巨人の里とᚦの玉【後編】⑨

「姉ちゃ〜――んッ!」


「ドげふぅッ!?」


 血の海をバシャバシャ走ってきたかと思えば、突然の一足飛び。ベッキーはマルティナにタックルを食らう形で石畳に叩きつけられた。


「ハァハァ姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん――」


 そのまま荒い息で狂ったように『姉ちゃん』と繰り返し、ベッキーの体のあらゆる場所をまさぐっては、その太ももに股をスリスリハァハァ擦り付ける。


「ち、ちょ、どこ触ってんだっ。つかお前そんな体で抱きついてんじゃねぇっ、オレまで血塗れになるだろうっ。ってか股を擦り付けるの止めろ〜!」


 助けてくれ、とエイダに顔を向ける。


 しかしエイダはそんな二人を生暖かい目で見守るだけで何もしなかった。


 だが助けは意外なところからやって来た。


「お前は盛りのついた犬か!」


「キャインッ!?」


 エル・ヴィエントがえぐりこむようにマルティナの形の良い尻を蹴り上げる。


 マルティナは「ノーッ! おふぅ」と尻を押さえてゴロゴロ転がり悶絶した。


「うへぇ……助かったぜ大師匠」


 ベッキーは巨人の血でどろどろになった顔を拭いながら立ち上がり、エル・ヴィエントに礼を言う。


「別にお前を助けたわけじゃない。早く〝ソーン〟の玉を拝みたいだけだ」


 エル・ヴィエントはまるでツンデレのようなことを言って、その視線を広間の奥へと向けた。


「クソ〜、酷いよ師匠ぉ! ケツが割れたらどうしてくれるのぉ!?」


「安心しろ初めから割れている。そんなことよりさっさと行くぞ」


 涙目で尻を押さえるマルティナを他所に、バシャバシャと血の海を渡っていくエル・ヴィエント。その後をベッキーとエイダが続き、むーと頬を膨らませていたマルティナも渋々といった感じで後に続いたのだった。


「こうして見てみると、やっぱデカいな……」


 広間の反対側にもやはり扉が設置されていた。扉の全体像を初めて見るベッキーとエイダは、口をあんぐりと開け見上げている。鍵穴はひょっとしてベッキーならくぐれるんじゃないかと思えるほど大きく、その位置はこの中で一番背の高いエイダをして手を伸ばしても届かない。


 それに何と言っても問題なのはその重量だ。仮に何らかの方法で鍵を開けることが出来たとしても、ベッキーとエイダの二人だけでは開けることは困難だっただろう。


 確かにこうなってくると――


「そろそろねぇ〜」


 扉の前に立ち、そう言ったマルティナの右腕が驚異的な速度でいくつもの剣閃を生み出す。


 その途端扉の下半分にいくつもの線が刻まれ、一拍遅れて重厚な音を立てながらバラバラに崩れていった。


――こういう『開け方』が一番手っ取り早いのも頷けた。


 念の為、トラップを警戒してベッキーが先に扉を潜る。


「――大丈夫だ。みんな入ってくれ」


「ここが最奥かい……」


 全員が扉を潜り、各々が部屋の中を眺める。エイダが口にした通りここが最奥の間で間違いないようだ。それが証拠に、部屋の中央には見上げんばかりの祭壇が屹立きつりつしていた。ここからでは見えないが、〝ᚦ〟の玉はあの上だろう。


「……なぁ、大師匠」


「何だ?」


「どうやって取ればいいと思う?」


「…………エイダはどう思う?」


「え!? アタシかい? そうさねぇ…………マルティナならどうする?」


「姉ちゃんに分からないことがアタシに分かるわけ無いじゃん」


「「「だよな……」」」


 何故か自信満々に胸を張るマルティナに、三人がハモる。


 このメンツの中で安全に玉へ触れることが出来るのはベッキーのみである。次点でマルティナだが、以前エル・ヴィエントの店で行った血液検査を鑑みるに、マルティナでは少なからず結界による拒否反応が出る可能性があるからだ。


 その点を踏まえ、どうやってベッキーをこの祭壇の頂上へ辿り着かせるか、それが問題だった。


「いっそのこと切って破壊してみる?」


 マルティナが黒剣をブンブンと振り回してみせる。


「止めておけ、剣を痛めるのがオチだ」


 確かに祭壇の胴回りは大人が二十人は手を繋いで囲まないといけないほどに太い。いかにマルティナの剣技が優れていようと、剣で破壊するのは不可能だろう。


「ロープにフックを付けて引っ掛けて登るってのはどうだい?」


「そうだな。一度試してみるか」


 エイダの案でフック付きのロープを用意する。うまく引っ掛かってくれればいいがと心のなかで願いながらロープをぐるぐる回す。そして遠心力を利用してフックを祭壇の頂上に向かって放り投げる。


 しかし何度も試してみたが、一向に引っ掛かる様子がない。ベッキーの腕が悪いのでなく、どうやら頂上がフックの掛かり難い形状をしているのが問題のようだった。


「良い手だと思ったんだがな……あっ、そうかこの手なら」


 フックを弄りながら悔しがっていたベッキーだったが、不意に何かを思いついたのかチュックをごそごそとやり始めた。


「何か思いついたのかい?」


「ああ。……これじゃ足りないな、お前たちのロープもくれ」


 ベッキーはありったけのロープを繋ぎ合わせると、一本の長いロープを作り出した。


「――こんなもんだろ」


 再びロープをぐるんぐるん回し、先ほどと同じようにフックを頂上に向けて放り投げる。


 しかし今度は引っ掛けるのでなく反対側へフックを落とす。


「よし。マルティナとエイダは反対側でロープを握って固定しておいてくれ」


 分かったと言って反対側へ回り込み、フックを踏みつけロープを握り二人掛かりで固定する。これで後はロープを伝って登るだけだ。


 ベッキーはロープをぐっぐとひっぱり強度を確かめると、さっそく登り始めた。


 足を滑らせないように慎重に登って行く。そして皆が見守る中、ようやく祭壇の頂上に到着したベッキーは、ホッと胸を撫で下ろした。


「〝ソーン〟の玉はあったか?」


 下からエル・ヴィエントが確認してくる。その声にベッキーが祭壇の中央へ視線を向けてみれば、そこには見覚えのある真っ白な球体が窪みに填まっていた。


 近寄って確認する。間違いない、そこには真っ白な球体に血のように赤い字で〝ᚦ〟の文字が浮かぶ玉が収められていた。


「あったぞー!」


 それを確認したベッキーは、下で待つ三人に向かってそう叫んだ。やった〜っ! と大喜びするマルティナの声を聞きながら、その場にしゃがみ込み玉に手を伸ばす。


 と、そこでピタリと手が止まる。それはトラップを警戒してのことだった。


 ここまでの道のりに罠は無かった。だからといってこの祭壇に罠がないという保証にはならない。もちろん罠があるという確証も無いわけだが……。


「…………」


 そこで改めて周りを見渡してみる。祭壇と呼ぶにはあまりにも規格外な建造物の上。登ってくるだけでも大変だったこの場所を、あるかどうかも分からないものを探して回る……。


「現実的じゃないな」


 ぽつりと独りごちる。


 結局ベッキーは逡巡したのちに、


「えーい、ままよっ」


 と〝ᚦ〟の玉を手に取った。


「…………」


 とそのまましばらく様子を見てみる。


 しかし何かの作動音がするでもなく、祭壇にも変化は起きない。どうやら罠は無いようだ。フーと息を吐き、改めて安堵に胸を撫で下ろした。


「どうした、何かあったのか?」


 いつまでも降りてくる様子のないベッキーに、珍しく心配でもしたのかエル・ヴィエントが再び声を掛けてくる。


「いや、何でも無い。今降りるよ」


 ベッキーはひょっこり祭壇の縁から顔を出してそう答えると、登ってきたときと同様にロープを伝って懸垂下降ラペリングよろしく降りていった。




「これが〝ᚦ〟の玉か……」


 ベッキーの手の平の上に乗っかった真っ白な球体をしげしげと眺めるエル・ヴィエント。


「もっと大きいとばかり思っていたんだが」


「あ、それオレも思った」


 神殿から始まってからこの祭壇に至るまで、その全てが巨人サイズだったために、〝ᚦ〟の玉も〝иフル〟の玉に比べて随分と大きいのではないかと想像していたのだ。


「ま、何はともあれこれで二個目だね。あと四つだっけ?」


「ああ。後はセニア公国、インディス帝国、アメリア帝国に――」


 エイダの言葉に指折り数えながら答える。


「ラティカだな」


 最後はエル・ヴィエントが口にした。何か嫌な思い出でも脳裏をよぎったのか、苦虫を噛み潰したような顔になる。


「次はどこへ行くか決めてるのかい?」


「そこなんだよな〜……。セニア公国かアメリア帝国で悩んでるんだけど、大師匠ならどっちから探す?」


「そうだな、わたしなら帝国を優先する。公国はともかく、ラティカは鉄人形アイアン・ゴーレム並に頭の硬い連中の巣窟だからな。最後に回すことをおすすめするよ」


 とそこで『キュルルル〜……』と派手な音が鳴った。


「そんなことより早く帰ってご飯にしようよぉ〜。お腹減りすぎて背中とくっつきそうだよぉ……」


 音の発生源はマルティナのお腹だったようだ。胃の辺を押さえながら切なそうにしている。


「そうだな。確かに腹が減ったし、さっさと帰るか」


 こうして、無事〝ᚦ〟の玉を手に入れたベッキーたち一行は、巨人の領域を後にしたのだった。


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