第47話


 薬の副作用に苦しめられながら土曜になる。

 

両親はまるで納得していないような様子で、梓と心療内科へ向かった。


二時間近く待つと、隣から父のわざとらしいため息が何度も聞こえてきた。


「いつまで待つの」


母親も苛ついたような様子で言う。


「ここの先生はカウンセリングもやっているから、一人に時間をかけるみたい」


「ふうん」


母はそれだけ言って目を閉じる。ようやく名前を呼ばれて診察室の中に入ると、遠藤が相変わらず穏やかな表情で座っていた。


「どうぞ、お父様とお母様もおかけになってください」


ソファーに三人並んで座った。


ローテーブルを挟んだ正面に、遠藤が座る。


「まずは梓さんの様子を聞きましょうか。あれから眠れましたか」


「はい。でも副作用が酷くて眠気が昼頃まで残るのと、ふらつきや心のだるさも強く

なったような気がします」


「そうですか。じゃあ、もう少し弱めの薬に変えますか」


「それで眠れればよいですが……」


「一応、今よりも弱めの薬に変えて試してみましょう。それで眠れなくなったらすぐ来てくださいね」


遠藤はカルテになにか書き込んでいく。そういえば、前来た時は眠りたい一心で気づかなかったけれど、今時の病院にしては珍しく、カルテは手書きなのか。パソコンを使っている病院が多いのに。きっとこれも遠藤の方針なのかもしれない。


梓は小さく、はい、と言った。


「それでお父さん、お母さん」


遠藤は姿勢を伸ばし両親の顔を交互に見る。


「娘の梓さんは入眠障害に鬱病とPTSDです。これについて娘さんから聞いておられますか」


「聞いていません。眠れないことは知っていましたが」


父が言った。


「PTSDってなに?」


母が訊ねる。そこからか、と梓の心はまた重くなった。


というかPTSDを知らない母親にイライラする。


遠藤はわかりやすく懇切丁寧に説明をしていた。母はわかったような、わからないような顔で頷いている。


「まず、娘さんが今の状況に陥る発端となった説明をします。娘さんは中学受験時、今の学校に入りたくなかったようです。それをお母様が無理やり入れたと。当時、お母さんは娘さんの話を聞いてあげましたか。娘さんからは怒鳴って入れられたと聞きいておりますが」


遠藤は母をしっかりとした目で見る。


「私が憧れたものは娘も憧れると思って……」


母が呟くように言った。


「娘さんとあなたは別人格ですよ。自分と一緒だと思っていませんか」


「思っています」


「そういうお母さん、結構いるんですよ。でも、違うんですよ。今、理解してください。娘さんとあなたは違う人間。あなたはお腹を痛めて別人格の子供を産んだのですよ」


遠藤の口調は責めるでもなく穏やかだ。


「はぁ、そういうものなんですか……」


母は全く納得していない顔をしている。


「あなたはなぜ、娘さんが通われている学校に憧れたのですか」


この質問には母ははっきりと答えた。


「説明会の時に礼拝堂の照明が薄暗くて、私のはめていたダイヤの指輪がキラキラと輝いていたんです。それが綺麗でうっとりして。ああ、こんな学校に通えたらいいだろうなって。キリスト教って装飾が綺麗じゃないですか。ステンドグラスとかあって。私は、仏教の学校に通っていましたし、娘にはキリスト教の学校に入れたいと思ったんです」


そんな理由で、無理にあの学校に入れたの? 


梓は内心で腹を立てた。


「でも娘さんは行きたくないと言ったはずですよね」


「それは、娘の反抗期なのだろうと思って……」


「それで怒鳴って入れたのですか」


「……怒鳴った覚えはありません」


「怒鳴ったよ」


梓は口を挟んだ。十二歳の時必死に行きたくないと言った。


「行きたくないと言ったら、じゃあ、どこに行きたいの! あんたは聖花女子学院に行け! って大声で怒鳴り散らした」


「そんな昔のこと、覚えていないわよ」


覚えていないのに娘を追い詰めたのか。憤りが湧く。

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