2.気の向くまま足の向くまま

「やれやれ。アイツも馬鹿だよな」

 父親の説教から運よく逃げ出せた誘鬼ゆうきは、屋敷を出てどこへというわけでもなくブラついていた。

 晩夏の空には、まだまだ夏の名残りの入道雲がもくもくとそびえている。日差しもいまだ夏のそれだが、しかしそこには幾分かの和らぎが感じられるようにも思う。

 ほぼ天中にある日向ひなたの道をのんきに歩いていると、築地塀の向こう側から何やら複数人の声がする。キャッキャッとはしゃぐ声や、わあわあと声を弾ませ駆け回る子どもの声だった。

「影踏み鬼さん、影踏ましょ」

「踏んだら鬼さん、いちぬけた」

 築地塀の内側で、子どもたちが囃しながら影踏み鬼をしているようだ。はしゃぎ声がひときわおおきく賑々しくなる。そうしてひとしきり盛り上がった後、何事もなかったかのように囃しがはじまる。

「踏んだ影は 誰でしょか」

「やっ太くんの影 踏んづけた!」

 鬼がやっ太くんとやらの影を踏んだようだ。次はやっ太くんが鬼となり、遊びが再開された。

「平和なこった」

 築地塀の前を通り過ぎながら誘鬼は口の端で笑う。

 それにしてもと誘鬼は思う。影を踏むとはいっても、実際のところ影を踏んではいないのではないかと。人でも物でも不透明の物体に光が当たって作られる影を、そのまま踏みつけようとしても、影は踏みつけようとした足の上に落ちるはずである。踏んでいるようにみえても、踏んづけている足の真下に対象になる影はないはずだ。では、どうやったら影を踏むことができるだろうか。または影を踏むことのできる者がいるとしたら、どのようなモノだろうかと。

「もし」

 これは悩みでもなんでもなく、単なる屁理屈だ。いさむあたりに話せば、ともすればあれこれ文献を漁って、誘鬼が忘れた頃に講義などしてくれるかもしれないが。

「もうし!」

 誘鬼が築地塀の向こうにいる、やっ太くんが追いかけている影に思いをはせていると、後方から声をかけられた。

「もうしと言っておろうが! 誘鬼よ!」

「あ?」

 振り返ると白髪頭のひょろりとした老人が立っていた。海松茶みるちゃ直垂ひたたれ姿で、腰には太刀をいている。

「誘鬼殿、若君様がお呼びじゃ。参られよ」

 老人は誘鬼に告げた。誘鬼は厳かに告げる老人に向き直った。

「やあ。飛鳥あすかの爺や。お呼びって、なんの用だい? お宅の若様が茶でも点ててくれるのかい?」

 誘鬼は鼻で笑うように答えると、老人は拳を握って誘鬼の頭に振り下ろした。

「口の減らん小童め。お主が若様の友でなければ、ひっぱたいとるところじゃ。よいからついてまいれ」

「爺や、拳が降ってきたぞ」

「ほう。晴天であるのにそんなものが降ってくるとは、稀有なこともあるものじゃ」

 そう言って老人は誘鬼の腕をつかむと返事も聞かずに、踵を返してスタスタと歩きだした。

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