第76話 開店日
鳥のさえずりが鼓膜を優しく震わせる。朝日が夜の終わりを知らせるように顔を覗かせ、空がぼんやりと明るんできた。
作業に夢中になっていたレイスは、顔を上げる。
「『接着』っと……ふぅ、これで大丈夫だろ」
レイスは脚立の上から降りると、目を瞑ってぐっと伸びをする。疲れが突き抜けていくような感覚と共に、大きく息を吐く。
目を開けると、目の前には『アルケミア』と書かれた看板。店のロゴである青い炎もきっちり描かれている。
完成していた看板をレイスが早起きして錬金術で設置したのだ。看板があるだけで一気に店らしく見えるのだから不思議である。
「よしっ」
やる気満々といった表情のレイス。
それもそのはずで、本日が記念すべき開店日なのだ。すでに商品も陳列棚に並べ、準備は万全と言えるだろう。レイスは店の扉にかけたプレートを『営業中』の文字が書かれた方へ裏返し、中へ。
まだ朝早いので客は来ないだろうが、一、二時間ほど経てば王都全体が活気づいてくる。そうなれば、自然とこの店も多くの人の目に触れることになるだろう。
「ふふ、ふふふ……」
レイスは不気味な笑い声を漏らし、ニヤリと笑みを浮かべる。まるで店の成功を確信していると言わんばかりの様子だ。事実、彼の胸中には謎の自信が満ち溢れていた。
ただ、何も根拠がないわけではない。
レイスの店の商品は、贔屓目抜きにしても規格外の性能を誇る。そんなものが多数並んでいるのだ。売れない方がおかしい、と思っても仕方のないことだろう。
……まあ、レイス自身はそこまで思ってはいないのだが。良いものを作っているという自負があるだけだ。
とはいえ、どちらにせよ売れると思っていることには変わりない。レイスは明けていく空を見上げながら、約束された勝利の未来を幻視した。
***
「どうしてなんだぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「うるさいわよ、今すぐその口を閉じなさい」
涙ながらに絶叫するのは床に両手両膝をつくレイス。そんな彼にこめかみを押さえながら忠告するのは、呆れ返っているデイジー。
現在の時刻は午後の六時を少し過ぎているかといったところ。客の出入りもほとんどなくなり、そろそろ今日の営業を終えようとしたところで、レイスが転がり込んできたのだ。
かつてないほど心を乱しているレイスは、事情を説明することなく泣き叫ぶばかり。もはや追い出す気にもなれず、デイジーはいつもの辛辣な言葉を投げかけるのみだ。
「落ち着いたかしら」
数分も待つと、赤い目をしたレイスが何故か正座をしていた。平常心を取り戻したらしく、その振る舞いは理性的である。
「それで、どうしてあんなに騒いでいたわけ」
「いやさ、俺、店を開くことはできたわけなんだけどさ……」
「へぇ、そうなの。良かったじゃない」
一体どこに問題があるというのか。
デイジーは暗い眼をしているレイスのことを気にもせず、棚の整理を始める。デイジーの素っ気ない態度はいつものことだ。
「店を開いたのは良かったんだ……だけどこの三日間、まるで客が来ない!!」
レイスは手を大きく横に振り、悔しそうに表情を歪める。
店を開いた当初のレイスは、大繁盛とまではいかないものの、それなりの数の客が来るのではと考えていた。しかし、現実はそう甘くはなく、アルケミアの客の出入りは疎らもいいところ。
おまけに、その数少ない客も冷やかしのようなものだ。
開店三日目にしてレイスの心は折れかかっていた。
そういった事情もあり、店の経営に関しては先輩であるデイジーに泣きつきに来たのだ。当の本人は欠片の興味も無さそうなのだが。
レイスにしてみれば大問題だ。
「客が来ないって、そんなのもう少し続けないと結果なんて出るわけないじゃない」
「えぇ……俺は客が来ない店に一生いるのなんて嫌だよ……」
ぽつりぽつりと現れる客を待つだけの一日を過ごすのは苦痛だ。まだ働き手がもう少しあればそれでもいいのだが、現状ではレイスが店主兼店員である。
つまり、レイスが一日中店のカウンターに座っていなければならないわけだ。誰かを雇う余裕なんてものはない。
「そんなことを言われても……」
「頼むデイジー、力を貸してくれ……!」
両手を合わせ懇願するレイス。その姿を見れば、さしものデイジーもいつもの辛辣な言葉が中々出ない。迷うように目を閉じ、やがて大きくため息をつく。
「……分かったわ。私もレイスにお世話になっているわけだし……」
「おおっ、ありがとう……!」
レイスは感動のあまりデイジーの両手を握ってブンブンと上下に振る。大袈裟な反応かと思われるが、それだけレイスが助けを欲していたということだ。
「それで、今店はどんな感じなの?」
「店を開く前に看板やら内装を揃えて、ロゴも作ってみたりしたんだが、如何せん客がまったく来ない。絶望的なまでに来ない。腹立つくらい来ない」
「腹を立ててどうするのよ……他には何かやらなかったの? 声かけか、もしくはレイス自身の名前を使った店の宣伝とか」
「いや……特には」
レイスの言葉を聞き、デイジーはジト目を向ける。あろうことか、宣伝を一切していないと言ったのだから、それも当然のこと。
商売に置いて宣伝は最重要と言っても過言ではないのだ。それも、無名の店ともなれば尚更だろう。まず存在を認知してもらわなければ始まらないのだから。
「あなた、それでよく客が来ないなんて言えたものね……」
「ぐっ……」
「王都にポーション置いてる店なんてそれこそ山ほどあるのよ。何もしない無名の店なんてあっという間に廃れるのがオチね」
レイスが店を開くために努力したのは確かだが、客を集めるための努力はまだ足りていなかったということだ。
「レイス、あなた名前は一応そこそこ広まっているみたいだし、それを使わない手はないと思うわよ。まあ、大っぴらな宣伝ともなるとそれなりのお金がかかるでしょうけど」
「またお金か……」
「商売の基本」
「基本ねぇ……」
いつも直面するのは金銭問題だ。何もレイスが貧乏というわけではない。支払う金額が個人にしては大き過ぎるというだけだ。
流石に生活を犠牲に捧げるわけにもいかない。そうなると、やはり地道に客を増やす道しか残っていない。
顎に手を当て、プスプスと頭から煙を吹き出すレイス。思考能力にエラー発生だ。
「ちなみにデイジーは店を始めた当初はどんな感じだったんだ?」
「私は冒険者時代の顔見知りとかが来たり、あとはその顔見知りがギルドで店のことを広めてくれたりして客が増えていったって感じよ。まあ、冒険者時代の伝手が役に立った形ね」
「人脈を使った宣伝か……俺には無理だな」
「そうね」
こればかりは王都での活動期間が違いすぎるのだから仕方のないことだろう。
「とはいえ、よ。あなたの作るものはまず間違いなく最高級のものなんだから、大幅な客の増加を狙った宣伝はそんなに必要はないと思うわ。さっき私は冒険者時代の顔見知りが広めてくれたって言ったけど、あなたの場合は頼まなくても広まるでしょうから。その発信源となる客だけ確保できるように努力することね」
要は口コミでの広まりを狙えということだ。王都に店が多いのは確かだが、それだけ人口も多い。話題となれば、一気に店は繁盛することだろう。
「なるほど……」
「まあ、頑張りなさい」
「助かった、ありがとう!」
光明を見出したレイスは明るい表情となる。
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