第60話

落ちる。落ちる。落ちる。堕ちる。堕ちていく。


第一志望校も、他の大学も全て落ちて、近所中に響き渡るほどの大きな声で梓は泣いていた。


すると母親が部屋にやって来る。


「うるさい、梓!」


「お母さん、大学全て落ちた。三月の試験も受けさせて」


「何校受ける気? 受験代だってバカにならないのよ」


「じゃあ、せめて浪人させて。第一希望の大学に入りたかった。学芸員と司書資格も取りたい」


「そんな資格なんてあったって、本当に働けるの? そんなところで働けるのは一握りでしょう。浪人なんてお父さんが許さないわよ。そんなお金、うちにはないの」


親の言動にも潰されている。今もまだ潰されている。


でも、じゃあ、どうすればいい。専門へ行こうにもやりたいことがない。


やっぱり大学へ行かないと、貴重な年代が全て親の言動で潰されてしまう。


少なくとも中学時代、高校時代は親が行きたいところに行かされて潰れたのだ。せめて大学に行きたい。


大学で自由に楽しく学生生活を過ごしてみたい。


「お願いします。三月の受験をするか、浪人させてください」


土下座をする。


「浪人してまた落ちたらどうするの? 働けばいいじゃない。今から働き口を探しなさい。お金ももらえて楽しいわよ」


今の精神状態で働けそうにない。梓の目は真っ赤に腫れていた。


涙があとからあとから伝ってきて、止まることがない。心の血も流れ続けて留まるところを知らない。


母親じゃだめだ。布団にくるまって泣き続ける。


父親に相談しよう。変わらないかもしれないけれど、何か変わるかもしれない。


必死に心の中で縋った。誰か、どうか助けてください。


第一希望はダメだったけれど、なんとか大学に行かせてください。


縋る思いで、三月に受験できるところを探した。今から願書を出せばまだ間に合うところもいくつかある。



父が帰ってきて落ち着くと、梓は泣き晴らした表情のまま父に土下座した。


「大学全部落ちました。第一希望も。私は司書と学芸員の資格がどうしても欲しいし、古典を勉強したいです。お願いします。三月にある受験をさせてください。大学生活にも正直憧れがあります。中学高校は、行きたくないところにお母さんに無理やり入れられました。正直まったく楽しくなかった。だから大学生活を楽しませてください。三月がダメだったらせめて浪人させてください」



父親はリビングで黙って聞いていた。そうして、ぽつりと言った。


「だめだ」


梓は顔を挙げた。でもまだ涙がどんどん溢れてくる。


「なんで? お父さんも若い時浪人したよね?」


「うちにそんな金はない。それに、私立に行かせてやったのに何がそんなに不満なんだ」


梓は思わず立ち上がった。


「遠藤先生の話、なにも聞いていなかったの?」


「あの人はあの人の見解があるだけで、俺たちの見解とは違う」


もう両親に話すだけ無駄だ。


梓は遠藤のところへ電話をかけ、泣きついた。すると、明日すぐに三人で来てくださいと言われる。


一日待って、梓は泣き晴らした目で親と遠藤のところに行った。すると父親は開口一番言った。


「もうこれ以上うちのことに、かかわらないでもらえますか」


「それは無理です。梓さんはれっきとした病気なのです。ご家族の理解がなければ治るものも治りません」


「甘えだと思いますが?」


すると遠藤はため息をついた。


「あなた方にも治療とカウンセリングが必要なようですね。鬱病は甘えではありません。そこから理解する必要があるようです。もう一度言いますよ? 鬱は甘えではありません。ですが、誰にも頼れず甘えられず、追い詰められてきたからこそ、梓さんは私を頼ってきたのです。あなたがたも一人ずつ、これから私のカウンセリングを受けていただきましょう」


怒ったような顔をしていた。このような遠藤の顔を見るのは初めてだった。


「俺に治療もカウンセリングも必要ありませんが?」


「必要です。あなた方には、娘さんを理解し寄り添うという親としての決定的な何かが欠けている。それはご両親共々、なにか過去にそういった事情をお持ちなのでしょうから。あなた方も見ていく必要があります」


「冗談じゃありません、心療内科で治療とカウンセリングだなんて。私は病気じゃありませんよ」


母が言った。


「いいえ。カウンセリングは必要です。それでも拒否するならば、まずは、娘さんのことをよく考えてあげてください。娘さんの人生を台無しにしないでください。今、彼女は目が真っ赤じゃないですか。梓さんのことも少しは考えてください。後期試験、受けさせてあげてください。娘さんの人生ですよ。大事な転機なんです」


「俺は浪人も後期試験も許しません」


父はぴしゃりと跳ねのける。サクリと傷つく音がする。


何度傷ついてきただろう。大きな傷の他にも細かな傷がたくさんつきすぎて、もう死にそうだ。


事実死にたくなっている。


「浪人はともかく後期はなぜ受けさせてあげないのですか」


「大学に落ちたなら働いたほうがいい人生を送れると思うからです」


「でも梓さんは大学で、中学高校の悲惨だった時期を挽回したいと考えておりますよ、大学生活を楽しませてあげてください。資格も取らせてあげてください」


「いいえ。落ちたのならもう、受験費用が無駄でしたし働いてもらいたいですね。私たちの考え方に首を突っ込まないでいただきたい。もう二度と私たちはここには来ません」


そう吐き捨て立ち上がると、父も母も出て行く。


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