第二部 2話 夢とお姫様
目の前には走り描きしたノートが一冊。右手に鉛筆を持って机をたたく。
専門学校の一室で、コツンコツンと音が鳴る。時々溜息も交じって卒業課題が進まない。
「なーにしてんの?」
誰かが声をかけて来た。そちらの方を見上げると、茶髪の女性が立っていた。
「瑠璃ちゃん」
さくらは顔を上げて、前の椅子へ移動する瑠璃を顔で追っかけた。
目の前に座った瑠璃は、さくらのノートを覗き込む。
「卒業課題?」
「そう。装飾どうしようか迷ってるの」
「モチーフ何だっけ?」
「日常でも着られるお姫様風衣装」
「また難しいものに手を出したね」
瑠璃はクスクス笑う。さくらは唇を尖らせて何故ここへ来たのか尋ねた。
「えー、アルバイトもう行こうよ、って。呼びに来たの」
「え!もうそんな時間⁉」
さくらは勢いよく立ち上がり、ノートとペンを急いで仕舞い講義室から出ていく。瑠璃もその後を追った。
二人とも服飾専門学校の二年生だ。
これから向かうのは学校からバスで二十分ほど先にあるアトリエ梟。ファッションデザイナー兼アクセサリーデザイナーである七森洋子が運営しているサブアトリエだ。
彼女の作品は大々的に宣伝されはしないが、彼女の作品が出たと知られればすぐに売り切れるほど人気だった。
さくらはそんな彼女に憧れを抱いていた。小学生の時に洋子の作品に出合い、触れ、こんな可愛いお洋服を作れるようになりたい。そう思うようになり、本格的に裁縫の勉強を始めた。
きっかけはさくら自身が持っていた人形だったが、本気で夢を見せてくれたのは洋子の作品だった。
本元のアトリエはさくら達の学校がある県から三つ先の県にある。
洋子がサブアトリエに来るのは月に二回。普段は洋子の二番弟子が運営しており、さくら達アルバイトは彼女たちの作品作りの手伝いなどをしている。
バスで移動していると、辺りで葉桜が風になびいているのが見えた。
「春も終わりだねー」
「ね。姫ちゃんの春服どうしようかな」
「でた、さくらの大好きなお人形さん」
「子供っぽいって?」
「だーれもそんなこと言ってないよ。大好きなんだからいいと思うよ。その子のおかげで今ここにいるんだから」
「本当。姫ちゃんには感謝しかないよ」
暖かな日差しを浴びながら、愛しいお姫様の姿を思い描く。
ずっと一緒にいると約束したお姫様。今年はフリル多めのスカートにしようと決めた。
バスに揺られて二十数分。ようやくアトリエ付近のバス停に着いた。ここから十分ほど歩いて、バイト先のアトリエに辿り着いた。
「こんにちは!本日もよろしくお願いします!」
二人は着替えて作業場へ入ると、大声であいさつをした。
アトリエにいるアルバイト三人から挨拶が帰って来た。男性二人、女性一人だ。
「さくら、瑠璃」
二人が持ち場に着くと、洋子の二番弟子である
二人はすくっと立ち上がり、挨拶をした。
「本日もよろしくお願いします!」
「ああ、よろしく。他の子たちには先程話しましたが、今日は洋子さんが来ていますので、失礼のないように」
龍慈はそれだけを伝えて自身の作業をするために元の作業場所へと戻った。
二人は息を飲んだ。憧れで目標である洋子が今日来ている。そう思うだけで体が強張ってしまう。
「どこにいるんだろうね」
瑠璃が小声で呟いた。
さくらは小声で同意を返した。
三時間ほど小物整理をしたりスカートに刺繡を入れたりしていると、龍慈からさくらへ面接室へ来るようにお呼びがかかった。
面接室には始めてアルバイトの面接に来て以来だ。
面接室前まで来て扉を叩き返事がすると、落ち着かない心臓と共にさくらは面接室へ入室した。
「失礼します」
面接室の中には簡素な机と椅子。ソファーや龍慈の取った表彰の飾り棚などが置かれていた。
「こんにちは。お久しぶりですね、さくらさん」
机のすぐそばで待って声をかけて来たのは洋子自身。
さくらは深呼吸をして、机のそばまで近づいた。
洋子は椅子に座るように促され、一礼してから着席した。
「ここでのお仕事には慣れましたか?」
「は、はい!龍慈さんに厳しくしてもらって感謝しています」
さくらは緊張のあまり口を噤んだ。
「本日はお話があり、ここに来ていただきました」
さくらは唾を飲んだ。鼓動が早くなる。ここで手に入れた技術や知識は計り知れない。このアトリエで雇われたこと自体が奇跡だというのに、卒業まで一年もない今、クビを言い渡されるのは致命的だ。
「そんなに緊張しなくていいですよ。クビにするとかではないですから」
全てが見透かされていた。
態度か声音か。彼女には一生敵わないという思いが湧き出てくる。そして何より、クビでないと聞いて安心した。
「さくらさんは既に就職先は決めてしまっているのかしら」
「い、いえッ。えっと、二社ほど合格を頂きましたが、今はまだ決めてはいません」
「そうなの」
洋子は嬉しそうにして手を合わせた。
思いがけない態度に、さくらの体から少しばかり力が抜けた。
さくらが質問をするより先に、洋子が用件を話始めた。
「実はね。貴女を私の会社へ迎え入れたいのよ」
さくらの頭は真っ白になった。
今彼女は何と言ったか。
〈私の会社へ迎え入れたい〉
確かにそう言った。
今まで目標にしていた彼女の会社へ入社できる。そう考えただけで今にも飛び上がりそうなほど嬉しかった。
「――面接はきちんとしていただくのだけれど……聞いてます?」
さくらは我に返り裏返った返事を返した。
「よろしければ、そうですね……来週にでもいかがでしょうか」
「はい!私でよろしければ、面接受けさせていただきます!」
さくらの返事を聞いた洋子は、満足そうに笑顔を向けた。
その後いくつか質疑を繰り返し、さくらは解放された。
ドキドキとふわふわした身体がいつまでもさくらを決して離さなかった。
作業室に戻ると瑠璃から「うわっ、変な顔」と言われてしまった。
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