第16話:

幕間

 あの耳長女は頭がおかしい。


 ベリーショートの黒髪に尖った耳が特徴的な、褐色の肌に茶色ブラウンの瞳をした、同姓から見てもハッとするような綺麗な見てくれをしたダークエルフの女。


 ただでさえこの国では珍しいダークエルフなのに加えて、美しく寡黙で腕の良い薬師とくれば、神秘的だのなんだのと男女問わず色めき立つ。まったくおめでたい話だ。


 寡黙? 神秘的? そんなものはあの女の本性を知らないやつの戯言たわごとに過ぎない。美人なのは認めるけど、寡黙なのは単に興味を惹かれないものにはとことん無頓着なだけで、本当のあの女の正体が、


「アハハハッ、犬っころのクソになりたくなかったら死ぬ気で戦え!」


 修行と称して人を灯りも無しに、コボルトが無数に蠢く暗い穴の奥に放り込むような極悪非道なクソ女だと知れば、みんな泡を吹いて卒倒することだろう。


 それがアタシと姉ちゃんの大師匠――エル・ヴィエントというイカれた耳長女の本性である。


「嗚呼、姉ちゃんに会いたい……」


 そんでもってあのハーフリングかってくらい小さな体を裸にひん剥いて、あんなことやこんなこと、あまつさえそんなことまでして蹂躙し尽くしたい!


「おいバカ弟子、良からぬ妄想をしている暇があったら、さっさとこの邪魔な瓦礫を何とかしろっ」


 スパンッと頭を叩かれる。今アタシたちは、以前姉ちゃんがエイダと一緒に攻略したという迷宮にやって来ていた。そしたら何があったのか、最奥へと続くのだろう通路が崩落していて、もともと扉があったんだろう場所には、大木のように大きな棍棒が突き刺さっていた。


「暴力反対! あと弟子じゃなくて弟子ですぅ」


 言葉は正しく使えって姉ちゃんも言ってたし。


「ほほぅ? まだ本当の暴力が何なのか理解していないようだな」


 そう言うと、大師匠はポーチから紅く輝く宝石のようなものを取り出した。あ、まさかそれって!?


「ち、ちょっと待って大師匠! いくら何でも怒りの沸点低すぎないぃ!?」


「馬鹿なこと言ってないで、さっさと後ろに下がりな!」


 アタシは慌てて大師匠の背後に回った。その途端、紅い光がいくつもきらめき、大音響とともに爆裂した。


 もの凄い爆風とともに粉々になった瓦礫が飛び散る。


「うひぃっ」


 アタシは降り注ぐ瓦礫の山から身を守るために、必死で大師匠の体を盾にしてしのいだ。


 その間中何がそんなに可笑しいのか、大師匠は大爆笑していた。やっぱりこいつ頭おかしいよぉ……。


「ふぅっ、やっぱり爆裂系の魔導具はスッキリするな」


 そう言って振り向いた大師匠の顔には、晴れ晴れとした笑顔が浮かんでいた。そんなにストレスが溜まっていたんだろうか?


「って、血! 大師匠、おでこからすんごい血が出てるよぉ!」


 ぴるぅ〜って感じに大師匠のおでこから血が吹き出している。けれど当の本人はケロッとした顔でおでこを手で触ると、


「この程度騒ぐことじゃない」


 と言って、何でもないという感じで冷静にポーチから取り出した傷薬を塗ったくった。するとあっという間に傷口が塞がり、ピタリと血が止まってしまった。普通の傷薬じゃこうはいかない。


 そういえばこいつも姉ちゃんに匹敵するかそれ以上の薬師だったんだった。なるほど確かに大騒ぎするようなことじゃなかったな。


「さ、通り道も出来たし先に進むぞ」


 見れば道を塞いでいた邪魔な瓦礫はあらかた吹き飛んでいた。


「は〜い」


 気は進まないが道が出来た以上進むしかない。アタシは気のない返事をしながら大師匠のあとをついて行った。


 そして突き刺さった棍棒の横に出来た隙間をくぐって先に進むと、その向こうには左右に六本の円柱がそびえ立つ、やけに奥行きのある大きな部屋が広がっていた。篝火が焚いてあるのが地味にありがたい。


「あいつか」


 大師匠がどこか楽しげに視線を向ける。同じくそちらに目を向けてみれば、そこには頭が二つある巨人が、さっき見た大木のような棍棒を杖みたいに下向きに右手で持って、こっちを威嚇するように仁王立ちしていた。多分あれが姉ちゃんたちが戦ったっていうエティンって化け物だろう。


 そしてそんなやつがいるっていうことは……あーハイハイ、あれと戦えってことね。


「一応訊いとくけど、今度の相手はアレ?」


「そのつもりだったんだが……」


 しかしこっちの思いとは裏腹に、大師匠は何やら言い淀んだ。何か問題であるんだろうか? というかこっちとしては問題しかないんだけれども。


「いや何、あいつ手負いだと思ってな」


「手負い? あっ、分かった! 手負いだとよけいに獰猛になるからアタシのことが心配なんだね!」


 な〜んだ、いろいろ頭のおかしい大師匠にも、ちゃんと孫弟子を想う心があったんだ。


 とアタシが一人感動していると、その大師匠は照れたように笑うでもなく、こっちに馬鹿を見るような目を向けながら吐き捨てるようにこう言った。


「馬鹿が! 今のあいつじゃお前の修行にならないと言ってるんだ、この馬鹿が!」


 しかも二回も馬鹿って言われた。アタシの感動を返してほしい。


「でもあいつ巨人だよ? いくら手負いだからって弱いわけないじゃん」


 そしたら今度は深いため息を吐かれた。


「あのな、誰が弱いだなんて言ったよ? あいつの攻撃をまともに受けたら即死間違いなしだぞ」


「だったら――」


「いいか? あいつの怪我の具合をよく観察してみろ」


「むうぅ……」


 渋々ながら言われた通りにエティンを観察してみる。まず二つの頭それぞれに火傷の跡でしょ。結構酷くただれてるけど戦闘に支障は無さそうだ。あとは……あれ? あいつ重心が左側に寄ってるような……あっ!


「気づいたか?」


「うん! あいつ右足を怪我してる」


「正解だ」


 どうして今まで気づかなかったんだろう? あいつは棍棒を杖のように持っているんじゃなくて、本当に杖代わりにしてたんだ。どうりでさっきから唸るばかりで近寄ってこないわけだ。


「とはいえあのデカブツを倒さないと、ゆっくり先には進めそうにないな。よし、マルティナ。の試し切りでもしてこい」


 大師匠はそう言うと、アタシの背中に背負われたの長剣を指さした。


「りょ〜か〜い」


 アタシは右手に黒剣を、左手に鈍色にびいろに輝くの剣を構えると、ゆっくりと目の前のデカブツに近づいていく。近づくにつれてその異様な大きさがハッキリしてくる。同じ巨人族のオーガとは比べ物にならないくらい大きい。他の巨人族もこれくらい、ひょっとするとこれ以上に大きな奴がいるんだろうな。そう考えると自然と剣を持つ手に力が入る。


 でもビビったりはしない。アタシは姉ちゃんの相棒で、『剣』なんだから。こんなところで足踏みなんてしてられない。早く強くなって、耳長クソ女をぶちのめして姉ちゃんのところへ帰るんだ。


「だからさっさと沈んでね!」


 残りの距離を一足飛びに間合いを詰める。


 右足は、たぶんエイダがやったんだろう、アキレス腱を切り裂かれていた。確かにあれじゃ杖無しには立っていられないだろう。だからアタシは左足に取り付いた。これにはデカブツも驚いたのか、慌てた様子で左手でアタシを叩き潰しにくる。


 けれどそんな攻撃を五体満足なアタシが食らうはずもなく、やすやすとかわしながらその左足首を切りつけた。


「わぉっ」


 さすが巨人族だけのことはあるデカブツの皮膚は頑丈で、右手の黒剣ですらたいして深く切れなかったのに、左手のの方は、まるでバターを切るみたいにたいした抵抗もなく、スッとデカブツの左足を足首から上下に切断してしまった。そりゃ思わずそんな声も出るというものだ。


 もともとこの剣は大師匠の倉庫の片隅で埃を被っていた代物で、その名も『巨人殺しジャイアントスレイヤー』。その名の通り巨人を殺すためだけに生まれた一品で、他の生物に対しては、見た目通りのなまくらな剣でしかないんだそうだ。確か大師匠がそんなことを言っていた気がする。


 それにしても何この切れ味、引くんですけど……。


 左足の支えを失って、驚きとも悲鳴ともつかないような声を上げながらデカブツが前のめりに倒れてくる。巻き込まれたらあとで大師匠に何を言われるか分かったもんじゃないので、股下を抜ける形で回避した。


「あ゙しがぁぁ! オデの足がぁぁぁ!」


 デカブツが左足を押さえながら、今度こそ悲鳴を上げる。何だこいつ喋れたのか。


 ま、だから何だって話なんだけど。うるさいし見苦しいから早々に黙らせよう。アタシはデカブツの頭の側に移動すると、もはや戦意を喪失してこっちを見もしない二つの頭を、巨人殺しで一刀両断にした。


「どうだった、そいつの切れ味は?」


「見ての通りだよ。とんでもないね、これ」


 刀身に付いたデカブツの血を払い落とし、黒剣と一緒に鞘に収める。


「さて、それじゃ先に進むとするか」


魔核コアは取らないの?」


 かなり質の良いのが取れそうなのに。


「わたしは興味無い。お前が倒したんだ欲しけりゃ勝手にしろ」


 大師匠はそう言い残すとさっさと先に歩いていく。


「じゃ、そうする」


 その背中に声をかけると、再び巨人殺しを抜きはなつ。うつ伏せになった巨人の体をあお向けにするのはさすがに無理だから、背中側から肉を肋骨ごと切り裂いて内部を露出させる。お、あったあった。人間なら心臓に当たる部分に真っ黒な、真珠みたいな光沢をした玉が収まっていた。


 傷をつけないようにそっと取り出してニンマリ笑う。黒色の魔核はけっこうな価値があったはず。しかもかなり大きいし、きっと姉ちゃんは喜んでくれるに違いない。


 姉ちゃん待っててね!


「おい、いつまで待たせる気だ?」


「はいはい、今行きますよ〜だ!」


 まったくせっかちな大師匠を持つと苦労するね。魔核をリュックに入れて長耳クソ女の下へ向かう。


「で、目的のものは確認できたのぉ?」


 確か誰も触れることの出来ない石板……だったっけ?


「いや、本当に何も無かった」


 そう口にして渋面を作る長耳女。


「そりゃそうだろうねぇ」


「何だ、何か知っているのか?」


「そんなわけないじゃん。姉ちゃんが無かったって言ったんだから無いんだろうなって思ってただけぇ」


 本当は嘘だ。たぶんだけど、ここにあったっていう石板は姉ちゃんが集めている魔術の石板だったんじゃないだろうか。もしそうなら今頃石板は姉ちゃんの頭の中にあるっていうことになる。今度はどんな魔術を覚えたんだろう? そう考えるとますます姉ちゃんに会いたくなってきた。


 いっそのことここで殺ってしまおうか?


 こちらに背を向け、何事か考え込んでいるその姿は隙だらけに見える。今ならひょっとするといけるんじゃ? 黒剣に手を掛けようとして、いやいやと思いとどまる。仮にこの場で耳長クソ女を倒せたとしても、それで巨人族相手に勝てるかどうか分からない。ひっじょうに悔しいが、まだこの女から学べることは多いと思うし。


「何だ掛かってこないのか?」


「ッ!? い、今はめとく」


 あっぶない! 完全に動きを悟られていた。あのまま切りかかっていたら、間違いなく血反吐コースまっしぐらだったろう。


「そうか。なら帰るぞ」


「へ〜い」


 クソッ、いつか必ずギャフンと言わせてやる。


「おい、どこへ行く気だ?」


「ん? だから帰るんでしょ。だったら今来た道を戻るしか無いじゃん」


「そんなことしなくても、そこに転移装置があるからそれで地上へ帰れそうだぞ」


「へ〜、そんな便利なものがあるんだ」


「おそらく起動したのはベッキーだろう。最奥の間に転移装置があるなんて話聞いたことがないからな」


「おおっ、さすが姉ちゃん!」


 やっぱりアタシの姉ちゃんは世界一だ! こうしちゃいられない、アタシも早く巨人を一捻ひとひねりできるくらいに強くならないと!


「大師匠、地上に戻ったらもっと修行をつけて!」


「何だ姉の凄さを再確認してやる気になったか? 心配しなくても次の案は考えてある。かなりスパルタで行くから覚悟しておけ」


* * *


 こうして一度ミスルへと帰還をたしたマルティナとエル・ヴィエントは、次なる目的地――巨人の領域を目指して再び旅立ったのだった。


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