第二部 4話 祖母と冬の焦り
もうすぐ大学も冬休みになる頃。さくらは空き教室で一人、卒業制作の最終作業を進めていた。
「キラキラ……でも日常使いだから、もっとおとなしい方が――」
独り言をつぶやきながら、彼女は手を止めずに作業を続ける。
提出は翌年の一月半ば。そこまでには十分間に合うだろうが、最後の細かいところまで手が抜けない。慎重に繊細な作業を進めていく。
教室の外で一つの足音がしていた。
その足音は教室に入って来たが、さくらは気が付かない。
「わっ!」
後ろから声を掛けられ、さくらは声を上げずに体を震わせて驚いた。
振り返ると、そこには瑠璃がさくらの手元を覗き込んでいた。
「頑張るねー。もう一九時だよ?そろそろ帰ろう?明日は朝からバイトだよ」
瑠璃は近くにあった椅子を持ってきて、さくらの横に座った。
「うん。……でももう少しだけやってく」
「そう。じゃあ私ここにいるわ」
「どうして?」
「暇だから」
特に邪魔してくるわけでないのならいいか、とさくらは作業に戻った。
「洋子先生を目指し出したのっていつから?」
瑠璃からの質問に、さくらは手を止めずに答える。
「小学生の時。たまたま百貨店で展覧会やってて、そこで洋服が気に入っていくつか買ってもらったの。お姫様の服作るようになった後で、洋子先生の服を真似しながらいくつか作っていくうちに、この人の下で働きたい、この人みたいなファッションデザイナーになりたい、って思うようになってた」
「その想いで独学でここまで成長できたんだから、すごいよねえ。才能の塊だ」
「そんなことないよ。好きでやってたことだから」
さくらがそう言うと、瑠璃は首を横に振って否定した。
「私、世の中に天才はいないと思ってるんだよね。みーんな努力して、そのことに時間割いて、足掻いて足搔いて、血の滲むような努力して、色んな人に見つけてもらえる。見つけてもらえなくても誰かの好きになれる」
「それが、才能?」
「初めから持っていてもそれを自分で見つけなきゃいけない。それを見つけて初めて才能が開花する。私はそう思ってる。さくらだって、人形に会わないで、先生の作品にも会わなかったらここにはきっといない」
そう言われて少し手を止めた。
少しだけ考え込む。
どちらも大切な存在で、決してなくすことはできない。どちらかを取らないといけないとなれば、彼女は無理をしてでも両方掴みに行くだろう。
「……うん。そうだね。どっちかが欠けてたらいけない。どちらもあたしを作ってきた一部だから」
さくらは大きく背筋を伸ばした。
彼女は立ち上がり、帰り支度を始めた。キリの良いところまで進めたのだ、年が明ける前までには終わらせられるだろう。
******
十二月最後のアルバイト。
今日は龍慈のおごりで忘年会をしていた。
この年は龍慈の作品が大々的に評価され多くの仕事が舞い込んだ年となった。
そのおかげで少しだけ時給が上がった。
忘年会に選んだのは少しお高いすき焼き屋さん。楽しく話をしながら食事をしていると、さくらの携帯電話に着信が入った。母からだった。
「あ、すみません。少し出てきます」
「ゆっくりどうぞ」
龍慈の許可を得て、急いでお店の外へ出た。風が冷たい。
「もしもしお母さん?どうしたの?」
『ああ良かった出てくれた。今どこにいるの?』
「バイト先の忘年会だけど。何かあったの?」
電話先は無言になった。三秒ほどの沈黙の後、母が意を決したような声音で話を始めた。
『私の方のおばあちゃん居るでしょう?』
「え、うん」
『持病があったんだけど、最近病状が悪化してね、これからおばあちゃんの所へお父さんと向かうから。帰ったら誰もいないから。ごめんね』
さくらは心臓がきゅっとなるのを感じた。
最近良いことが続いていたせいで急に悪いことが起こると心臓に悪い。何もないことを祈りながら、さくらは通話を切った。
少し夜風にあたってから店の席に戻ったが、龍慈には何かあったのかと問われた。
少し驚きながらも、何もありません、とそれだけを返して、ざわつく心を隠しながら忘年会を過ごした。
******
年明けにそんな話聞きたくなかった。
両親が帰って来た一月二日。
さくらは元から卒業制作があったので祖母の所に行く予定はなかったが、今回ばかりは行った方がよかったのかもしれないと、頭の片隅で考えていた。
「――それでね。おばあちゃん、もう一人暮らしできないの。老人ホームとか病院に入れるような余裕はないから、私たちがおばあちゃんの面倒を見ることになったの」
「だから、さくらがここを出るタイミングで俺たちもここを出ていくことにした。一度お前の伯母の所にお世話になるが、あそこは子供が多いからすぐに別の家を探す予定だ」
父がそう伝える。
叔母の家の子供たちは四兄弟で上三人は怪獣のように手を付けられないようなやんちゃな子供たちだ。そんなところに老人を一人置いておくわけにはいかない。だから新家を探して一緒に暮らすのだろう。
「あれ、じゃあ、荷物はどうするの?」
「一応必要なものは全て一度持って行くわ」
「まあ、そんなに大きな家には引っ越さないだろう。2LDKか3くらいか」
父の言葉に、母は肯定する。
「じゃ、じゃあ!お人形さんたちは?連れて行ってもらえない?」
両親は顔を見合わせた。
さくらの行く社宅が狭いこと、人形はこのままでという話はしていた。
「叔母さんのところに置いておくのは駄目か?」
「絶対に駄目!あんな怪獣たちの所に置いておいたら、箱に入っていても無理やりこじ開けて壊しちゃうんだから!」
バラバラになる人形を想像してしまい頭がくらくらする。
「じゃあどうするの?」
母に問われてさくらは俯いた。
「……探す」
「え?」
「この子たちを大切にしてくれる人を探す!」
「えー……と、親戚頼る?」
母の言葉で、親戚たちに頼ることにした。と言いつつも、当たれる親戚は二か所しかないのであまり期待はできない。
不安は残るがここを離れるまでには決めなければいけなくなってしまった。
******
学校で卒業制作最終作業に取り掛かっていると、ドタバタと足音を立てながら瑠璃がさくらの元へやって来た。
「さくらー!終わった!」
瑠璃は提出済み証明書を高らかに掲げさくらの前に差し出した。
「あー……うん」
瑠璃とは対照的な反応のさくらに、彼女の表情と感情はスンッと落ち着きを取り戻した。
彼女はさくらの近くにあった椅子を持ってきてそのまま前に座った。
「……どうしたの。作業終わらない?」
瑠璃の言葉に、さくらは静かに首を横へ振った。
瑠璃は小さなため息をついて、身体を椅子の背もたれに預けた。
「……これ」
さくらに言われて、瑠璃はさくらの作品のスカートの腰部分を確認した。
「何見てほしいの?」
「ベルトに付いてる装飾」
言われた通りにさまざまな角度からベルトを中心に全体を確認した。
「何も問題ないと思うけど。色バランス、全体のバランス、スカートの長さ、生地の厚さ。どれも問題ないよ」
瑠璃の言葉に、さくらは立ち上がりお礼を言った。
「何かあったの?」
「…………い」
「え?」
「事態を軽く見ていたバカなあたしを許してくださいー!」
なぜか泣き始めたさくらを見て、瑠璃は困惑と同時に心配した。ここまで情緒不安定な彼女を見たのが初めてだからだ。
「な、何よー。言わなきゃわかんないでしょー」
瑠璃はさくらの頭をポンポンと軽くたたいて落ち着かせる。
徐々に気持ちを落ち着かせ、さくらは今まであったことを簡潔に話した。
「なるほどねえ。さくらにとって唯一無二のお人形さんと別れないといけないのかあ。……私が預かろうか?」
「……でも瑠璃ちゃんも一人暮らししちゃうじゃん」
「うん、まあ。1Kの予定だからそんなに広くない。お金ないしね」
「でしょう?親戚当たる予定だけど……はあ、どこかにお人形さん大好きな子いないかなあ」
「我儘」
「知ってる」
さくらは涙を拭って、着飾ったトルソーを持ち上げ教室を出た。
瑠璃が荷物を持って追いかけて来た。
「どこ行くの」
「これ提出しに行くの。荷物置いておいてよかったのに」
「え、あれで終わり?良いの?」
「昨日にはできてたから」
「えー。じゃあなんで見せたの」
瑠璃は納得いかないような声を上げた。先ほど見て確認したのは何だったのか。それだけが気になった。
「……何か、話したかったから」
「ふーん?」
さくらは瑠璃から荷物を受け取ろうとしたが、彼女は最後まで荷物を持っていてくれた。
無事卒業制作を提出し終わると、二人はそれぞれ帰路についた。
卒業制作を提出すれば、後は卒業式まで春休みだ。その間に人形を大切にしてくれる人を見つけなければ。
そう焦っていた。
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