6.影といっしょ

 翌日は曇天だった。だからはじめは気がつかなかった。時折、雲の切れ間から薄日が差した時、映る自分の影の面積が何やら広く感じられる。その日は終日そんな天気だったので、それだけだった。

 その翌日から天気は晴れだった。一昨日のことはともかくとして、前日のことなどすっかり忘れ去っていた。

 飛鳥あすかは住まいから庭に出て、竹刀を振っていた。晩夏とはいえ、昼間ならば動けばすぐに汗が噴き出す陽気だった。程よく乾いた風が吹き抜けて、清々しい気持ちで竹刀を握っていた。

 そうして気が付いた。自分の足元に落ちる影が、奇妙であることに。

「誰か、いるのか……?」

 飛鳥はつぶやいた。

 そして、ゆるりと辺りを見渡す。まずは自分の左右、そして後ろ。ぐるりとその場で回ってさらに見渡す範囲を広げてみる。先ほどまで庭にいた家人も屋敷の中に戻っており、こにいるのは飛鳥ただ独りだった。

 そこで、ぞわりと肌が泡立った。

 自分の影の隣にもうひとつ、ちょうど飛鳥の影と同じくらいの人の形の影が落ちていた。

 影は、竹刀を握る手と反対側にいて、飛鳥の影の手をつなぐようにして地面に横たわっている。しかし、ただそれだけだ。その影は何をするでもなく、ただただ飛鳥の影の隣にいるのだ。気色悪いが、とりたてて不便があるわけでもないので、その日はそのまま放っていた。

 さらに翌日。影は飛鳥の影の手を引くように自然の影とは明らかに異なる方向へと伸びていく。しかし、それもただそれだけのことで、飛鳥の影がその影に誘われるわけでもなければ、飛鳥本人がのこのことついていくわけでもない。

 ただ、気になった。この影はどこへ向かいたいのか。飛鳥の影を、飛鳥をどこへ向かわせたいのか。だから飛鳥はその影の向かおうとする方へと足を向けた。てくてくと、屋敷の周りを影に導かれて歩き回り、壁をよじ登ろうとして失敗すれば、さもヤレヤレと言わんばかりに影に肩をすくめられた。そのあと木の下に行ったら木の影に入ってその影が見えなくなったので、その場から離れると、今度は庭の池へと向かわされた。光の加減で水鏡となった池には、青空が本物の空のように広がっていた。そこへ、影はするりと溶け込んでいく。影と手をつなぐ飛鳥の影も、飛鳥自身もつられるようにその影を追って池へと身を投じた。

「わっ、若っ⁈」

「キャー! 若様―っ!」

 幸いにして池はさほどの深さはなく、ザブンと派手に水しぶきがあがったあとに、うつぶせで池にはまった飛鳥の後頭部やら背中が水面上に出ていた。しかし、顔が完全に水に沈んでいるので、悠長にはしていられない。近くにいた者たちが慌てて引き上げたおかげで、池の底に頭突きをかましてこさえた額と鼻の擦り傷だけで済み、事なきを得た。

 その後屋敷は大騒ぎだった。城にいた城主も息子の身投げ未遂を聞くと、公務を放り投げて屋敷へすっ飛んできた。

 しかし、何があったのか、どうしてそうなったのか、顛末を聞いても影がどうのとか、何だかわからぬうちに池にはまっていたとか、本人も首をひねるばかりで一向に要領を得なかった。念のため医師に診てもらったが、心身ともに健康だと一安心の見立てであったが、だとすれば、一体なんの事故だったのかと謎は謎のまま解明されることはなかった。

 ただ、それ以来、飛鳥は自分の影を見るのが恐ろしくなり、部屋に引きこもり、灯りも間接的に取り入れる程度に、影を作らないように過ごすようしているのだった。


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