第18話

今日の授業に「発表しろ」というものはなかったので安心する。


授業中に受験勉強をしている子もいた。


三年のこの時期に、メンタルを悪くしたくない。


あの日、遅刻をしなければよかった。家に帰ればよかった。


それとも帰っていても疑われたのだろうか。後悔が梓の中に押し寄せてくる。


教室のざらついた空気に耐えられない。向けられる視線が痛いし刺さる。


結局声をかけてきたのは雪乃以外誰もいなかった。放課後、雪乃と一緒にトイレに行き、帰り支度をしていると、生徒の一人が叫んだ。


「財布がなくなっている!」


叫んだのは吉岡だった。ショックを受けている顔をしている。


クラス中がどよめいていた。また? またか。そんな声が聞こえてくる。


視線が一斉に梓に向けられる。


「いい加減にしろよ!」


山崎が大きな声で梓を見て言った。梓は委縮する。


「梓じゃないよ」


雪乃が言った。


「今日梓は私と一緒にずっといた。さっきトイレにも一緒にいたし。今日梓が一人だった時間なんてないから」


「じゃあ森川とグルなんじゃね?」


渡辺が言った。


「その証拠は?」


雪乃も負けまいと言っている。すると渡辺は黙り込んだ。


雪乃には怪しい点は一つもないからだ。最初の被害者が出たときにも、雪乃はみんなと礼拝を受けていたし、体育の授業にも出ていた。だからこれまで誰も雪乃を疑っていないし、疑いようがない。


クラスの空気が耐えられないほど重くなる。


「もう、ちょっと警察に行ってみるね。一人だと心もとないから誰か一緒についてきてくれる? 細谷じゃ頼りないし」


鈴木が困惑したような表情でそう呼び掛けている。


「なら私が。実家神社だし、盗みなんかしたら罰が当たるからね」


言うと周囲から笑いが起きた。


神楽がついていくことになり、多分時間がかかるだろうということになって解散となる。クラスメイトは梓に負の視線を送りながら帰っていく。


梓は暗い気持ちで雪乃と昇降口へ行き、靴を履き替える。


すると、また通りすがりの小柄な女性教師から注意をされた。


「あなた、その靴。学校指定のものじゃありませんね」


何度も注意をされて、もう爆発しそうだ。


「届け、見ていないんですか。怠慢ですね」


苛立ちながらそう言った。


「まあ、教師に向かってその口の利き方! なんですか」


「何度も先生方には説明をしているはずです。届けも出しているのに何度も注意をされます。届けを見ていない教師の怠慢じゃないですか」


梓、と小さく雪乃が袖を掴む。注意されすぎて反発心があるのだ。


教師は唖然としたような表情になり、それから言った。


「あ。あなた! 思い出した。人の財布を盗む子でしょう?」


心に重石が乗せられたような感覚に陥っていく。


「私はやっていません!」


「だってその態度。それに細谷先生からも聞いています」


あの教師、赦す赦すと言いながら職員室で触れ回っているのか。


「態度は届けを出しているのに何度も注意をされるからです。それに、盗難の犯人は私じゃありません。あなたも人の言ったことを鵜吞みにするのですか? クリスチャンでありながらその程度の教師なのですね」


梓は心底憐れむような表情で教師を見つめ、会釈をして校庭へ出た。教師は相変わらず唖然としている。この教師もクリスチャンで、いつも主よ、主よ、と言っているタイプの教師だ。



心の中はもう、へとへとだった。どうすればいいのだろう。


どうすれば疑いは解消される? このままだといじめられるかもしれない。否、もういじめられているようなものだけれど。やっていないことをやっていないと、どうしたら証明できる? 


なんだか痴漢冤罪にされる男性の気持ちがわかるような気がする。やっていないのにやっていないと証明するのは、相当難しい。


というか、できないに等しい。防犯カメラでもない限り無理だ。


「梓、大丈夫? 梓の心情考えると私も辛い」


雪乃が隣に立ち、そう言った。


「うん。ありがとう、寄り添ってくれて」


笑顔を作る。だがあまりうまく笑えない。そのまま泣き出してしまった。すると雪乃は静かに抱きしめてくる。


「なにがあっても私は梓の味方だからね。なるべく学校も休まないようにするから。そうすれば梓が孤立することもない」


「ありがとう……」


雪乃に救われる。雪乃がいてくれるだけで心強い。


心も体も震えていた。あの日休んでおけばよかったという後悔だけが、心に重く残っていた。


 

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