巨人の里とᚦの玉【後編】⑧

 そこはこれまでに通ってきたどの部屋よりも格段に広く、天井の高い広間だった。これまでと同様に篝火が焚かれてはいるが、その広さのせいか、かなり薄暗く感じる。


 入口には元々扉が設置してあったのだろうが、先程の衝撃波もあってか、通路側にいくつもの瓦礫となって散乱していた。


 その広間の中央では、今まさにマルティナが巨人を相手に大立ち回りを演じているところだった。これがこれまでに見てきた巨人相手ならば、何の問題もなく静観できたことだろう。


 しかし、その巨人はあまりにも規格外だった。その身の丈はエティンが子どもに見えるほどで、筋骨隆々な赤銅色をした肌のその体は、もはやそれそのものが凶器となっていた。


「……なんだあの化け物は……あれがゴライアスなのか?」


 ベッキーは呆然と巨人の異様を見上げながらそう漏らした。


「正解だ。もっともこっちの国では『ゴリアテ』と呼ぶらしいがな」


 すると入口の陰から一人の人物が姿を現した。全身黒ずくめの衣装で顔の半分が隠れているが、その尖った耳で誰かはすぐに分かった。大師匠――エル・ヴィエントその人である。


「しかし遅かったな?」


「グッ……そんなことより、マルティナの援護をしなくて大丈夫なのか!?」


「そうしたければすれば良い。だが下手にあの戦いに手を出したら、?」


 そう言ったエル・ヴィエントの茶色ブラウンの瞳は笑っていなかった。確かにあの巨体では閃光手榴弾も効果が見込めないし、火炎樹の火炎瓶も火傷程度のダメージしか与えられないだろう。ファイアボールにしてもしかりだ。もっとも大師匠の前で魔術を使う気は毛頭ないのだが。


 そうなると大師匠の言う通り、下手に手を出したらこっちの身だけではなく、マルティナの身まで危うくしかねない。ここはグッと我慢をして、心の中でマルティナの勝利を祈ることしか出来ないようだ。まったくなんて歯痒い話だろうか。


 そしてその思いはエイダも同じようで、


「見てることだけしか出来ないなんてね」


 と下唇を噛んで悔しそうにしていた。


 仕方がないので、マルティナの戦いを注視しながら、大師匠の疑問に答えることにする。


「……こっちはあんたと違って玉の気配を探れないんでね。地道に探すしかなかったんだ」


「何を言っている? いくらわたしでもそんな真似が出来るわけないだろう」


「じゃあ、どうやってこの神殿を見つけたんだ?」


「偶然だ」


「は?」


「だから偶然だと言っている。ただ強いやつの気配を順に辿っていたら、たまたま見つけたから入ってみただけだ」


「それじゃぁこの奥に玉は無いのか?」


「いや、この距離までくれば分かる。間違いなく〝ᚦ〟の玉はこの奥にある」


 その言葉に思わず視線が部屋の奥へと向いてしまう。ここからでは暗くて窺い知ることは出来ないが、反対側にも扉があって、その向こうの部屋に〝ᚦ〟の玉が安置されているのだろう。


 そう思うと居ても立ってもいられなくなるベッキーだったが、ここはグッと我慢して、マルティナの勝利を信じて待つ。


 とその時、その思いが通じたのか、戦闘のさなかだというにも関わらず、不意にマルティナがベッキーの方を向いた。


「姉さん、もう少しだけ待っててね!」


 しかもそれだけではない。そう言って呑気に手まで振ってきた。そこへ背後から迫りくる巨人の左手。


「ちょ、馬鹿、後ろだ!」


 泡を食ったベッキーの叫びと、背面跳びよろしく巨人の左手を華麗に躱したのはほぼ同時だった。それだけではない。マルティナは空中でそのまま一回転すると、そのまま巨人の左手を切りつけてみせた。


 その途端、まるで丸太のように太い人差し指が切り離されて宙を舞う。よくよく見てみれば、巨人の両の手は、それぞれ何本か指が欠損していた。あれでは上手く物を掴むことが出来ないだろう。


「何だあの剣……えげつない斬れ味してるぞ」


「そりゃそうだろう。何せあの剣は『巨人殺しジャイアントスレイヤー』だからな」


「それってあの『竜殺しドラゴンスレイヤー』と双璧をなすって言われてる、あの伝説の武器か!? 何でそんなもんをマルティナが持ってるんだ」


「わたしが貸し与えたからな」


 その言葉に二の句が継げれず唖然とするベッキー。エル・ヴィエントはそんな彼女の表情がよほど可笑しかったのだろう、クックックッと忍び笑いを浮かべた。


 しかしこれで合点がいった。ここまでに見てきた巨人族につけられた鋭利な切り口は、全てあの巨人殺しが原因だったのだ。もちろんそれを巧みに操るマルティナの技量も相当なものだが。


 巨人ゴリアテがマルティナを踏み潰そうと、地団駄を踏むように足を踏み鳴らす。だが、巨人の動きは既に見切られているようで掠りもしない。それどころか、踏み込むたびに右足を集中的に切りつけられ、真っ赤な血で染まっていった。


「どうだ、強くなったろ?」


 親指でマルティナを示しながら、そう口にするエル・ヴィエント。黒衣に隠れて口元が見えないが、口角を上げてニヤリとしているのが気配で分かった。


「ああ。あんなに成長してるなんて夢にも思わなかったぜ」


 巨人殺しの性能を差し引いても、マルティナの戦闘技術は、以前のそれを遥かに凌駕している。あんな規格外の化け物を一人で相手にしているのみならず、少しずつだが圧倒し始めているのだから驚く他ない。


「アタシもあんたの下につきゃぁ、あんなに強くなれるのかね……?」


「まず無理だろうな」


 エル・ヴィエントはエイダの呟きを容赦なくぶった切った。


「ハッキリ言ってくれるね」


「下手に希望を持たせても死人が一人増えるだけだからな。そもそもあいつとお前とでは剣の才能に天地ほどの差がある。今のあいつは一個大隊の戦力に匹敵するが、お前ではよくても小隊止まりだろう」


 とそこで顔をエイダの方へ向けると、エル・ヴィエントはこう続けた。


「それでも良ければ修行を見てやらんでもないぞ?」


「本当かい!? ぜひ頼む、どうしても倒したい魔物がいるんだ!」


 そこで二人は熱く握手を交わした。契約成立である。


 ベッキーはそんな二人を、取り分けエル・ヴィエントを見ながら「へぇ〜」と漏らした。


「何だ?」


「いや、大師匠がこんなにあっさり弟子を取るとは思わなくてさ」


「今のわたしはすこぶる機嫌が良いからな。ついでにもう一人くらい面倒をみてやるのも悪くないかと思ったまでさ」


「そこは気分次第な――」


 とその時だった。ベッキーの台詞を掻き消すように巨人の絶叫が広間中に反響した。エル・ヴィエントに向けていた視線を咄嗟に戻してみれば、そこには驚くべき光景が広がっていた。


 なんと右足首から下を失った巨人が、バランスを崩して前のめりに倒れ込むところだったのだ。


 巨人が倒れ込んだ衝撃で広間全体が激しく揺れる。


「ふ~っ、やっと首が下がったね」


 倒れたことで自分と同じ高さに降りてきた巨人の目を見つめながら口を三日月にする。そんなマルティナの表情に危機感を覚えたのか、巨人が慌てたように右手を振りかぶり彼女を潰しに掛かった。


「邪魔」


 マルティナは短くそう言うなり、無造作に巨人殺しを振るった。


 その途端、巨人の右手首が鋭利な断面を残して弾け飛んだ。溢れ出した大量の血がマルティナの全身を濡らす。


 再び巨人の口から絶叫が上がり、空間をビリビリと振動させた。


「うるっさいなぁ」


 右耳に人差し指を突っ込み、顔をしかめるマルティナ。巨人はこのままでは不利だと悟ったのだろう、左手を石畳につき、状態を起こそうと試みた。


「そうはさせないよッ」


 しかしそれを許すマルティナではない。一足飛びで巨人の左腕に取り付くと、勢いそのままに巨人殺しを一閃させる。巨人の手首に紅い線が一本走ったかと思った次の瞬間、その栓を堺にズルッと上下に分かたれた。紅い雨が降り注ぎ辺一面を紅に染め上げる。


 三度みたび上がる巨人の絶叫が空気を震わせた。


 左腕の支えを失ったことで、再び石畳に倒れ伏し局地的な似非地震を引き起こす巨人。それまで憤怒を形作っていた表情が、驚愕と恐れがい交ぜになったものへと取って代わる。


 ナンナノダ、ナンナノダ、ナンナノダ、ナンナノダ、ナンナノダ、ナンナノダ、ナンナノダ、ナンナノダ、ナンナノダ、ナンナノダ、ナンナノダ、ナンナノダ、ナンナノダ、ナンナノダ、ナンナノダ、ナンナノダ、ナンナノダ、ナンナノダ、ナンナノダ――


 巨人の脳裏をそれまで一度として感じたことのないものが満たしていく。


「遊んでないで、さっさと決めてしまえ」


 エル・ヴィエントがため息混じりに終わりを促す。


「りょうか〜い――とッ」


『と』と同時に石畳を蹴り、一足飛びで巨人の首に巨人殺しを突き立てる。そのまま首の外周を駆け上り、弧を描くように反対側まで巨人殺しを走らせた。


 ゴトッと巨人の首が落ち、と同時に血が奔流となって溢れ出す。


 巨人は己の内に芽生えた『何か』が何なのか理解すること無く逝ったのだった。

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