である。カルリアナが驚き呆れていると、アーロイスがこちらを向いた。


「久しいな、アルテンブルク伯。ディートシウスの専属司書になったそうだが、弟が無茶を申していないか?」


 カルリアナは若干引きつった笑みを返した。


「いいえ、めっそうもございません。殿下にはとてもよくしていただいております」


 ディートシウスが大きくうなずいた。


「そうなのです」

(……あなたが言うな)


 カルリアナは心の中で突っ込みを入れるにとどめた。

 アーロイスは「はて、本当かな?」と言いたげな顔をしていたが、優しい眼差しをディートシウスに向けた。


「ディート、せっかくこうして会えたのだから、わたしたちと一緒に夕食をっていかないか? 娘もそなたと会うのを楽しみにしていてな」

「ヨゼフィーネが? うれしいなあ」


 兄弟のあいだで話がまとまりそうなので、カルリアナは先に帰ることにした。たまには馬車を使わず、シュテルンバール公爵邸まで散歩するのも悪くない。中央書庫の稀覯本きこうぼんを読むことができて、カルリアナは気分がよかった。


「陛下、ディートシウス殿下、恐れ入りますが、わたくしはこれにて失礼させていただきたく存じます。ご家族でのお食事をごゆっくりお楽しみくださいますよう」


 そう言ってカルリアナは退出しようとしたのだが。


「兄上、アルテンブルク伯にも同席してもらってはいかがでしょう」

「彼女に?」

「はい。話していると、とても楽しい女性ですよ。きっと義姉あね上とヨゼフィーネもお気に召します」

(ちょっ……何を言い出すのですか!)


 カルリアナが抗議の声を上げる前に、アーロイスが興味深そうな視線をこちらに向けてきた。


「ほう、そなたがそこまで女性を褒めるとは珍しいな。相変わらず、男同士でつるんでいるほうが好きなのかと思っていたが……少し安心したよ。アルテンブルク伯、迷惑でなければ、ぜひ夕食に同席していかないか?」

「そうそう。わたしたち二人とも、昼食を摂っていないことだしね」

「何!? それはよくない。用意させるから、ミルクだけでもすぐに飲みなさい。アルテンブルク伯、弟が無理をさせたようですまない。おびも兼ねて、ごちそうさせてくれ」


 アーロイスは兄というより、母親のようである。そんな国王の様子を見ていたら、断る気が失せてしまった。昼食を摂ることも忘れて読書にふけってしまったせいで、今更ながらお腹が空いてきた、という理由もある。


 それにしても、誰にでも甘い言葉をささやいているように見えるディートシウスが、男友達とつるむほうが好きだとは意外だった。そのうえ、今までめったに女性を褒めることがなかったとすれば、なぜ兄王の前でカルリアナを持ち上げ、親族の集まる食事に同席するよう仕向けたのだろうか。

〝謎です〟と思いながらも、カルリアナはアーロイスに向け微笑してみせた。


「いえ、ディートシウス殿下のせいではございません。珍しい本を前にすると寝食を忘れる、わたくしの悪い癖が出てしまって……。陛下がそこまでおっしゃってくださるのなら、ご厚意に甘えさせていただきとう存じます」


 ディートシウスが「外堀埋め作戦第一段階、成功!」と小声で言いながら片手で握り拳を作っているが、あれにはなんの意味があるのだろうか。カルリアナの視線に気づいたディートシウスが、にへらと笑った。


「あ、君の家にはわたしが使いを送っておくよ。夕食はこちらで摂るってね」

「それはありがとう存じます」


 手間が省けたので、カルリアナは心からお礼を言った。何も考えていないようで気の利く人だ。

 笑顔でその様子を見守っていたアーロイスが、少し言いにくそうにディートシウスに告げる。


「そうだ、ディート。イングベルトも同席するのだが……構わないか?」


 イングベルトとはおそらく、二人いる王弟のうち年長のイングベルト王子のことだろう。

 ほんの一瞬だけ、ディートシウスが真顔になった。が、すぐに明るく笑う。


「ええ、もちろんです。イングベルト兄上とお会いするのは久しぶりだな」


(確か……国王陛下とイングベルト殿下は同母兄弟で、ディートシウス殿下だけ先王陛下が後添いとしてお迎えになった、二度目の王妃陛下のご子息なのですよね)


 ディートシウスの母君は絶世の美女だったそうだが、先王が彼女を王妃に迎えたのは最初の王妃と死別した六年もあとだったはずだ。アーロイス、イングベルトともにディートシウスの母王妃とトラブルがあった、という話は聞いたことがない。


 そもそもケルツェンでは、たとえ異母兄弟であっても、兄弟間での争いが起こりにくいと言われていた。

 ケルツェン王国は一夫一婦制が原則で、国王は愛人を置くことはできても、第二妃・第三妃を置くことは禁じられていた。そのため、ただ一人の国王の配偶者である王妃も国王と同じく「陛下」という敬称で呼ばれる。


 そして、基本的に愛人の子は、王位にはけない。

 それゆえケルツェンでは、王位継承者を確保することに困難が生じることがある代わりに、一夫多妻制を採用している国々で聞くような、王位を巡る熾烈しれつな兄弟間の争いはまれだった。

 母親同士の確執は、子どもたちにも受け継がれてしまうことが多いのだ。


(なのに、ディートシウス殿下はイングベルト殿下に対して、あまりいい感情を持っていないようです。どちらも王妃の子とはいえ、母親が違うとそういうこともあるのでしょうね……兄弟のいないわたしにはよくわかりませんが)


 ディートシウスの意外な一面を知り、カルリアナは考え込んでしまった。今日の夕食は嵐が吹き荒れるかもしれない。

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