第4話

「誰か、服部さんと小林さんの財布知らない?」


ひときわ大きな声をあげたのは、小林の席の近くにいた渡辺だ。

だが、誰一人知っている人はいないらしい。梓も知るはずがないので黙っていた。


「どこかに落としたんじゃない?」


学級委員の鈴木が冷静な口調で言う。


「ううん。朝、礼拝堂に行く前は鞄の中にあったの見たし。多分盗まれたんだと思う」


服部が顔を歪めている。今にも泣きだしそうだ。小林も暗い顔をしていた。この学校は、盗難が中一の時からたまにあった。梓も中三の時財布を盗まれたことがあるし、教科書や綺麗にとったノートまで盗まれたこともある。


それでも犯人は見つからなかったし、教師はなにもしなかった。あの時、一生懸命綺麗にとったノートを盗まれ泣いた。今回も犯人は見つからないかもしれない。胃の縮む思いがする。


ざわつく教室の向こうから、台車の音がする。二時間目の国語の教師が段ボールを持って入って来る。


「はいみんな、静かにしてー」


女性の国語教師がそう言った。服部も小林も不満そうな顔で黙り、みんなも静かになった。


国語の授業が始まる。教科書に書いてある説明を手早く終わらせると、国語教師は段ボールから一冊の新しい文庫本を取り出し、各列一番目の席にいる子に五冊渡すと、一人一冊取って後ろに回すように指図した。梓にも回って来たので見てみる。



遠藤周作の「沈黙」。以前、国語教師は途中までコピーして音読させたことがある。


ミッションの学校なだけあって、教師にもクリスチャンが多い。この国語教師もクリスチャンだ。


「はい。皆さんには、これを読んで一週間後に感想を発表してもらいたいと思います。四人の班作って」


クラスが騒がしくなった。梓の心持ちも穏やかではない。また発表かよ。


そんな声があちらこちらから聞こえてくる。


「この学校はキリスト教だからね、こういう本も読んでおかないと。教頭命令」


先月は三浦綾子の「塩狩峠」が発表対象となった。


「生徒がみんなクリスチャンとは限らないんですけどー。それに、遠藤周作先生はカトリックじゃないですか? うちの学校、プロテスタントなんですけどー」


教室の一番後ろの窓際の席に座っていた山崎が言う。


「まあ、カトリックもプロテスタントもキリストの教えはほとんど同じだから。じゃあ、今から班分けしてもらうよー」


こうした本を読むことが必要ならば、生徒一人一人に感想を言わせればいいだけなのに。


なんでチームを作ってわざわざ発表しなければならないのか。手間と時間がかかることをわざとやっているようにしか思えない。


教頭はこの方針を気に入り悦に浸っている。


くじを引き、梓の班は中等部三年の時に同じクラスだった工藤という子と、高等部からの外部生である吉岡、いつも廊下側の三番目の席で一人で静かに本を読んでいる五十嵐と一緒になった。



五十嵐は変なところがある。学生鞄は常に廊下側に立てかけるように机に置いており教師から何度注意されてもにやりと笑うだけで本来鞄をかける場所にかけない。



授業中もずっと鞄を机に置いて本を読んでいる。もちろん授業を聞いている時もあるが、机に置いた鞄は邪魔ではないらしい。不気味さはあるものの、なんとなく嫌いにはなれない。


配布された「沈黙」は授業の時間外に本を読んで、感想を発表する。発表というからにはみんなに分かりやすく伝える形にしなければならない。


つまりチームを作ったみんなで集まってどういう形式で発表していくかを決める。


また、帰る時間が遅くなる。


もう、いい加減発表はウザい。梓は心の中で悪態をついた。


四人ずつ五グループ。雪乃は工藤と仲のいい山田、取り立てて目立つこともない笹野、よくクラスを盛り上げている山崎と一緒になっていた。


再び、教科書での授業が始まる。その間に「沈黙」を読んでいると怒られる。家に帰ったら受験勉強がしたいのに、本を読むことで時間を取られる。



三時間か四時間もあれば読めるけれど、その時間も高三という大事な時期にはもったいないような気がして、ストレスが溜まる。


なんだろう。このところずっと気分が晴れない。


 

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