第31話

翌日学校へ行くと、廊下で二年を担当している女性教師から呼び止められた。


そうして髪を触られる。

「あなた、髪が肩甲骨まで届いているわね。ちょっと結っているゴム外して」


教師は上着を腰に巻いていた。


「先生が上着を腰に巻くのはいいのですか」


すると慌てたように腰から上着を取り、言った。


「口答えはいいから、早くゴムを取りなさい」


胸がギリギリと言っている。黒いゴムを取る。すると教師は定規を取り出し梓の後ろに回り込むと、髪に定規を当てた。


なんで定規まで持って髪の長さを測るの? 気味が悪い。


「肩甲骨から五ミリ超過しています。切りなさい」


「今ですか」


「明日までに切っておきなさい。あなた、学年とクラス名前は」


仕方がなく正直に答えた。


「じゃあ、学院長と細谷先生にも伝えておきます」


そう言って教師は姿勢を正し去っていく。


梓は髪をひとつに結い直し、壁を殴った。


本当に、この学校のブラック校則にはイライラさせられっぱなしだ。


礼拝の担当は教頭だった。まだ得意気に去年の先輩たちが偏差値の高い大学へ入ったことを語っている。


そうして神に感謝だ、今の三年生にもぜひ期待したいといったことを遠回しに言う。


もうすでに教頭の話は聖書の話でも神の教えでもない。周囲を見回しても白けていた。


授業も四月から五月まで通算十五回もあった「発表」がなくなって、本当に助かっている。


だが、六時間目にあるダンスは苦痛以外のなにものでもない。竹林が因縁をつけた生徒に延々無茶ぶりをするのだ。


気に入らないと怒鳴る。生徒には黒を強いる髪を茶髪にしているし、もう大人のヤンキーだ。


梓も何度も絡まれては、「運動神経が悪い! 動きが悪い!」と怒鳴られる。


「居残りするか? あ?」


そんな脅しもまた出てくる。居残りをすれば予備校へ行けなくなるので必死に返事をし、ひたすら竹林の言うことに従っていた。

 



学院祭のクラスの出し物は、もう受験があるしどうせ盛り上がらないのだからシンプルにしようとたこ焼き屋に決まった。


校庭に屋台を出して、クラスの子たちでローテーションを組むだけだ。


午後のホームルームも終わり、終礼も終わると、梓は突っ伏した。


「どうしたの」


雪乃が訊ねる。


「今日朝、髪が肩甲骨まで伸びているから切れって言われて」


「この学校、本当歪んでいるよね。私もちょっとうんざりしてる」


「帰ろうか」


犯人扱いされていた日々と、毎日ダンスをしているせいで、少し痩せた気もしている。


荷物をまとめると、不意にスマホが振動した。見るとラインではなくメールだ。


五十嵐からだ。


『話があります。学校外のところで話せませんか。できれば、森川さん抜きで、三村さん一人で来てください。内密に』


クラスを見回す。五十嵐は教室の片隅でスマホを片手にしていた。なんの話だろう。


「誰から?」


雪乃に隠し事はしたくないけれど、内密に、と言われてしまっている。なんとか誤魔化すしかない。


「思い出した。私、二年のあの教師から呼び出されていたんだ」


「髪を測ったあの?」


「そうそう、行かなきゃいけないから雪乃先帰って」


雪乃は少し納得いかないような顔でわかったと言い、教室から出て行く。


五十嵐には雪乃と声をかけたときにキャリアメールとラインを交換している。


でも、本当になんの用だろう。どこで話せばいいのだろう。再び振動がした。


『学校から一駅先にある、隠れ家的な喫茶店があるのでそこで話します。一駅先で待っていてください』


五十嵐を見るが、梓を見ようとしない。いつものようにいつもの席にいる。仕方なく一度トイレに行って雪乃と鉢合わせないように時間を作った。


充分な時間をとって荷物を持つと、一駅先に行く。


そこから一本遅れた電車で五十嵐がホームに立った。


「五十嵐さん、大事な話ってなに」


「…………」


五十嵐は髪で顔を隠してうつむき加減で先を歩く。話すときは話すのに、話さないときはまるで話さない。


つかみどころがないのだ。黙ってついていくと、高い建物と建物が並んでいる場所の一画に、本当に通り過ぎてしまって気づかないような喫茶店の扉があった。


なにも言わず五十嵐が入る。チリンと鈴の音が鳴って、「いらっしゃいませ」と男性の声が聞こえる。寄り道をしたのなんて初めてだ。少しだけ嬉しくなる。

 


五十嵐は一番奥のボックス席に座った。客はいるが、そのボックス席から客の姿がほとんど見えない。


「こんなとこ、よく知っているね」


「中二の時に寄り道して見つけて。ここ落ち着くから。たまに通って、ここで時間を過ごすこともある。先生たちもここ、知らないみたい」


聞き取りやすい声でそう言う。よかった、普通に話せる。


店員がおしぼりと水を注いだグラスを持ってきた。「コロンビア」と五十嵐は言う。


コーヒーの種類を梓はよくわからなかったので、同じものにする。店員は「かしこまりました」と言って去っていく。


「それで、話って何? 私髪を注意されて明日までに切らなきゃいけないんだけど」


「うん、ごめんね。でもとても大事な話だから。店員がコーヒーを持ってきて、戻っていったら話す」


そう言ったまま、五十嵐は無言になった。梓も黙る。


コーヒー豆を引く音が聞こえ、しばらくしていい香りが漂ってきた。


沈黙が流れている。でも。髪を切って勉強もしなくちゃいけないのに。そんな焦りが出てきたときに、コーヒーが運ばれてきた。


五十嵐はコーヒーにミルクと砂糖を入れる。梓も真似た。コーヒーはブラックで飲めないのだ。


「じゃあ、話すけど……」


五十嵐はおしぼりで手を拭きながら、少し緊張した面持ちで梓を見つめる。


「私、盗難の犯人知っているの」


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