第55話

放課後、阿部はすぐに教室から出ていった。


ノートを家まで取りに帰るのだろう。


梓は雪乃と一緒に学校を出る。


「寒くなって来たね」


吐く息が、なんとなく白い。でも、あまり寒さを感じられない。


感じられないほど、頭が鈍っている。


「うん」


「あ、見て」


雪乃は一つの店の前をさした。そこには大きなクリスマスツリーが飾れている。


「もうそんな季節か……」


梓はぼんやりとした頭のまま、そう言っていた。脳が上手く働かない。


「受験生にはクリスマスなんてないけど、せめてツリーを見て楽しもうよ」


キラキラと光っているが、ツリーを見ても何も感じられない。


「うん、綺麗だね」


別段楽しめることなく言う。


雪乃ははしゃいでお店の前のクリスマスツリーをスマホの写真に納めている。


道端のクリスマスツリーを楽しめるのは、やはり心が健康な証拠なのだろうと思った。


雪乃もいろいろ心配してくれているが、梓ほどの精神状態ではないのだ。それが羨ましく感じられた。


「じゃ、帰ろ」


駅まで行って別れると、予備校へ向かう。


苦しいながらも、授業をなんとか聞いていた。



また、一日が過ぎる。


学校へ行くと、神楽が喜んでいた。受かったのだろう。


だが吉岡が暗い顔をしてやってくる。


「私、指定校推薦落ちた……」


開口一番そう言い、クラス中がどよめく。


「残念だったね」


そんな声が方々から響き渡る。吉岡の雰囲気は暗い。近年では指定校推薦でも落ちることはよくあるそうだ。


「昨日は一日落ち込んでいた。さっき担任と相談したら、一般受験をすすめられた。これから勉強漬けだよ」


「私たちの仲間だね。でも一般受験でまた指定校推薦でだめだったところ受けられるじゃん」


笹野がそうアドバイスをしている。盗難の時に泣いた子。そんな笹野は一般入試だ。


今の精神状態はもう落ち着いているのだろう。


みんな受験で内心穏やかではなさそうだけれど、心持ちは落ち着いて見える。


このクラスの中で鬱病でPTSDで精神不安定になっているのは梓だけだろう。


心療内科で両親と話してはいるが、家に帰るともう何も話さない。話すだけ無駄だからだ。



なんとなく暗い雰囲気のまま、一日が終わった。


神楽も内心では喜んでいるのだろうけれど、吉岡が落ちたことで素直に口に出せない様子だった。


これで進路が決まったのは鈴木と神楽。これからどんどん増えていくだろう。梓もなるべく冷静になろうとつとめた。


この時期に精神不安定なのは本当にまずい。


遠藤のところへ行けば落ち着くが、それも一時的なもので家に帰るとやっぱり心の傷から血が噴き出している。


勉強をしていても胸が痛くて痛くて仕方がない。それに頭も盗難が起きる前のようには戻らない。


私、どうなるんだろう。なんだかとても不安になる。

 

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