第77話 同類

「お腹、空いた……」


 ぎゅるぎゅるとうるさく騒ぐお腹を押さえ、黒髪の少女ローティアはぼそりと呟いた。物憂げなため息をつくと、ぼんやりとした表情で快晴の空を見上げる。


「おっと」


 慌てたような声がローティアの頭上からしたあと、彼女の視界は塞がれる。顔には、ふわふわとした感触が。こそばゆく感じ、ローティアは顔の上に乗っている己の契約精霊――ミミを抱き上げた。


「急に空を見ないでくれよ。驚くじゃないか」


 澄ました表情で文句を言うミミ。ローティアはジト目でミミを見る。


「だからって飼い主の顔を踏まないで……」

「飼い主って言うのいい加減やめてくれないかなぁ。これでも精霊なんだよ」


 ミミは三つの尾を持つ小さな狐という可愛らしい容貌をしているが、れっきとした精霊である。決して人間がペットなどと軽々しく呼べる存在ではない。


 しかし、長年の付き合いとなるローティアにとっては気にすることでもなく、ペット呼びをやめる気配がまったくなかった。呆れたようなため息がミミから出る。


「それよりも、ご飯……」

「君が変なものを買うからお金がないんじゃないか。明らかに怪しかったのに」

「錬金術師として、知的好奇心は大事……」

「その結果でこんな状態になってたら元も子もないよ。というか、結局その知的好奇心とやらで役立つものさえ得られなかったわけだし」

「うっ……」


 ミミは三つの尾でペシペシと己を掴んでいるローティアの手を叩く。つい先程、大きな失敗をしたばかりの彼女には反論する術はなかった。


 湧き上がってくる後悔から逃れるように目を逸らしたローティアは、突き刺さる視線を避けるべくミミを頭の上に戻す。


「まったく、どうして君は異国の地で後先考えず行動するかなぁ。将来が心配でならないよ」


 頭上から尚も届く呆れた声。その原因となるものである赤色の小さな花がついた植物を見て、ローティアの憂鬱な気分は増すばかり。ついでに言えば空腹も現在進行形で加速度的に増している。


「マンドレイクの新種って、言ってたのに……」


 手に持っているマンドレイクの新種(偽)に、ローティアは有り金のほとんどを持っていかれた。ただ、蓋を開けてみれば新種なんて言葉は真っ赤な嘘で、ただの普通のマンドレイクである。


 王都に来るまでにせっかく貯めたお金をドブに捨てたようなものだ。記憶に新しい店主のおっちゃんの憎らしい笑顔が浮かび――響いたお腹の音によってかき消される。


「そんな上手い話はないってことだね。ま、これも勉強だと思いなよ。人間なんてそう簡単に信じるものじゃない」

「随分と精霊らしい言葉……」

「そりゃ精霊だからね」


 最悪の状態とはまさにこのことだろうと、ローティアは力なく項垂れた。


「で、どうするんだい。このままじゃ今日の宿代どころか、昼食代すらないわけだけど。野宿は嫌だよ」

「大丈夫、そのときはミミを枕にする……」

「それ、全然大丈夫じゃないんだけど……」


 枕にされる側にしてみればたまったものじゃない。ミミは本気かも分からないローティアの言葉に戦慄する。


「とにかく、お金を稼がないと……」


 ローティアの手持ちでは昼食すらままならない状態だ。このままでは野宿をする羽目になる。流石に十七歳の少女が野宿は色々とマズイだろう。


「冒険者ギルドっていうのが確かあったはずだよ、そこに行ってみたら?」

「どこにあるのか、分からない……」

「それくらい誰かに訊きなよ」


 その言葉を聞いて、ローティアはあからさまに面倒そうな表情をする。世界の終わりを迎えような感じだ。


「……どうして君はこう切羽詰まった状況でそんな顔ができるんだい」

「だって、面倒……」


 ずっと感情を悟らせないような平坦な声をしていたのに、今ばかりは本当に嫌そうな声音。無表情も崩れ、口の端が引きつっている。


 そんな主を叱咤するためか、ミミの尻尾がローティアの頭に鋭く振り下ろされた。


「暴力、反対……」


 ローティアは恨めしげに呟く。


「君はこんな状態でどうやって人を探すつもりなんだ……」

「それは……」


 何故かピンチに陥っているローティアだが、彼女にも王都に訪れた目的がある。それは、最近王都で少し有名なとある錬金術師に会うことだ。


 目的を果たすためにも、自分から積極的に動かなければならない。ローティアは決意を新たにする。


「あの、すみません……」


 たまたま目の前を通りかかった青年へと声をかける。ローティアと同じく黒髪の青年は、不思議そうに振り返った。


 肩から一つ鞄を提げており、手には指輪が嵌められている。見たところ冒険者とは思えないが、同じ黒髪と歳が近そうということもあって声をかけてしまった。


「はい、何ですか?」

「あの、冒険者ギルドまでの道を教えて欲しいんですけど……」

「冒険者ギルドならこの道を真っ直ぐ行って、見えてくる宿屋のところを右に曲がればありますよ」

「ありがとうございます……」


 ローティアがぺこりと頭を下げると、青年は軽く会釈してまた歩き始めた。


「道を知れて良かったね。あとはポーションの買取でもしてもらえば多少のお金にはなるでしょ」

「うん……」


 ローティアは上の空といった様子でミミの言葉に空返事。彼女が見つめる先には、道を教えてくれた青年の姿があった。


「あの青年がどうかしたのかい?」

「いや、多分あの人、錬金術師……」

「へぇ、中々若いね。君と同じくらいじゃない?」

「うん……」


 もう一度空返事をすると、ローティアは視線を切る。


「ふぁぁ……大丈夫そうだし、眠くなってきたから寝るよ。何かあったら起こしてね」


 言うや否や、ミミは目を閉じてスヤスヤと寝息を立てる。頭上からリズミカルに届く呼吸の音に、ローティアは何とも言えない表情。


 まあいいかと嘆息すると、教えてもらった冒険者ギルド目指して歩き出す。


「この道を真っ直ぐ……真っ直ぐ……」


 呪文のようにブツブツ呟きながら足を進める。頭に狐を乗せながらそんなことをしているので周囲の目が容赦なく突き刺さるが、ローティアには気にしている余裕もない。


 ローティアは教えてもらった道のりを何度も反芻しながら歩き続け――


「……迷った」


 いつの間にやら、人の目すら少ない場所へとたどり着いていた。教えてもらった冒険者ギルドらしい建物は見当たらない。ついでに言えば、元いた場所への戻り方も分からない状態だ。


 道を訊いた時点では冒険者ギルドまで歩いて数分の距離だったというのに、今では寧ろ離れてしまっている。方向音痴とかいうレベルではない道の迷い方だ。


 ぼーっと立っているローティアのお腹から、一際大きく音が鳴った。その音が合図だったかのように、ローティアは膝から地面へと崩れ落ちる。


「もう、限界……」


 虚ろな紺色の瞳はぐるぐると渦を巻き、足はまるで鉛のように重くなっていた。空腹が限界へと達している。これ以上動くには、何か食べなければどうにもならない。


「何やってるんだろ……まさか、道も騙されたとか……」


 まったくそんなことはないのだが、一度騙された経験がある分疑ってしまう。


 ローティアという少女もまた、どこぞの規格外の錬金術師と同じように行き倒れてしまうのだった。

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