第5話 出会いと別れと新生活
三日後、さくらの荷物が両親の車に積み込まれていきます。
明日はさくらが引っ越す日です。両親に荷物を詰め込んでもらい、車内の半分は埋まっていました。
机などの大きなものは先に新居に送ってもらっています。
この家はさくらが生まれ育った場所。ですが、さくらは遠くへ就職、両親は母方の祖母の体調が急変したために実家に戻るそうです。そのためこの家はもうすぐ空き家になります。
さくらの家を王国だと思い込んでいたお姫様ですが、ここがさくら一家の家であると認識したからなのか、悲しさが一気にこみ上げてきます。
『これで全部か?』
父親がさくらに問いかけます。
さくらの近くには大きな段ボールが三箱積まれています。それはお人形やそのお人形が着る洋服、そして小物。これらすべて紅葉に上げるのもでした。
お姫様はさくらに抱き抱えられ、車の中を平静を装って見ていました。
明日にはさくらと離れ離れになるのだと考えると、途端に寂しさが込み上げてきてしまいます。それを押し込みたいですが、なかなかうまくいかずに表に出てきてしまいます。
さくらたちがお姫様の様子に反応しないことから、お姫様は自分の気持ちが知られていない安堵と、やはり自分の気持ちが伝わっていない気持ちがぶつかります。
お姫様はギュッと抱きしめられ、別れを惜しんでいるのは分かりました。
『人形たちは、本当に持っていかなくてよかったの?あんなに大切にしているのに』
さくらは母親に問われ、複雑な表情を見せました。
『寂しいよ。でも、せめて二年は仕事に集中して、色んな技を覚えていきたいから。あたしは、仕事のせいでこの子たちを蔑ろにできないから。服飾の世界で活躍したいから。夢は諦められない。だから、あたしはこの選択を悔いたくはないの』
「さくらならできるよ!だって私たちのお洋服こんなにかわいく作れるもの!私ずっと応援してるから……!」
お姫様が必死に声を上げると、おもむろにさくらがお姫様を目の前まで抱え上げました。
『どうしたの?』
『んー、なんかね。姫ちゃんがあたしを応援しているような気がするの。ずっと応援してるからね、って』
『きっとさくらがずっと大切に手入れしていたからだね』
父親がお姫様の頭を撫でながら言いました。
今の話を聞いて、お姫様は高揚していく気分になりました。今までの人生の中で、恐らく初めてさくらに自分の言葉が伝わったのです。
お姫様は今にも空へ飛んでいきそうになり、笑みがこぼれました。
『荷物は全部積んだな』
『うん。大丈夫』
『明日は朝四時に出るからな、渡す分は今日中に渡しておきなさい』
『……うん』
お姫様はさくらの心臓の鼓動が早くなるのを感じ取りました。
両親は家の中へ戻りましたが、さくらは一人、台車に段ボールを乗せて紅葉の家へ向かいます。
さくらの歩みはいつもより遅く、少し立ち止まっては空を見上げています。
「大丈夫だよさくら。わたしたちちゃんと紅葉たちのところで仲良く過ごすから。さくらのこともずっと想ってるよ。いつまでも一緒だから。ね、大丈夫。またいつか会えるよ」
お姫様がそう伝えると、さくらはお姫様をぎゅっと抱きしめました、
さくらが落ちつくためのいつもの行動です。
お姫様はこの時間が好きでした。一番さくらを近くに感じられる時間だからです。 暖かく、嬉しくなる。そんな時間が大好きでした。
『……よし。大丈夫。紅葉ちゃんいい子だもん』
さくらは歩きだしました。
先ほどよりもきびきびとした歩みに、お姫様は安堵の溜息を吐きます。
十分ほど歩いて紅葉の家に着きました。
さくらが深呼吸をしてチャイムを鳴らそうとすると、先に玄関扉が開かれました。 さくらは驚いて勢いでチャイムを鳴らしてしまいます。
『お姉ちゃん!待ってた!』
「きゃ……!」
扉を勢い良く開けた紅葉に驚き、お姫様は小さな悲鳴を上げました。
『びっくりしたー。ずっと待っていてくれたの?』
『うん!窓からずっと見ててね。玄関前に来たから飛んできたの』
キラキラした瞳でさくらとお姫様を見る紅葉は浮足立っており、今にでもその場でジャンプをしそうになっています。
『えっと。じゃあ、約束の子たち。お部屋まで持って行けばいいかな?』
『うん!あ、パパー!運ぶの手伝ってー!』
紅葉は一度家に入って、父親を呼んできました。
さくらとは初対面でしたが、挨拶をすると返してくれる物腰の柔らかい男性でした。
重たいお人形が入った段ボールを紅葉の父親と持って上がると、紅葉はお人形とさくらと一緒に居たいのか、急いで父親を部屋から追い出してしまいました。
『後で飲み物だけ持ってくるからな』
『うんー』
『ありがとうございます』
さくらは頭を下げて、父親は部屋から出ていきました。
『さ!お姉ちゃん。早くダンボール開けよう!』
さくらはガムテープを剥ぎ取り、一つ一つ丁寧にお人形たちをダンボールから出していきます。
『わー!すっごい、すっごーい!わたしが見てない子もたくさんいるー!』
数十体の人形を見て、紅葉は並べられた人形の周りをグルグル回ります。
『あ、そうだ!』
そう言って、紅葉は机の上で待っていたユードリッヒを手に取り、お姫様の隣に鎮座させました。
『姫ちゃんとお話して待っててね』
そう言って紅葉はさくらの方へ浮足立って向かいました。
「元気でしたか?」
紅葉が離れてすぐに、ユードリッヒが話しかけてきました。
「勿論です。さくらとさよならするまで悲しめません」
「そうですね。さよならくらい、泣かないでいたいですよね」
そう言うユードリッヒに向けて、お姫様は嫌味な視線を向けました。
「それはわたしが泣けないというのを知っていての発言でしょうか」
ユードリッヒは驚き、これは失礼、と言ってお姫様から視線を逸らせてしまいます。
「全ての記憶がさくらと過ごしていたモノなんです」
ユードリッヒは何も言わずにお姫様の話を聞いてくれています、
「全てがわたしには真実でした。さくらとの会話も、国民との生活も、国王様とお妃様とのお食事も。全てがキラキラで、本物で、幸せな日々だったんです。あれは紛れもなくわたしの人生でした。たとえわたしがお人形で、生きていなくて、涙が出なくて、心がない存在だとしても、このキラキラは誰にも否定できない事実だと思いませんか?」
ユードリッヒが見たお姫様は、以前の不安な表情を見せる様な子ではもうありませんでした。
そこに居たのは、今の全てを受け入れて、過去を否定せず未来へ進む準備が整った女の子でした。
「そうですね。それはここにいる方たち全員がそうでしょう。あなた達がそれだけ大切にあつか……育てられてきた証拠です。見ればわかります。全員が彼女との別れを惜しみ、同時にここでの生活に胸を躍らせている。大丈夫、紅葉はいい子です。例え僕たちに飽きたとしても、ぞんざいな扱いはしないでしょう」
「分かっています。大丈夫」
信じての言葉ですが、自分に言い聞かせるようにも言います。
紅葉の父親が飲み物を持ってくると、さくら達はそれをそれぞれ一口飲み、部屋を一国に仕上げるための計画を始めていきます。
どのような国にしたいのか。どのような配役にするのか。夢が膨らむ光景に、お姫様もユードリッヒもこれからできるこの新しい国がどのような素敵な国になるのか、今から心躍るような気分になっています。
「楽しみですね」
「はい。紅葉の思い描く国がどのようなものになるのか、期待しています……!」
さくらと紅葉の一国設立計画は、夕方になるまで続きました。
もうすぐお姫様たちとさくらとのお別れの時間がやってきます。
明日は早朝の出発です。お姫様はさくらと別れの最後まで一緒に居たいですが、紅葉に無理はさせられません。
さくらも同じ気持ちだと何となく直感で感じ取りながら、既に家に帰ろうとしているさくらを見守っておりました。
すると、急に体がフワッと浮きました。軽く抱き抱えられているような感触を、お姫様は感じ取りました。
『お姉ちゃん!』
荷物をまとめていたさくらに、紅葉はお姫様を差し出しました。
最後のお別れをしろ、ということなのかとさくらはお姫様を受け取りました。しかし、さくらの考えとは違うのか、紅葉は手渡してすぐにさくらに自分の思いを伝えました。
『明日のお別れまで一緒にいてあげて』
さくらは驚き、目を丸くします。
『わたし明日頑張って起きるから。お姉ちゃんお姫様の事大好きでしょ?だから一緒にいてあげて。最後に言いたいこともあるから!』
紅葉の優しさが身に染みますが、幼い紅葉にそんな事はさせられないと断ります。
すると紅葉は怒り、ユードリッヒを手に取り抱き抱えました。
「最後の別れは大切にした方がよろしいかと。いつ会えるのか分からないのですから」
「会えるのかもわからないのに?」
お姫様は自分で言っていて悲しくなりました。実際にまた会えるとも限らないので、あまり考えたくはありませんでした。
『ユードリッヒ君もきっと最後までお姉ちゃんとお姫様が一緒なのを望んでるよ!』
「おや、以心伝心しましたね」
ユードリッヒの言葉を聞いて、お姫様はむっとした表情を見せました。
「あなた達の方が暮らしていた日数が短いのに、なんかずるいです」
今日お姫様の気持ちをなんとなく伝えられたのかとウキウキしていたのに、出会って数年しかたっていない新人に負けたような気がして、なんとなく対抗心が産まれてしまいました。
『うん。ありがとう。でも、明日本当に起きられる?』
『大丈夫!パパと一緒に行くから!』
明日の遠足を楽しみにしている子供の様にキラキラした表情に、さくらはその話を承諾して、明日の準備の為に、台車とお姫様と一緒に家へ速足で帰りました。
「紅葉ちゃんがいい子過ぎて泣きそう……。きっと新学校でもお友達沢山出来るね」
お姫様が言うと同時に、さくらも似たようなことを口にしてお姫様は微笑みました。
きっと離れ離れになってもお互いにお互いのことを忘れることはないのでしょう。
お姫様はさくらと一緒の一夜を過ごしました。
さくらが思い出話をして、それをお姫様が聞いて、お姫様も今までの思い出を語って。
さくらが、こんな光景他の人が見たら恐怖だろうなあ、と言えばお姫様は、そうかもしれないけど私はこの時間が大好き、だと言います。
そんなお姫様にとって幸福な時間はすぐに過ぎ去ってしまいました。
もうすぐ日が登り始めるであろう頃、手荷物とお姫様を持ってさくらは家を出ました。
『準備できたか?』
車の近くで待機していた父親が確認を取って来て、さくらは辺りを見渡します。
『うん。でもちょっと待ってて』
「大丈夫、大丈夫。笑顔で見送るんだから」
お姫様は胸の前で手を組み、祈るようにして紅葉を待ちます。
さくらが紅葉宅の方へ体を向けると、何者かが走ってくる足音が聞こえてきました。
『お姉ちゃん!』
走って来たのはユードリッヒを抱きかかえた紅葉でした。
紅葉は走って来た勢いでさくらに飛びつき、そのまま小さな寝息を立ててしまします。
『あれ?やっぱり眠いのかな』
後から紅葉の父親が追い付き、眠りかけている紅葉を起こしてくれました。
『……お姉ちゃん、本当に大丈夫?お姫様一緒じゃなくて』
『うん、大丈夫』
さくらはそう言って、お姫様を紅葉に差し出しました。
紅葉はお姫様を大切に受け取って、ユードリッヒと一緒に抱きしめました。
『ありがとう、お姉ちゃん』
さくらはしゃがんで、紅葉の頭を撫でました。
『うん。大切にしてね』
さくらはお姫様へ視線を動かし、彼女の頭も撫でます。
『姫ちゃん、紅葉ちゃんと仲良くね。ユードリッヒ君、姫ちゃんのことお願いね』
「仲良くするよ!決まってるよ。紅葉ちゃんいい子だもの。ユードリッヒ君とももうたくさんお話しできるし、さくらのことも、ずっと、ずーーっと応援してるから!」
「お任せください。と言いましても、お姫様の方が知見は広いでしょうが」
「当たり前です!ここに住んで17年は経っているのですから!」
お姫様は得意げに胸を張ります。
『じゃあね、皆』
『うん。……あっ!言いたいことがあったんだ!』
『なあに?』
『お仕事落ち着いたらまた遊んでね!』
紅葉はさくらが頼みたかったことを臆することなく言ってくれました。
『また遊びたいし、色々と勉強したいし、きっとお姫様たちもお姉ちゃんと一緒にまた遊びたいもん!ね!』
紅葉はお姫様とユードリッヒに問いかけました。
「勿論です!わたしさくらと会えるのなら何年でも待ちます!」
何年でも、何十年でも、お姫様は自分がここにいる限り待ち続ける覚悟がありました。
『うん。ありがとう。じゃあ、今度会うときはお洋服作ってくるね』
『うん!待ってるね。お人形さんたちと一緒に待ってる!』
最後の別れを済ませると、これ以上悲しくならないようにと、足早に車に乗り込んでいきました。
『またね、皆!姫ちゃんまたね!』
手を振るさくらを乗せた車は発車しました。
紅葉とその父親も手を振ってお見送りをします。
「さくら、頑張ってね。今まで努力しているの知ってるから。大丈夫、ずっと応援してるから。わたしには願うことしかできないけれど。きっとまた会えるから、その時はたくさんお話聞かせてね」
この願いがさくらに届くことを願いました。
いつまでも大好きなあの人に力を分けられていますように。
その願いを持ったまま、お姫様は紅葉たちと新しい我が家へと帰りました。
これからの生活に期待と不安を抱きながら。
―――次話 第二部作成中・・・しばらくお待ちください
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