師匠②

「勝手に入ったら怒られるよぉ」


「知ったことか。そもそもその本人が居ねぇだろ」


 それは師匠の書き置きを見つけたその翌朝のこと。ベッキーはその内容にあった〝и〟の謎を追うために師匠の部屋で探しものをしていた。


 そこは普段から勝手に入るなと言われていた師匠の私室だったが、〝и〟という何と読むのかさえ分からないこの文字のことを調べるには、まずはここしかないと踏んでいた。というのも、ベッキーはどこかでこの文字を見たことがあった気がしていたからだ。この家でこんな謎だらけの文字を目にする機会といったら、この部屋の書物以外に考えられない。


 昨晩はさすがに疲労からくる眠気には勝てず寝てしまったが、今朝は朝食もそこそこに、今の今までこの部屋に籠もっていた。


 足の踏み場もないほど乱雑に積み上げられた本やら、地図に資料。マルティナはその内から手近にあった一冊の本を手に取ると、見るともなしに見る。それはかつて女神と魔王が死闘を繰り広げたとされ、今もなお多くの魔族が住む呪われた地『魔族領』を挟んだ、こことは反対側の大陸『南アメリア』の言語で書かれた書物だった。


「うへぇ〜……」何と書いてあるのか分からない上に、文字がびっしりと並んだページを見るなり渋面になるマルティナ。


 彼女は大の文字嫌いであった。もちろんクエストの内容や、生活で必要なだけの識字力は持ち合わせているが、姉のベッキーと違い読書を苦手としていた。


「アタシは鹿狩りにでも行ってくるねぇ」


「おう」


 本と向き合ったまま気のない返事を返すベッキーに、マルティナは呆れたように肩を竦めてみせると部屋を後にしたのだった。


「これも違う……」そう言って次の本に手を伸ばし、ふと部屋をぐるりと見渡す。それにしても、よくぞここまで大量の本を集めたものだと感心する。


 実際この世界には『活版印刷』の技術はない。すべてが手書きなのだ。しかも〝紙〟そのものが決して安いものじゃない。そのため本一冊で金貨が数枚飛ぶことも珍しくないにも関わらず、それをこれだけ集めてきたのだ、その情熱や努力には並々ならぬものがる。


 改めて師匠の凄さを感じながら、手に取った本を開く。「――ん?」


 開いた拍子に何かが紙と紙の間からひらりと落ちた。拾い上げたそれは何とも奇妙な――いや、それそのものが奇妙というわけではなく、本の所有者の性格を考えると奇妙に思えてくる、そんな代物だった。


 それは、押し葉だった。


「この葉っぱって確か――」手に持ったそれを返す返す見やる。「トリカブトの葉の部分だよな。何でまた」


 不思議に思いながら、葉が挟んであったであろう頁を開く。「――あっ」


 そこに書かれていた短い文章に、昔の記憶が蘇る。それは短い夏の只中――師匠と初めて出会った日の記憶。


 そこには師匠の手書きで、『小さな勇者の戦利品』と書かれていた。

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